秘密
飯田源兵衛×飯田ミヤコ


「お父さん、今、歌、歌ってました?安来節・・・。」
「いや、歌っちょらん。」
「ほんなら、夢でしょうか・・・。」

蜂に刺されたショック症状でたおれたミヤコは、フミエの活躍と横山の親切で
一命をとりとめ、夜になって意識をとりもどした。そばには源兵衛がいる。
心配を必死で押し隠しているらしい夫を、ミヤコはほほえんでみつめた・・・。

婚礼の夜。ミヤコは嫁ぎ先の飯田家の離れ座敷で、ひとりきりで
花婿の訪れを待っていた。
女たちの手で、重い花嫁衣裳を解かれ、じゅばん姿で、初めて来た家の
真新しい夜具の前に座っている自分が、現実のものとも思えない。
この時代の女にとって、顔を見たこともない相手と結婚し、子を産み、
その家の人間となっていくことは当たり前のことであり、ミヤコには
女としての覚悟と、そして生涯の伴侶となる男性へのほのかな期待もあった。
だが・・・。
この宵、初めて顔を合わせた花婿は、無骨で挙措も乱暴そう、仲間らしい
男たちを迎えるのに忙しく、ミヤコからの挨拶もろくに聞いていなかった。
何よりも恐ろしかったのは、その大声。

「おいあんた!そげな持ち方ではいけん!」

三々九度の杯を取り落としそうな大声で注意され、ミヤコの心はすくみあがった。
宴の間も、仲間や親戚の杯を受けるのに忙しく、大酒を飲んで気炎をあげ、
姑が気を利かせて退らせてくれなかったら、気分が悪くなるところだった。

月は雲に隠れ、暗い夜だった。
・・・遠い座敷から、まだ喧騒が聞こえる。

(今夜は、来ないかもしれない。)

それを期待している自分がいた。今すぐこの座敷を出て、下着姿のまま
家を抜け出し、実家に向かって駆け出す自分の姿が繰り返し頭にうかんだ。
父や母のなげき、一人前の女にもなれない自分への恥・・・。そして、さきほど
酒席でぽつねんとしている自分を助けてくれた姑の登志・・・あの人を悲しませ
たくない。夫を失ってから女でひとつで家業を切り盛りしてきた気丈夫なひと、
と聞いて恐れる気持ちがあったが、やさしいひとだった・・・。
心は千々に乱れたまま、こおりついたように動けないでいると・・・。

「ガラッ。」

襖があいて、源兵衛が入ってきた。

(もう、逃げられない・・・。)

絶望的な気分におおわれ、ミヤコは顔を伏せた。

「あーあ、がいに疲れたわ。」

羽織袴を脱ぎちらし、、ミヤコのそばにドッカリと座り込む。酒臭い息が鼻をついた。

「あんたも疲れただろ?今夜は・・・。」

源兵衛は、ミヤコが震えているのに気づいた。黒目がちの瞳は、今にも決壊しそうだ。

(困ったな・・・。)

源兵衛は、ミヤコを見るのが初めてではなかった。縁談が来た時、仲間に
そそのかされてミヤコの住む村までその顔を垣間見に行ったのだ。
黒目がちな瞳が印象的な好ましい娘で、おとなしい働き者と言う仲人口にも
うそはなさそうだった。源兵衛はひと目で気に入った。
好ましい娘を嫁に迎えるこの夜。うれしい気持ちを、仲間にからかわれるのが
照れくさく、わざと杯を重ね、怪気炎をあげて花嫁をほったらかしにしてしまった。
初めて嫁いで来たこの家で、どんなにか心細かったろう。母が面倒を見てくれた
ようだったが、花婿の自分は、どうやら嫌われてしまったようだ。

下着姿で、新床にいるミヤコは、まな板の上のコイのようなもので、源兵衛が
その気になれば手折るのはたやすいことだ。正式に夫婦になったのだから、誰にも
非難されるすじあいはない。
だが、源兵衛は無体なことはしたくなかった。村の青年たちや仕事のつきあいで、
女を知らぬわけではなかった。しかし、そういう女たちと花嫁はちがう。
女房とは仲むつまじく、子をたくさん産んで家を守ってもらい、苦労してきた
母にもやさしくしてほしかった。初めてのこの夜、無理やり身体を奪うことから
長い結婚生活を始めたくはなかった。

「やすぅ〜ぎぃ〜めい〜ぶぅつ〜」

源兵衛の口から、安来節が流れ出したのは、その時だった。
ミヤコが、びっくりしたように顔をあげて、源兵衛の顔を見た。源兵衛がにっこり
笑った。あたたかい笑顔だと思った。自然に、ミヤコの口からも歌が出て、
ふたりで声を合わせて歌った。なつかしいふるさとの歌が、ふたりの心を
むすびつけた。

「これから、よろしくな。」

源兵衛が頭をさげた。ミヤコもあわてて三つ指をついて深々と頭をさげた。
・・・その手を握り、源兵衛が自分の方に引き寄せる。広い胸に、初めてミヤコは
抱かれ、不思議なやすらぎを覚えた。

下着姿のままふたりは抱き合って床に横になった。源兵衛が口づけてくる。
浅いものだったが、初めての濡れた感触にとまどい、ますます身を固くしていると、

「あのな、今日は飲みすぎて役にたたんけん、これ以上は明日のことにしよう。」

そう言ってミヤコの頭をなで、ギュッと抱きしめた。骨細できゃしゃな身体の
やわらかさに、とても離すことができなくて、もう一度口づける。
抱きしめられ、ミヤコの前に源兵衛の固い感触があたった。ミヤコもまったく
知識がないわけではない。源兵衛が自分を欲しながらも、生娘のミヤコを気づかって
今夜はがまんしてくれようとしているのがわかった。
口づけがだんだん深くなり、ミヤコが思わずあえいだ。源兵衛が唇を離すと、
黒目がちの瞳がもの言いたげに見あげてくる。

「やっぱり・・・今夜、抱いてもええか?」

がまんできずに問う源兵衛に、

「・・・はい・・・。」

ミヤコがうなずいた。
源兵衛は、はやる気持ちを抑えながら、ミヤコの帯をとき、襦袢を脱がせた。
自分も下着を脱ぎ、そっと身体を重ねる。下着の上からでもここちよかった肌身が
直接ふれあい、自分が自分でなくなりそうなほどの欲望がつきあげた。
口を吸い、まるく柔らかい乳房を無骨な手でつつんでやさしく転がす。手のひらに
あたる乳首がこりこりと固くなる。無意識に身をよじって逃げようとするミヤコの
肩を抱いて動きを封じ、桜色の乳首を吸った。

「あ・・・あぁ・・・ん・・・。」

こみあげる快感に、ミヤコが声をあげる。源兵衛がミヤコに深く口づけながら
茂みに手をやると、そこはあたたかく、しめっていた。さら奥をさぐり、
広げようとすると、口づけに夢中になっていたミヤコが、ぴくりと震えた。

「ちっと痛いが、がまんしてごせ。」

羞じらいの強い両腿をひらかせ、たかぶりをあてがった。抱きしめながら少しずつ
奥へ進む。下から肩にすがる手が、痛いほど強くつかんでくる。

「じりじりやっとると、かえってつらいけん、一気にいくぞ。」

強く口を吸われると同時に、奥まで貫かれる。痛みに思わず唇をはなして声を上げた。
源兵衛は、なだめるようにほおに口づけると、

「早く終わらせてやるけん、がまんしちょれよ。」

遠慮がちに腰をつかい始めた。破瓜のいたみにさいなまれるミヤコがかわいそうだ
とは思うが、ここまできてやめることはできなかった。
好きな娘と初めて結ばれたこの瞬間を、急いで終わらせるのはもったいなかったが、
ミヤコのために急いで快感を追う。だが、そんな努力は必要ではなかった。
魂を吸い取られるようなこころよさに、源兵衛はミヤコの中で果てた。
・・・しばらくは動くこともできず、息をととのえた。そっと身体をはなすと、
横になってミヤコの肩を抱いた。ミヤコのほおに静かに流れる涙をそっとぬぐってやる。
自分のために花を散らした新妻が、いとおしくてならなかった

「あのな、ひとつ・・・たのみがある。」
「・・・はい?」
「わしも、生まれた時から源兵衛という名ではない。子供の頃は、建蔵と
呼ばれておった。12歳の時、親父が死んで、代々の名を継いで源兵衛と名乗った。
今では誰も建蔵と呼ぶものはおらん。おふくろも、スジをとおす人だけん、
元の名は呼ばん。・・・だが、あんたは、建蔵と呼んでくれんか?」
「はい。・・・建・・・蔵さん。」
「おう。」
「建蔵さん。」
「だらっ。用もないのに何度も呼ぶな!それからな、これは閨(ねや)のなかだけの
ことだぞ。決して昼間そう呼んではいけん。これはわしとお前だけの秘密だぞ。」

ふたりだけの秘密・・・。自分の口から出た言葉に照れ、源兵衛はミヤコの唇を奪った。
ミヤコもつたないながら応えてくる。それはもう、奪う奪われるものではない、
共犯者の口づけだった。ミヤコのかわいい舌が源兵衛のそれと出会い、からみ合う。
若い源兵衛がふたたび勃然となるのも自然のことだった。

「も、もういっぺん、ええか?」

たまらずに問うと、ミヤコの返事も聞かずに襲いかかった。

「あ・・・けん・・・ぞ・・・さ・・・。」

ミヤコは必死で源兵衛の広い背中にすがりつき、熱にうかされたように、いとしい
夫の名を呼びつづけた。
いつの間にか雲間から顔を出した月が、睦みあう二人をやさしく照らしていた。

「祝言の日に、私、お父さんに初めて会ったでしょ。ほんとはあの晩、親の家に
逃げて帰ろうと思っとったんですよ。お父さんが恐ろしくて・・・。私がずっと
黙っとったら、お父さん、安来節、歌ってくれましたよね。」
「そげだったかな・・・。」
「忘れたんですか?・・・建蔵さん。」
「だ、だらっ。子供やちに聞かれたらどげする?」
「ここは閨のなかですけん、約束はやぶっとりませんよ?」

源兵衛は浅黒い顔を赤黒くすると、苦しまぎれに安来節をうたいだした。ミヤコも
声をそろえて、小さな声でうたった。

歌声にさそわれ、その様子を、ユキエとフミエがのぞきこんだ。

「お母さん、あれでけっこう幸せなのかもしれんな・・・。」

ユキエが心底驚いたように言った。

(私もいつか、あげな幸せな顔ができるような、ご縁に出会えるだろうか・・・?)

フミエの胸に、まだ見ぬその人への淡いあこがれがぽっと灯った。






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