月光遊戯
番外編


部屋の灯りは消えていた。それでも、カーテン越しに覗き込む月の光は明るい。
毎朝制服姿を映して見る鏡に、容赦なく映し出される下着一枚のあたし。月明かりの所為で、肌色は青白いほど白く見える。

喉元に手をやる。感触は、じっとりと汗ばんでいた。
影のように浮かぶ鎖骨に触れる。少し降りて、鳩尾へ。もう少しだけ、下へ。
さらけ出された、乳房の下へ。

重たげだ、と自分でも思う。丸っこい顔よりもぽっちゃりした肩よりももっと、あたしらしい形の、コンプレックス。
手を添えて、持ち上げてみる。自分の一部なのに、別の生き物のような重み。生々しい体温。
こんなもの、と、思う。
他人事としてあれこれ言える男子が羨ましい。
こんなもの。誰かに触れてもらえなければ――、価値なんて、ないのに。


力を抜いて、ベッドの縁に腰掛けた。ぎ、と忌々しく軋む。重過ぎるとでも言いたげに。
ああ、まただ、無意識のうちに気にしている。

「……太めで、悪かったですねーだ」

言われなくたって分かってる。身近な女の子たちと比べても、あたしはいわゆる「ぽっちゃり」だ。
スカートの下の太腿も、ジーンズに押し込めたお尻も、触れると柔らかな腰周りも、何とかしたいとは思ってる。
それをいちいち。しかも、絶対比べられたくない相手と比較したりして。

「ふんだ。どーせスケベなことしか頭にないくせに」

ないくせに、どうしてこんな風に、ぎこちない距離があるのだろう。

冗談だけでは済まなくて、真面目な顔にはなれなくて。

「……なによぅ、ばーか……」

目を閉じて、そのまま後ろに倒れこんだ。剥き出しの背中に、乾いたシーツが心地良い。

よく一緒に眠ったっけな。夏休みのお昼寝、海の家での夕暮れ、肝試しの翌朝、クリスマス会のあくる日。
遊び疲れてそのまんま、草っぱらのど真ん中で眠っていたことさえある。
全力で遊んで全力で眠くなる彼はすぐ寝息を立て始めてしまうから、一緒にいるあたしの方はなんだか取り残されたような気持ちになってしまったものだ。
……今も、同じようなものなのかも知れない。なんだか、取り残されたような。
一緒に遊んだって、一緒に寝入ってしまう訳にはいかない。中途半端でぎこちない距離感。

今日も、一緒に出掛けた。先に行くでもなく後からついてくるでもなく、いつもの通りに二人並んで。
梅雨の合い間の、よく晴れた土曜。彼女の出ている新作映画の封切り日。

可愛らしい便箋に並ぶ丁寧な文字は、いつもの通りに新作について説明し、そのあとこう付け加えていた――

「スクリーンでの悪役は初めてだから、いつも以上に気合いを入れて頑張りました。
同封のチケットの映画館では、封切り日に舞台挨拶もおこなっちゃいます。絶対逢いに来てね!」

――ハートマークと、キスを現すXを3つも並べて。

そんなことを思い出しながら、スポットライトの下の彼女に拍手を送り、手を振り、笑み交わして、そして2時間の映画鑑賞。
試験の最中でも平気で熟睡する彼が、その2時間はちゃんと目を開けていて。
気付いてしまったら気になって、あまり集中出来なかった。折角の土曜日なのに。

別の映画に誘ってくれた、ミス研仲間の男友達の方について行けば良かった。そうも思う。
勿論、彼の方は何にも気にしてなんかいないようで――帰りの電車ではあたしにもたれかかって盛大に鼾をかいていたし――それがますます気に障って、結局なかなか寝付けなくなってしまったのだ。

なんか、やだな。

自分の心の狭さに嘆息する。
今更、こんなことで苛々したって仕方ないのに。
付き合っている訳じゃないし、何かの約束がある訳でもない。
けれどあたしだって――あたしたちだって、いつまでも子供ではないのだ。

――こんなもの。
月明かりに白い乳房に、手を置く。仰向けのままで見ると、自分の重みで潰されたそれは酷くみっともなく思えた。
掬うように持ち上げて、形を整えてやる。そのまま、適当に揉んでみる。くにゅ、と、生温いような感触。
手のひらの中で頼りなく崩れる塊。中に詰まった水と脂と、得体の知れない情念のようなもの。
生々しくて重たげで……欲求不満の塊みたいだ。
いやらしい、と、思う。

そう、こんなもの。
誰かに愛してもらわなければ、みっともなくて淫らなだけだ。

誰かに。
――誰に?

「っん、」

胸の内側から噴き上がるような何かに声を上げた。
恥ずかしくなって目を閉じる。
違う。別に、そんな、恥ずかしいことなんて――、

「あ、」

触って、欲しい、なんて。

「……っ、ん」

胸が。そんなに感じる、訳ではなくて。
自分がしていることと、無意識に想像していることの所為だということは解っている。


いつから?
あんな風にくっついて寝ることなんて出来なくなって。

軽薄なスケベっぷりに誤魔化されてるふりをして、
でも本当は薄々気付いてた。

ねえ、いつから?

身長も体格も、見るものや聞くものも好むものもだんだん違ってきて。
ああやっぱり男の子なんだな、なんて思うのが寂しかったりした日々を経て。

あんな雑誌とかこんなゲームとか、そんな漫画とかあんなアニメとか。
それが一体何のためのものなのか、あたしにも段々分かってきてしまった。


だから思い浮かべようとすれば気恥ずかしくて出来なくて、
けれど考えまいとすれば不思議と断片的な妄想ばかり浮かぶ。

――も、するの?
だれかのこと考えて、するの……?

「っあ!」

滑らせた指が先端を掠めて、きつい声が出た。
首を捩るようにして、息を呑む。
いつの間にか膝と膝を擦り合わせていて、腰の下でシーツがずるりと撚れた。

ねえ、いったい、どんなことするの?
どんなふうに するの?

誰もいないはずの空間に手を伸ばす。目はきつく、閉じたまま。
本当は碌に知らない、今の彼の感触を求めて、まさぐる。
いつまでも子供みたいなヘラヘラ顔。

でもきっと、そんなときは。
ねえ、どんなかおで するの――?

抱き寄せたつもりで、自分の身体を抱いた。
熱い。背骨の真ん中から、何だか不穏な熱が出ている。
宥めるように手のひらを落として、肩を、二の腕を、肘を擦りながら撫で落とす。
薄く浮いた肋骨の線。汗ばんだ鳩尾。乳房のすぐ下を撫で、少し持ち上げて、捏ねる。
下腹の奥がきゅううとなって、腰が少し、浮いた。

だれのこと、かんがえるの?
あたしのことも、かんがえる の――?

繋ぐのも放すのも自分勝手な、調子のいい手。
あたしより一回り大きい、手のひら。
そぐわないほど器用な指――いつもあたしを揶揄う――その指に、触れられたら。

「ん、あぁ」

きもちいい?
ねえ、あたし、きもちいい?

気付かないうちに捩れている体。女を主張するように張った腰骨と、それを柔らかく覆う脂肪。
鏡の中の自分を思い出して、それと重なるように誰かを思い描いて、腰を抱き寄せられたように、くねる。

「あ、あ、や……っ」

合わされていた脚が開いた。膝の辺り、あるはずのない手の感触。容赦なく押し広げられる感覚と、視線。

やだぁ、はずかしいよぅ――。

頭の隅の躊躇いが、どんどん居場所をなくしていく。
本当はあたしの手。だけど勝手にあたしを蹂躙するその手が、腰の丸みを撫で回し、柔らかい太腿を揉むようにして、脚の付け根に近付いていく。
腿の内側に、入る――

「や……あ……」

触れた。
薄い布地の向こうに、水気を含んだ感触。

「!」

唇を噛んで、声を呑み込んだ。
強く目を閉じたまま、窓を避けるように顔を背ける。
誰に見られている訳でもないのに、……やっぱり、恥ずかしい。

このままじゃ、よごれちゃう……

言い訳のように思い浮かべながら、腰を覆う布地を引き下ろす。
シーツに直接触れる肌を、その下の肉を、手のひらで確かめながら。
丸い、柔らかい曲線――
みっともないくらいに、重たげだけれど。

でも、ほら、あたし、
きもちいい、でしょ――?

布地の塊が、床に落ちる。誰かの気配のような、音。
腰を、脚を、腿を、膝を、視線から隠すようにして触る。

「ん、は、ぁっ」

指に絡みつくくらい滑らかな肌。日の光にも、誰の目にも触れたことのない……
……そしてもっと深い奥へ、続く肌。

指先を、次第に付け根へと近付けていく。
薄く柔らかかった肌の感触が、少しずつ少しずつ変わっていく。
自分でさえ見たことのないその部分を、指に伝わる感覚だけで想像しながら。

いつの間にかまた、膝が近付いていた。恥らうみたいにもぞりと、擦り合わされる。
下腹の奥の熱が、押し出されるみたいに降りてきて。
あるはずのない手がその膝を掴んで、きつく、押し開いた。

「ひゃん!」

触れられてもいないのに、奥から何かが零れてくる。
流れてくるものを掬い取るように、指先で縁を撫で上げる。

やだぁ、はずかしい、よぉ――。

強く瞑りすぎてちかちかするほどの目の奥に、見たことのない顔を思い描こうとする。
揶揄いと興奮と、ほんの少しの残虐。
でもわからない。わからない。わからない。

ねえ、どんなかお するの……?

わからない。

ただ知っているのは、無頓着に繋いだ手の、その手の、
あたしより広い手のひらと、不思議に高い体温と、昔から何故か器用な――

「あ、ああっ……、」

縁を撫で上げていた指先が、いつの間にか潜り込んでいた。
普段ならむちりと閉じ合わされている筈の入口は、熟れすぎた果物のようにぐずぐずと蕩けていて。
呑み込むように、指を迎え入れていく。

しらない、わからない、きっと、こんなんじゃない。
わからないけど でも。

潤みというより洪水のようなそれが、指を伝って一気に溢れ始める。
水の音、表現の仕様のない、匂い。酷く熱い、あたしの中。
溢れるほど潤んでいる癖に、何かに渇いているような貪欲さで、ああ、食べようとしてる、と、思う。

きっと、こんなんじゃたりない。

奥まで呑み込んで、おなかいっぱいになるまで、満足して眠くなるまで食べ続けたいなら。

こんな、ゆび、なんかじゃ。
ね、あたしのゆび、なんかじゃ――

なんか じゃ なくて――

瞑った目を透かすのは月の明かりじゃない。
覗き込む、誰かの眼差し。
瞼の向こうにも思い描けるくらい、見慣れた。

そう思った途端、何か弾けたような、気がして。

だから、ねぇ、おねがい もっと、

おそるおそるだった動きを、激しくした。
乱暴に、無茶苦茶に、内側を擦り上げるように指を動かす。

もっと さわって、ちゃんと みて ねぇ、
もっと ちかく、こっちに、

ずっと昔いつか小さな頃みたいに、
くっついたまま眠ってしまう直前のあの時みたいに、
目の前を塞ぐくらい近くで、
ちゃんとあたしを見て、
そして――

「……あ、あ、ひゃぁぁぁぁあ……んっ……!」

膨れ上がるような熱さが指を噛みちぎりながら破裂して、
細く長く千切れるような自分の声を、夢の向こうのように聞いた。

肌寒さで目が覚めた。
――眠っちゃったんだ……。
赤面して、落ちていた下着を拾う。
やっぱりちょっと太すぎるような脚を通しながら、あたしはまた鏡を見た。
いくらかぼんやりしたような顔の自分が映っている。
ふらふら近付いて、額を当ててみた。ひんやりした感触を感じながら、鏡の自分と目を合わせる。
少し青白く見える、けれど見慣れたあたし。

自分の顔と同じくらいに、見慣れた顔が向こうにあったら。

――あったら、どうするかな。


……あたしは、鏡に口付けた。
そうして、赤面する。


「……ほんとにいたら、こんなことしないんだから」

慌てて首を振って、それからあたしは、欠伸をした。






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