私は貴方の為だけに存在する
西門総二郎×松岡優紀


厚手のカーテンの隙間から差し込んだひよわな光。
そっとベットを抜け出し爪先を床につく。ひんやりとした冷たさが背筋をつたう。
ちいさく身震いし、そばにあったガウンを羽織り窓辺へ近づいた。
カーテンを開け、大きな出窓を両手で押し開けると、遠くにいる森の鳥たちが朝靄の中で一斉に羽音をたて飛び去っていくのが見えた。
ここは深い森の中。すべてから隔離された世界。誰とも接触することはない。
唯一、彼との繋がりのために用意された場所。

ここに連れてこられたのはいつのことだったのか。あれからどのくらいの昼と夜を迎えたのか。
そんな遠い昔のことは、もう忘れてしまった。
かるく頭を振り、後ろを振り返る。
ベットの中で枕を抱えるようにうつ伏せている彼の瞳と視線が絡んだ。
ゆっくりと差し出された彼の右手と、その眼差しの持つ熱に引き寄せられ、操られるように近づきその手をとった。
指先が触れ合った瞬間、腕を引かれ膝をベットの上についた。
屈み込むような姿勢のまま掌で彼の美しい顔をなでる。そのまま唇を寄せ合いその動きだけで彼の名を呼んだ。
戯れのような口付けと愛撫が繰り返され、じきに二人を呑み込む狂熱に変わるだろう。
それまではただこうして。静かに与え合うのも悪くはない。
誰よりも愛しい貴方が笑っていられるなら。
私のすべてを貴方に捧げよう。この先の未来も過去も。こうして肌を合わせている現在も。
私は貴方だけのものだから。

未来永劫に。私は貴方の為だけに存在する……。



−…もう終わりにしましょう

別れの言葉を切り出したのは優紀からだった。
なのに君はどうしてそんなにも辛そうな顔をしているのだろう。
先の見えない二人の関係。もう嫌気が差した、と言われるほうがどんなに良かっただろう。
苦しいくらいに互いを求め必要としてきた俺たち。
西門に相応しい相手との政略結婚。
敷かれたレールと失うことなど出来ない大切な君との間で、血反吐を吐くまでに追い詰められた精神と肉体を隠し、優紀と過ごす僅かな時間だけが救いだった。

「西門さんのことは遊びだったんです。…だって、ほら。かっこいいお金持ちの彼氏って皆に自慢できるでしょ」

そんな風に切なげな瞳で。震える声で、精一杯に似合いもしない悪い女を演じて。誰が騙されるというのだろう。
すべては俺のため。酷い言葉の裏にひそんだ溢れんばかりの君の愛情。
だから君を開放してあげようと思った。
もうこれ以上、俺のために心を痛めては欲しくはなかった。
騙された振りをするのは俺にとっては簡単なことだから。

でもね…優紀。何でこんなに心が寒いんだろう……。



あれから一年。
親の決めた資産家の娘と見合いをし、結婚した。
徐々に親父の跡を引き継ぎ仕事をこなし、自分の心の奥底に閉じ込めた優紀への想いに気付かぬ振りをし日々慌しく生きていた。
秒刻みのスケジュールに追われ、一日の仕事が終わったころには疲れきって眠るだけ。
それでも良いと思ってた。
久々に会った司や牧野たちの集まりで、彼女のことを聞くまでは。

もうすぐ優紀、結婚するんだって

何も知らない牧野は嬉しそうに自分のことのように喜んでいる。
こいつらは知らない。
俺と優紀が付き合っていたことを。
側にいる親友たちに気付かれぬよう、胸の痛みを隠し必死にポーカーフェイスを取り繕うだけで精一杯だった。

こんなところまで来て、いったい何をしようというのか。
優紀の会社の前まで来ると、大通りに面した交差点脇のガードレールに浅く腰掛けて蹲るように寒さをしのいだ。
自宅を出るときには振り出していなかった、今年一番の初雪が先程から降り出していた。
厚手のロングコートの襟を正しマフラーで口元を隠してコートのポケットに手を突っ込んだ。
これで多少の寒さは防げる。
頭上に舞い落ちるちいさな雪の粒は、いつしか大きなぼた雪に代わっていた。
背中を丸めじっとしていると、まるで捨てられた小動物のようで滑稽だ。
牧野の口から結婚話しを聞かされてから、ずっと考えていたんだ。

今の君は幸せ?

そう、…ただそれだけなんだ。
君が幸せだって、あの陽の光のような笑顔で言ってくれたら、俺も一歩前に進めるような気がする。
だから、今日はそれを確かめにきただけ。
そんな虫の良い言い訳がさっきからぐるぐる、と頭の中で回っている。
彼女と別れてからまったく進歩していない自己中心的な考えに自嘲の笑みが零れた。
あの時も、柵から彼女を自由にしてあげるという言い訳で、結局は優紀の優しさに甘えていたに過ぎないと解っていたんだ。
そんなことをつらつらと考えていたとき、暖かな光を凍えきった肌が感じ取った。

俯いていた顔をゆっくりと上げる。
冬将軍の支配する鉛色の世界に、一ヶ所だけ春の空気に包まれた空間がある。
優紀がそこにいた。

ただ見つめ合っていた。何をするでもなく。じっと互いの視線を絡み合わせていた。たぶん、ずいぶんと長いこと。いや、もしかしたらほんの数秒の間だったかもしれない。

「こ、これ。ハンカチどうぞ」

静かな沈黙を破ったのは優紀だった。
すこし距離を置いたところから駆け出してきて、淡い桃色の花模様のハンカチを差し出してくれた。
一瞬ほうけている俺に、失礼しますと言うと頭上に薄っすらと積もった雪を柔らかな布で拭っていく。
ふんわりとした甘い香りとしなやかな指の感触に眩暈がする。
このままここで優紀を抱きしめたい衝動に駆られる。
でもなんとかその感情を押しとどめて口を開いた。
もう、いいよ。ありがとう。
それから、矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。

「久しぶりだね、元気してた?」

そう言った俺の声は掠れてはいなかっただろうか。ちゃんと微笑んで言えただろうか。そうだといい。



遠慮がちに誘いをやんわりと断る君を説き伏せてお茶に誘った。

「ね、お茶くらいならいいでしょ。このままじゃ俺、凍っちゃいそうだし?」

困ったように微笑む優紀の手を引き近くにあったホテルのティーラウンジに入った。
最初は緊張していた彼女も、牧野たちの話題を振るといつもの彼女に戻っていった。
そうやってずっと他愛もない話しをしていた。
離れがたくて。それでも、もうもとの二人には戻れないことを知っている自分がいて。
沈黙するのが怖かった。
会話が途切れると君はきっと行ってしまう。最初はただ、こうして向き合っているだけで良かった。ウソじゃない、ほんとだよ。

「そろそろお暇しようと思います。ほら、西門さんも早くお家に帰らないと。奥様が寂しがりますよ」

そう言った彼女の言葉に弾けるように顔をあげるといつもと変わらない優しい微笑みを浮かべている。
でも、その瞳がほんの一瞬悲しみに揺らいだように見えたのは、俺の都合の良い錯覚だろうか。
ずっと聞きたくて。でも、ほんとうは聞きたくなかった問い掛けを口に出していた。

「優紀ちゃん、今幸せ?」

咄嗟に握った彼女の指先がぴくりと反応した。
それから、ゆっくりと

「幸せですよ…」

と、遠くを見つめるような瞳で呟いた。
その瞬間、俺の中の何かが音を立てて砕けた。

あの雪の日から、理由を付けては幾度となく優紀との逢瀬を交わした。
最後に見せた彼女の儚げで消え入りそうな姿が眼に焼きついて離れてはくれない。
忘れようとしても思い出すのは、その寂しげな瞳だけ。
もう一度、この手で笑顔を取り戻してやりたかった。
でも逢うたびに君は苦しそうな顔をして、これっきりにしようと懇願する。

でも、ごめん。たとえ君の願いでもこれだけは譲れないんだ……。

今夜も俺たちは同じ会話を飽きもせず繰り返す。

君は、「もうやめましょう…」と、呟く。俺は「どうして?」と君が大好きな笑顔で嫣然と微笑む。
そんな会話すらも、俺たちにとってはこうして抱き合うためのあまい言い訳。いつだって君は上手に演じてくれる。

ソファに座った彼女の足元に跪くと、掌で彼女の頬をなでた。
すこしだけ冷たい指先で彼女の柔らかな髪を耳に掛け、そのまま耳裏から頬の線をなぞり、顎を掬うと優紀の身体が小さく身震いした。

「ダメですっ…」

そう…そんなにいいんだ。

「いじわる言わないで、…ね?」

ハヤク ダキアオウ

俺だけを映す潤んだ双眼。両頬に手を沿え上向かせて、視界がぼやけて歪む寸前まで近づき食い入るように見つめた。

綺麗…可愛い…。ああ、ほんとうに…溜息が出そうだ…。

一頻り見つめ合いゆっくりと頬や額に口付けを落としていく。
耐えられないくらい君の唇が欲しくて。それでも限界まで我慢し、触れ合うぎりぎりのところでそっと彼女の上唇を舌で掠め啄ばんだ。

「んっ…」

幾度がそれを繰り返すとちいさなため息。薄っすらと開いた優紀の唇の隙間に舌を挿し入れる。
ぴちゃりと濡れた音と感触を突きつけられ、そのあまりの淫らさに腰が大きく震えた。
歯列をなぞり彼女の舌をこちらに誘い出し絡めとり吸い上げる。
その間も俺の手は休むことなく、項から喉元をなぞり、ブラウスの襟から忍び込んだ指は鎖骨をなぞり肩口をなでていく。
もう一方では優紀の腰を柔らかく揉みこみまさぐっていた。

「いゃ…っ」

ストッキングの上から爪を立てて膝から腿をなであげると、それまで俺の肩に懸命にしがみついていたその指に力が篭る。
今にも泣き出しそうな顔を見ながら、器用に歯と唇だけでブラウスのボタンを外し胸を肌蹴させ、ストキングを脱がせた。
はやく君の白い肌に触れたい。その綺麗な肌に俺を刻み込んで焼き付けたい。
でも、そんな淫らな姿の君も綺麗で可愛い……。
暫し見入って、我慢しきれずに頬を柔らかな胸に摺り寄せた。

「きもちいい…」

しっとりと吸い付くような肌の感触とあまい香りに、うっとりと溜息すら零れる。
熱い吐息の感触に仰のいた首筋をあまく噛み吸い上げると紅い花弁が散った。
普段は付けないようにしていた所有の印も、一度付けてしまうと止まらない。
残った衣服を剥ぎ取り身体中を吸い上げた。

「あっ…やめっ…」

彼女の身体のそこかしこに散った、紅い印を眺め指先でなぞりあげると快美な痺れが全身を貫く。
それだけでイキそうな自分に慄きつつ、噛み付くように彼女の名を呼びながらキスを繰り返した。

「んっ、ああっ」

貪るような口付けのなかで胸を揉みしだき先端を押し潰すように転がすとあまい声があがる。
胸の裾野から円を描くように舐めまわし、焦らすように乳首を濡れた舌先で掠め転がし、もう彼女が音を上げるほど執拗に攻め立て一度軽くイカせた。

「ねえ、きもちよかった?」

軽く気を飛ばした彼女の髪をなでながら、耳元に深く吹き込むように囁く。
君がよければ俺もいいから…。
乱れた呼気が整うのを待ち、唾液をたっぷりと含ませた舌で全身を舐めあげていく。
頭の天辺から足の爪先まで丁寧に舐めあげると、それまで触れていなかった身体の中心に指を這わせた。

身体中の何処よりも熱く滑った感触を確かめると、彼女を抱き上げベッドに横たえもう一度、深いキスをしあまえたように囁く。

「優紀、俺が欲しい? ねえ、…俺が欲しいって言えって」

大きく睫の先を震わせるだけで、強請ることをしない意地っ張りな恋人のために愛撫の手を再開する。
耳殻に唇を寄せあま噛みし、舌でなぞりあげそのまま首筋から鎖骨まで舌を這わせて下降した。
感じる箇所をゆっくりと責め、下腹部のもっとも敏感な部分に顔を埋め熱い息を吹きかける。

「ああっ!」

焦らされ責め立てられたその身体は従順に反応を示し、薄い花弁がぴくりと震えていた。
その瞬間、逃げようとする優紀の腰を掴み、ぬかるんだ箇所に唇を寄せると悲鳴にもちかい嬌声があがった。

「いやぁっ…ん、んっふっ…ああっ」

蜜をたっぷりと掬い塗りつけるようにクリトリスを口内で丹念にねぶる。
ときおりあまく歯を立て、わざとのように音を立てて肉芽を吸い上げると、ちゅるいという音が俺の鼓膜を叩いた。

「もぉ、あぁっ」

限界がちかいのか、優紀の腰が大きく揺らぐ。
それでもまだ足りなくて、指を挿し入れ胎内を掻き混ぜると、くちゅりと音をたてて愛液が会陰を伝い落ちていく。
指を抜き差しするたびに、唇も指もしとどに濡らされ痛いくらいに頭の血管が脈打ちこちらも昂ぶっていく。

「おね、っ、もう、ゆるし…っ」

堪えるように、シーツを握り締めていた彼女の手が股間に埋められた俺の髪をまさぐり俺を求める。
ほんとうはこのまま前戯でもう一度イカせてあげたいけど、俺ももう持たない。
指での愛撫を続けながら、顔をあげ、ねだるように囁いた。

「もう我慢できない? 俺が欲しい?」

お願いだから、君から俺を欲しがって……。



早朝会議の後、次の仕事まで僅かだが空き時間が有った。
久し振りにメープルにでも行って、牧野の顔でも見るか。
美作の本社からメープルまでは歩いても5分足らずだ。デスクワークで鈍った身体のためにもたまには少し歩こうか。
秘書からコートとマフラーを受け取ると、迎えの車を断りビルを出た。

「いきなり顔を出したら、牧野のやつびっくりするだろうな」

あいつの驚く顔を想像し、ほくそえんでいると見覚えのある横顔に気付いた。

…あれ、もしかして優紀ちゃんかな?

信号が点滅し、赤から青に変わるのを認め足早に見知った顔を目指した。

「優紀ちゃんだよね!?」

背後から突然声を掛けられ、驚きと戸惑いを隠せない表情で振り返った彼女に「俺だよ、俺。美作」と微笑んで返した。

目的地を変更した俺は、今は優紀ちゃんとお茶を飲んでいる。
女性に人気のティーラウンジも、ピーク前の時間帯で客の数も疎らだ。これならば、落ち着いて話せるだろう。

「何かあった?」

俯いてティーカップを掌で包み込んだまま何も言わない彼女の代わりに、口に運んだカップをソーサーに戻すとこちらから切り出した。

「…………」
「俺たち仲間だよね?」

その一言に弾けるように顔をあげた優紀ちゃんの瞳は、今までに見たこともないくらいに大きく揺らめいていた。

「話してごらんよ…それでらくになるなら。俺、何にも出来ないかもしれないけど、聞くことぐらいは出来るから」
「ごめんなさい…ごめっ…さい」

肩を震わせ、首を振り続ける彼女。きっと深刻な悩みを抱えているのだろうが、ここ数年は牧野を介してでしか彼女のことは知らない。
数ヶ月前に聞いた話では、もうすぐ結婚すると言っていた。
なのに、何故、今眼の前にいる彼女はこんなにも悲しそうなのだろう。
まるでその姿は、嘗て自分がそうであったように、どうしようもない程の想いに縛り付けられ苦しめられている姿と重なり放ってはおけない。
「優紀ちゃん、…好きな人のこと?」

ぴくりと彼女の身体が強張った。どうやら確信を突いたらしい。
胸のなかで深い溜息をついた。
どうして俺の周りのやつらは次から次へとこう恋愛に関しては問題ばかり起こすのだろう。
まあ、司と牧野から始まってもう慣れっこだけどな。
あいつらはともかく、総二郎のやつも良い噂は聞かないな…。
あいつにも会って、また話し聞いてやらないとな。
ああっ! 俺ってどうしてこう世話好きなんだろう…。
そう思うと、苦笑いが洩れた。

「大丈夫だって、恋愛なんてあれこれ深く考えても仕方ないんだよ? 自分の心の思うままに体当りしてごらん」
「体当り?」
「そう。当たって砕けろだよ。司と牧野を見てみなよ、あいつらあんなに障害だらけの恋愛だったのに全部乗り越えて、今じゃ魔女のお許しを得て結婚間近だろ?」
「つくしは本当に頑張りましたから」

曇っていた優紀ちゃんの顔が、牧野のことになると一気に明るく輝きだす。
本当に、牧野のことを大切に思っているのだろう。こんな時でも変わらない女同士の友情に心が暖かくなる。

「そうそう。その顔。優紀ちゃんは、笑ってたほうが可愛いよ。なんてったって、あの牧野の親友だし、総二郎に革命をもたらしたすごい子なんだから」

励まそうと口にした俺の言葉に、先程まで明るく輝いた笑顔を見せてくれていた彼女の顔色が変わった。

「ごめんなさいっ」

手にしたカップを倒し、慌てて拭き取ると余程、動揺したのか側にあったホットウォーターのポットを派手に倒した。
白いテーブルクロスや彼女のワンピースに熱い湯が広がっていく。

「いいから! そんなことより、ほら、火傷してないか?」

咄嗟に椅子を立ち、濡れた彼女の衣服をおしぼりで拭うと微かに男性もののコロンの香りを捕らえた。

…移り香?
小さく鼻を鳴らし、香りを確かめる。
それは俺も慣れ親しんだ匂い。
総二郎が愛用している特注のコロンの香りがした。

「とにかくここじゃなんだから、着替えを持ってこさせる。この上に部屋を取るから、手当てしてもらってから着替えて」

躊躇う彼女をホテルの女性スタッフに任せ、新しい衣服を用意させた。

「すみません。お洋服までご用意していただいて…」
「気にしなくていいよ。それより、火傷のほう消えるまで少し時間が掛かるみたいだけど、残ることはないみたいだから安心して」

そう言いながら微笑んだ俺の顔は自然に見えただろうか。
手当ての最中、悪いとは思ったが見えてしまった彼女の身体に残った生々しい愛咬の痕と切なげな表情。
総二郎のコロンの香りと最近実しやかに聞くあいつの悪い噂。

−これですべてが繋がった。

でも俺には何も言えない。
こうして二人を見守るしか出来ない。俺たちはもう子供ではないのだ。
他人がどうこう言っても男女の仲はどうすることも出来はしない。
ただただ切なくなるだけ。
F4としての集まりは最近は殆どない。皆、自分の仕事で忙しくて時間が合わないのだ。
だが、つい先日、たまたま時間の合った総二郎と夜の街に繰り出した。
もう昔のような騒々しい場所には行かない。落ち着いて話せるバーで酒を酌み交わしていた。
別に深い話しはしなくても、気心しれた親友とのひと時は慌しい毎日を送る俺たちにはかけがえのない時間だから。
あのときの総二郎の顔が今もはっきりと瞼に焼き付いて離れない。

夢を見ているような眼をしていた…。
とても幸せそうな。なのに、切なそうな。そんな感情が入り混じった…。

両親の決めた女との政略結婚の後、人が変わったように自分を追い詰め仕事に没頭していたあいつはいつも辛そうだった。
なのに、あの晩の総二郎の顔は違っていた。
あいつも牧野の口からではあるが、優紀ちゃんが結婚を決めたことは知っていただろう。
なのに、何故…。
いつからだ。

他人のものになろうとしている女を愛してお前は幸せか?
彼女の左の薬指には、フィアンセから贈られたであろう婚約指輪がしっかりと嵌っている。
総二郎が彼女と過ごせるのは、ほんの僅かな時間だろう。
スイートルームを一歩出れば、彼女はまた自分の世界に帰っていく。恋人と一緒にいる時間の方が遥かに大きい。

それでも、あいつは……出逢うたびに尚、一層、狂おしく彼女の身体を抱くのか……。
求めても求めても。生涯、自分のものにすることなど出来ない相手を狂うほどに愛し乞うるのか。

夢見るような総二郎の顔。
胸締め付けられた…。

「もっと一緒にいて…」

あんなにもベッドの上で乱れていた彼女が、俺が一度、射精すると手早く身支度を整えて帰ろうとする。
それって、結構ムードない。
でも、怯まない。
彼女が部屋のドアノブに手を掛けたところを、背後からゆっくりと羽交い締めにし、左右の足で前後に挟み込むように、腕のなかに閉じ込めた。
うなじに唇を寄せ口付けたまま「帰らないで…」とあまえたように囁く。祈るように。
それでも彼女は肩をわななかせるだけで、言葉を返してはくれない。

この子は素直で可愛い。
けど一度決めたことは、頑なに貫き通そうと、意地になる。
全部解ってて、俺はこの子の我が儘を許してあげる。
俺って結構、健気なとこあるよなぁ。

「もう帰らないとっ」

柔らかい髪に顔を埋めてると、固い声で肩を怒らせて彼女はこたえた。
鼻先を左右に振りダメとこたえた。

「明日は日曜日だよ。それに君の友達も、……出張でまだ帰ってこないし?」

最後の友達というとこは、すこし刺々しい声だったかも?
だって仕方がないじゃないの。俺よりも、そいつのほうに気を遣ってるみたいだし?
これって結構、納得いかないけどさ。でも大丈夫。俺だって昔は結構遊んでた。つうか、かなり遊んでた、と言ったほうが正しい?
だから、こうして彼女の我が儘を許しちゃってる健気な俺がいるって訳。
それなのに「困るんです」と酷いお言葉。
なんで? 君だって俺と一緒にいたいばずだよ。

「どうしても、帰らないとダメ?」

こんな風に聞いたって帰す訳ないじゃない。解っててそう問う。

「もう、…本当に帰らないと」

消え入りそうな語尾なのに、彼女の手は腕の拘束をとこうとしている。

「もう一回、しよ?」

それには気付かぬ振りをしてねだる。
そしたら、君の好きにしていい。ほんとは朝まで一緒にいたいけど、譲歩してあげる。
顎をこちらに向け、視線を合わせた。
驚きに眼を見張る優紀の瞳が大きく揺らいでいる。
それから、きゅっと唇を噛み締めゆっくりと眼を閉じた。

「あっ…西門さ、んっ」
「ねえ、きもちいい?」

眉間に皺を寄せ苦しげに喘いでいる彼女の姿は酷く官能的で美しかった。
もっとやさしくしてあげたいのに。そんな姿に我を忘れて気の済むまで彼女を突き上げていた。

「あんっ…ああ…っ」
「教えて。優紀のいいとこ教えて…」
「んっ、あっ…」
「ここ? …ここ好き?」
「ん、…いっ…。きもち……いっ」
「きもちいいとこ全部教えて…なんでもしてあげるから。君の好きなとこ全部良くしてあげる…」
「…んっ」

きっと今の俺は最高に幸せそうな顔をしているだろう。
だってそうだろう? 二人がまた会うようになってから初めて優紀の口からその言葉を聞いたんだから。
いっだって彼女の身体は正直で、触れると蜜を沢山溢れさせてあまい声を聞かせてくれるのに。
どんなに乱れていても、俺の囁いた睦言には知らんぷりで結構プライド傷付いてた。
なのに、今日は素直に悦びを表現してくれて……。
もっとよくしてあげたくて。可愛らしい喘ぎ声が聞きたくて。俺の名をベッドの中で呼んで欲しくて。
懸命にしがみついてくる腕が愛おしくて。
夢中になりすぎて、何度も気を失わせた…。
それでも足りない。
全然足りない。
もっと君が欲しい。

このまま永遠に。
誰の眼にも触れさせずに、…君を閉じ込めておけたら。

−…いいのに。

西門総二郎の名義で家具付きの洋館を購入した。
もちろん誰もこのことは知らない。あきらたちF3にも言ってはいない。
出来る限り人目につかない地理で検討し、行き当たったのがここ信州の深い森のなかに佇む邸だった。
戦後の間もない頃、物好きな外国人が日本に滞在中、作らせたという邸だと聞いた。
国道から細い小道を抜けて、しばらく歩くと湖が見える。
邸はその湖を越えて更に奥まった場所にある。
車は入り込めない。ここまでは舗装のされていない獣道のような道を抜けて自力でくるしかない。
嘗ては、整備されていたはずの小道も人が去ってからは荒れ放題に荒れていた。

「なんでしたら、私どものほうで整備の依頼を出しましょうか?」

誰一人見向きもしなかった邸の買い手が付き、よほど嬉しいのか物件の所有者である不動産屋がにこやかに言った。

「いや、このままでいい。すこしくらい不便なほうが、都会の煩さを忘れられるだろう?」

こちらもにこやかに返した。

「そうですか、では私はこれで失礼致しますが、何か必要なものがあれば、いつでもお知らせください」
「ああ、有難う」

古びたアンティークゴールドの鍵を受け取ると、男は帰っていった。
すこし建て付けの悪いドアを抉じ開けるように開くと、湿った匂いが鼻を掠めた。

契約のときに一度だけ室内に足を踏み入れただけだからな……。

とりあえず、空気の入れ替えのために窓という窓をすべて開け換気した。
ソファには埃よけの白いシーツが被せてある。
一枚ずつ剥がして、一人掛けの椅子に深く腰を下ろした。
右手の壁にあるマントルピースに眼を遣ると、小さな肖像画が眼に入った。
近寄って手に取ってみる。
以前の持ち主のものだろうか。だが、しかし密画に描かれていたのは日本の若い娘だった。

「永遠の時を…?」

密画の裏には、サインとメッセージのような走り書きがある。
細部までは文字が潰れていて読めない。

密画を元いた場所に戻すと、邸のなかを彷徨った。
絵のなかの娘の手掛かりが、まだこの邸の何処かに残されているかも知れないと思ったから。
手入れのされていない階段を登ると、ギシっと朽ち掛けた階段の鳴く音がする。
登りきった二階には全部で五つの扉がある。
まずは奥の部屋から順に開けた。
ここは元は書斎だったのだろうか。大きな書棚が二つ並んでいる。
窓際には使い勝手の良さそうな、木製のライティングデスクにお揃いの椅子。
マントルピースは階下の居間と同じもの。暖炉にはいつからそこに置いてあったのだろう。薪がくべてある。

「湿ってる…」

薪を一本拾い上げると、長い期間放置されていたのが解るくらいに湿り気をおびずっしりとした重みを腕に感じた。
書棚の扉を開くと、様々な分野の書物がぎっしりと並んでいた。
指先で書籍の背表紙をなぞりながら、興味を惹かれるものを探していると一冊の古書の上で止まった。
何度も綴じなおされた跡のある体裁。
古い革表紙の本。
表紙を開くと、先の密画の裏に書かれていたと同じ文字。

「日記?」

恐らく以前の邸の持ち主が残したものだろう。読みにくい字面ではあるが、英文の日記に間違いはなかった。
ここに訪れたときは、まだ太陽は南中にあった。
どのくらいの時間が過ぎたのだろう。手にした日記を夢中で読み耽っていた。
太陽はすでに傾き夜の帳が訪れている。
遠くの森で梟が鳴く声が聞こえた。

ここに呼ばれたのは偶然か。
男の想いに引き寄せられたのか。それとも、…俺、自身の手が手繰り寄せたのか。
どちらでもいい。
ただ解っているのは一つだけ。
以前の家主もまた、俺と同じ想いに苦しんでいたということだけだ。

男と娘は戦後間もない混乱の東京で出逢ったらしい。
二人はすぐに恋に落ちた。
一目惚れだったのだろう。
だが、男は外国人で身分も階級も高い家の生まれで本国には許婚もいたという。
娘は貧しい生まれで、もちろんあの時代なら尚更、食べるものにも困っていただろう。
周囲の反対は凄まじく、それどころか敵国の男と恋仲に落ちるなど信じられないと酷い嫌がらせを受けていたらしい。
二人は男の帰国を機に一度は別れを選んだ。
だが、再び出逢ってしまった。
そうなるともう誰にも止められなかった。
本国の妻や親兄弟を捨て、男は娘を連れてこの邸に隠れるように住みついたのだ。

「似た話しってあるんだな…」

本を閉じ、センターテーブルの上に置くとおもいきり腕を伸ばした。
何時間も同じ姿勢で日記を読み続けて、身体が固まっていた。

「あっ…電話すんの忘れてた」

本当なら邸の修復の為に、業者に連絡を入れ、家政婦を雇う手配をしなければいけなかったことに気付いた。

「ま、明日でいいか」

誰もいない邸で、俺はひとりごち初めての寝床に潜り込んだ。



昨日の失敗から、今日は目覚めてからすぐに業者に連絡をつけた。
家政婦は不動産屋の紹介で口の堅い者を選んだ。

『なんでも、昔は旧家の女中頭をしていたらしいので、口は堅さはお墨付きですよ』
「そう。なら、すぐにでも頼める?」
『もちろんですよ。以前、いらしたときにすぐに連絡を取ってますから、今日からでもお伺い出来ます』
「それって、通いはムリだよね?」
『ええ、あの道が舗装されたら通うことも出来るでしょうが、老人の足ではとても毎日は…』
「そうだよね…。って、その人、お婆さんなの? 大丈夫?」
『ははっ。大丈夫です。まだまだ、現役の者には負けないと言ってるくらいですし』
「あっそ。んじゃ、都合がつき次第、すぐにでも来てもらえる。とりあえず、部屋は邸の裏の使用人部屋を使っても良いからさ」
『解りました。これから、連絡を取り、なるべく早く連れていきますから』

用件を終え電話を切ると、することもないのでまたあの書斎に向かった。
日記は全部で十冊あった。
一年で一冊とし、十年分になる。
あの続きが気になっていたのだ。
だが、あったのは男の方のものだけで、娘のものは見付かっていない。
日記なんてものは、皆がみんなつけてる訳ではないからな。
気にはなったが、男のものだけで大体のことは解るだろう。
昨日の続きを手に取った。






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