歪んだ欲求
里中賢介×森美雪


「あッ、やぁ、里中……主任っ!」

懸命に声を抑えても、甘い悲鳴が決して狭くない資料室に響き渡る。

「森くん……もうちょっと、声ガマンしてくれるかな……」

後ろから耳元で囁かれて、ついでに耳朶を甘く噛まれてまた声が漏れる。
必死に頷くものの、里中の大きな手が美雪の口を塞ぐ。
その指を噛んでしまわないようにくちびるをきつく結んだ。
だけど、里中の指がくねくねと美雪の中で動き回って、また薄く開いたくちびるから言葉にならない悲鳴がとめどなく漏れ落ちた。

「……悪い子だね、森くんは」
「ご……めんなさいッ……ああんっ」

美雪の中の、敏感な部分を的確に刺激され、膝ががくがくと震えた。
目じりからぽろぽろと零れた涙が、里中の指を濡らす。
泣く程イイんだ、などとまた囁かれ、羞恥と背徳が甘美なスパイスとなってさらに美雪を追い詰めた。
逃げられない。
もう、里中からは逃げられない。

*

「森くんは、僕のことが好きなんだよね……?」

そう聞かれた時の衝撃は今でもよく覚えいている。
動揺して、否定も肯定も上手く出来なかった。
確かあそこはカンタンテの薄暗いテーブル席。
一緒にカンタンテへ飲みにいったわけではない。
一人で飲んでいたら、里中がやっぱり一人で現れて、一緒にテーブル席に移動したのだ。
しばらくすると、ステージで春子が情熱的に踊り始めた。
会話を中断して、二人でそれに見入った。
ところがダンスが終わっても里中の視線は春子に吸い付いたままで、カウンターで一人でワインを煽る春子をそれはそれは熱心に、里中は見つめていた。
いたたまれなくなって、ワインを煽る。
手酌でもう一杯。
瓶のワインがどれだけ減っても、里中が気がつく事はなかった。
だいぶ酔いが回った。
勢いだった。

「……主任は、春子センパイに夢中ですね」

何気ない一言だった。
驚いて振り向いた里中の顔を、鮮明に記憶している。
その後、見た事もない表情で里中が笑った。
いつもの善良で人のよさそうな里中のイメージは一瞬で吹き飛んだ。

「森くんは、僕のことが好きなんだよね……?」
「…………えっ!?」

じっと覗き込まれて、逸らす事も出来ないまま数秒が経過した。
そうしてやっと、空になった瓶に彼が気がついたのだ。

「……飲みすぎだね、そろそろ帰ろう。送るよ」

スマートに会計をすませ、財布を取り出した美雪を軽くたしなめて、肩を抱いて里中は店を出た。
春子に見られていたかは、判らない。

あとは定石どおりだ。
確かに飲みすぎていた。ちょっと足元がおぼつかなかった。
判断力は低下していた。
そして、何より里中が好きだった。
求められれば、ノーという理由はない。
お茶でも、と部屋に上げたがヤカンを出す暇もなくくちびるを塞がれた。
自分の息が酒臭い自覚はあったが、里中は気にしていない様子だった。
行為の最中でもやっぱり里中は優しかった。
だけどそれは残酷な優しさで。

「嫌?」
「止める?」
「ダメ?」

何度も聞かれた。
その度に首を左右に振って、自分が望んでいるのだと自覚させられた。
確かに望んでいた。
だけど、こんな形だっただろうか?


行為が終われば里中はさっさと姿を消した。
一応、「帰っていい?」と美雪に判断をさせた後で。
ノーと言えない人種の彼女は、頷かざるを得なかった。
肝心なことは何一つ聞けないまま。
翌日も、里中は至って普通だった。
まるで何もなかったかのように。
穏やかな笑顔の向こうに分厚いバリケードを張って、人の良さそうな態度に本心を隠して、美雪に優しく接してはいるがそれは決して特別ではない。
春子にも浅野にも誰にでも平等な優しさ。

――夕べの事はなかったことなんだ。

またトイレにこもりたくなった。
だけど自分はもう社会人なのだから、と気を入れなおして、働く事にした。
それに、今度トイレに立てこもってまた春子が来て事情の説明を求められたら、何も言う事は出来ない。
幸いにも、適度に仕事は忙しく、里中を気にしている余裕はなかった。

*

数日が経ち、心の平穏を徐々に取り戻しつつあったある日、資料室へと探し物を頼まれた。
鍵は社員でないと扱えないから、と里中が一緒だった。
二人っきりになるのは嬉しくて苦しい。
あの日のことはなかったことなのだ。
二人とも酔っていたのだ。
里中もそれを望んでいる。
その証拠に、里中はさっさと帰っていき、その後もあの日の事が話題に出る事はない。
大人ならよくあることだ。
そう、自分を納得させようと努めていた。
なのに、名前を呼ばれて振り返ったらすぐ真後ろに里中が立っていて、ダンボールが沢山詰まったラックに追い詰められた。
すっと手が伸びて、顎を掴まれた。
動けないでいると、また急にくちびるが触れ合った。
驚きに目を見開いて彼を見つめ返せば、里中は薄く笑った。
カンタンテでの笑顔と同じだ。

「キスの時は目を閉じるものじゃないかな」

慌てて言うとおりにした。
二度目のキスはとても情熱的で、もしかして里中は自分のことを好きなんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。
だけど、違うのだと自分に言い聞かせる。
スキだったら、何か言うはず。
好きだったら、都合も聞かずこんな事しない。
里中主任は春子センパイに夢中……。
あの時の顔が忘れられない。

「ん、やっ……ここ、会社です……!」
「誰も来ないよ」
「そういう問題じゃなくて……」
「………………嫌なの?」

またこの台詞だ。

「僕の事、嫌い?」

なんてずるい。
首をゆるゆると左右に振る。
よかった、と心から安堵した表情で、里中が息を吐く。
胸が締め付けられた。
苦しい。
あんなに好きだったはずの笑顔。
今は理解不能なものでしかない。
でも身体は酷く正直で。
服の上から胸を揉まれて、先端に触れられてビクリと震えた。
いつの間にか背中に回された手が背筋を撫でて、器用にホックを外す。
抵抗なんて、出来ない。
望んでいるのだから。
上ずった矯正を漏らして、拒否のないことを伝える。
里中は嬉しそうに笑う。
勘違いなんて痛々しい事をしてはいけない。
だから、里中の与える熱に没頭する事にした。

*

「い、やっ、主任!」

過剰な快感に、思わず身を捩った。
里中の低い声が耳元で響く。

「いい子だから、大人しくして」

膝が震えすぎて身体を支えきれない。
いっそ座り込んでしまいたいのに、腰に回って下肢に伸びた里中の手がそれを許さない。
ラックに預けた両腕も、がくがくと震えている。

「君は、ココが感じるんだっけ?」

里中の指が美雪の敏感な部分を確実につつく。
甘い衝撃が足元から這い上がって駆け抜けた。

「んっ、やぁっ!!」
「可愛いね、森くん」

ぽたぽたと零れ落ちた涙と、秘部から溢れた蜜が床の色を変える。
うっすらと開けた目にその色が飛び込んで、慌ててまた目を閉じた。
とたん、急に腰を引かれた。

「入れるよ?」
「えっ、ちょっと、待って!」

美雪の悲鳴を無視して、後ろから熱いものが秘部に当てられる。
ぐいと先端が入り口に食い込み、いっそう大きな悲鳴が上がった。

「もうちょっと、力、抜いてくれるかな?」
「……んっ、ごめんなさい……っ、ああ!」

力を抜いた瞬間に、一気に突き上げられて全身が震えた。
目の前がチカチカと点滅して、里中を咥え込んだ部分がびくびくと痙攣しているのがわかる。
全身から力が抜けて、崩れ落ちそうになった腰を里中の腕が支えた。

「……いい子だね」

あやす様に囁かれ、首筋に吸い付かれてまた身体が熱くなる。
指先まで信じられないほどの熱を持って、里中が甘くずるく美雪の全身を支配した。

「しゅ、にんっ、あ、いやっ!!」

急に里中が動き始めた。
達したばかりの身体が逃げるようにくねったが、その程度では逃れられない。
律動にあわせて声が漏れる。
これではもっととねだっているようなものだ。
判っているけれど、どうにもならない。
肌と肌がぶつかりあう音と、ぐちゃぐちゃという水音が耳に響いた。
口に添えられた手の所為で息苦しくって仕方がない。
首を振ったがその手は美雪の口を塞いで離れない。
里中がますます動きを激しくする。
美雪の視界から世界が消えた。

*

森美雪に自分を重ねて見ている。
まっすぐで判りやすい彼女の自分への感情は、そのまま大前春子に対する自分のそれだ。
目が合えば逸らす事が出来なくなる。
すれ違えば視線が無意識に追いかける。
挨拶を交わすだけで飛び上がりたくなり、笑顔が向けられたらそれだけで心臓が跳ね上がる。
彼女の心理状態は手に取るように判る。
きっと大前にもこうやって何もかも見透かされているのであろう。

カンタンテから森の肩を抱いて帰ったあの日。
大前は確かにこちらを見ていた。
ドアの前でちらりと振り返れば、彼女と目があった。
何も言わずに大前は目を逸らした。
もしあの時、大前が自分を見たままでいてくれたら森を抱く事はしなかっただろう。
翌日でもその後でも、大前が自分にあの日のことを尋ねてくれたら、二度目の情事はなかっただろう。
東海林があんなにもあからさまに大前に好意を見せ続けなければ、自分は大前の気を引く作戦を練ることも出来た。

森の事は素直に可愛いと思う。
だけど、大前に対する気持ちと明らかに違うのだ。
誤魔化せないほど、違いすぎる。
だけど封じたはずのそれが重すぎて。
誰かを、苦しめたいという歪んだ欲求が抑え切れない。

森が悪いのだ。
何もかも受け入れるような顔でそこにいるから。
何もかもを拒絶する大前と、間逆な森が悪いのだ。


大前と森の契約終了まであと33日。
それまでに、この感情と関係に名前を付けようと決めた。

その間、森の気持ちは、絶対に想像しない。






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