しだれ髪
村井茂×村井布美枝


生暖かい湿気た風の吹く夜。
にゃ〜にゃ〜と、先ほどから甘ったるく鳴く猫の声が止まない。
雄が雌に求愛している声なのか、雌が雄に愛を告げている声なのか。
生きとし生けるもの、異性を求める本能には逆らえない、ということか。

「暖かくなると発情するのが犬猫だが」

長い黒髪を櫛梳く布美枝の背後で茂が呟く。

「人間は年がら年中発情する困った生きモンだ」

そう言うなり、後ろから茂の腕が布美枝の腰に廻り、引き寄せられて胡坐の上へ座らされた。

「きゃっ」

困った困ったと言いながら、全くうらはらに布美枝のうなじへ唇を寄せる。

「…ん」

身を捩って小さく喘ぐ吐息。抱き寄せた腕は、布美枝の抵抗などものともしない。
顎を使って肌蹴させた寝間着の隙間から、肩へ舌が滑る。

「…ふっ…、ゃ…」

茂の愛撫はいとも簡単に布美枝の内側へ火を点ける。
求められる悦び、脱ぎ捨てる羞恥心、それらの感情に少し躊躇する理性。
右腕だけの力強さで、圧倒される我が身の頼りなさが情けなくも可笑しく、
唇が触れるだけの摩擦で、字のごとく骨が抜かれたようにふにゃりとくずおれる。
うっとりとこのまま身を預けようとした、そのとき。

「…っくしゅ!」

背後で茂が大きなくしゃみをした。

「だ、大丈夫ですか?」
「ん、髪で鼻をくすぐられた」
「あ…すみません」

ぐしぐしと鼻をこすってから、くんくんと布美枝の髪の香りを嗅ぐ。

「…あんた、こげな長い髪うっとおしくないのか」
「え…いえ。昔からずっと…短くしたことないですけん。慣れとります」
「ふうん」

ちらりと後ろを見やると、唇を尖らせてしげしげと布美枝の後ろ髪を眺める夫の顔があった。

「…見苦しい…ですか?短い方がええ、とか」
「いや、手入れが色々面倒そうだけん。女というものは大変だな」

茂らしい答えだと思った。くすっと笑って、布美枝は茂の正面に向き直って座る。

「…長い方が…好き、です、か?」

窺い目線で、下から見上げた。
真意を測りかねた茂が一瞬きょとんとして、しかしすぐに照れたように顔を背けた。

「どっちでもええわ」

愛想のない言い方はいつものことだけれど、やはりがっかりする。
幼い頃から背の高かった布美枝は、少しでも女らしさを前面に出すために、
髪だけはずっと伸ばし続けていたのだ。

「ぼくねんじん…」

口の中だけで呟いた。茂は「ん?」と聞き返すが、今度は布美枝がぷいと横を向いた。
事情の判っていない朴念仁は、再び布美枝の長い髪を観察するように見つめ、
何を思ったか、すい、と後ろ髪を持ち上げて、確認するようにうなじのあたりを眺め始めた。

「な、何ですか?」

再び始まるのかと思った愛撫が、どうやらそうではないことに布美枝は戸惑って、
肩をすくめて茂の右腕を押し戻した。

「いやぁ、口が隠れておらんかなと思って」

いたずら小僧のような、にんまりした笑顔で茂はまだ布美枝の後頭部を気にしている。

「口?」
「二口女というのを知っとるか?」
「ふたくちおんな?」
「髪に隠して、頭の後ろにもう一つ口がある女の妖怪だ。普段は大人しい女で、
全く食いもんを口にせんが、夜になるとその後ろの口でバリバリムシャムシャ…」

身振り手振りで話す茂の怪談に、思わず身の毛がよだつ布美枝だったが、
ふと考えて、自分が「一反木綿」以来の妖怪に、再び例えられていることに気づき、むっとした。

「もうっ!!」

どしん、と茂の胸を突き飛ばし、身体ごとそっぽを向く。

「なしてあたしは妖怪ばっかりなんですか!」
「あははは、冗談だ。いや、もし本物なら先に言うてくれ」
「そげなわけないでしょ!」

けらけらとまだ笑っている。口を窄めて布美枝は布団へ潜り込んだ。

結局男には判らないのだろう。女が髪を伸ばす理由など、着飾って褒めてもらいたい見栄が大半だ。
それを妖怪にしか例えられない、この変人のセンスには未だに慣れなかった。

「おい」

布美枝を覗う声にも、まだ笑いが残っている。
答える代わりに、ぎゅっと布団の中で身体を丸めた。
けれど、茂はおかまいなしに、するりと褥に入り込んでくる。こういうところが憎らしい。
背中から抱きしめられる。後ろ髪を避け、首筋に舌が這う。
悔しくも感じてしまう素直な身体が、茂以上に恨めしい。

「…後ろの口で噛みつきますよ…」

ぷっと吹き出したのが判った。「恐ろしい」耳元で囁かれる。

「けどな…」

さらさらと、背中に伸びる髪を撫でられながら、時折それに唇が触れる。

「女の髪は、昔から古典やら文学やらでちょっこし謎めいて描かれることが多いけんな」
「え?」
「二口女もそうだが、幽霊や妖怪の女たちはみーんな長い髪をしとる」
「…ああ…そげ、ですね」
「だけん、俺は昔から…長い髪の女の怪しげな…」

そこまで言って、茂は布美枝に覆いかぶさった。
重ねられるまま、唇を受け止め、舌の侵入を許す。
そしてその舌に絡められるまま、それに応じ、甘い吐息をこぼす。
どんどん注入される淫らな媚薬に、脳も身体も蕩けはじめる。

ようやく離れた唇は、何も語らないままゆっくりと布美枝の胸の頂へと降りていく。
さっきは何を言おうとしたのだろう。じれったく身を捩る。

「…な、た?」

胸元に潜る茂の顔を、肩でちょんちょんと合図して見下ろす。
肩に傾れる髪の先に口づけてから、茂は布美枝の頬へ戻ってきた。

「怪しげな…何?」

ふっと微笑って、耳を舐られ、くすぐったさに目を閉じる。

「妖艶…という言葉を知っとるか。妖しい、艶やかさだ」
「ん…」
「艶やかというのはまあ、色気のようなもんだな」
「あ…!」

素知らぬふりで太腿の間に挿し入った右手に、下着の上から粒を探られた。

喋りながらも、舌は布美枝の肩を這い、右手は下着の中で蠢く。
乳房の先端を捕えられ、舌の上で弄ばれる。硬くなっていく蕾を、舌先で弾かれる。

「あっ…」

理性的に茂の言葉を聴いていられるのは、もうこのあたりまでだと思った。

「妖怪の女は艶やかさがある。そげ思わんか」

口の片端を上げて、愉快そうに布美枝を覗う。

「わ…わかりま、せ…」
「あんたは鈍いなあ」

呆れたという顔で小さなため息まで吐かれた。けれど下半身への愛撫はそのままだった。

「鈍い…って…」

顔を赤らめて、布美枝は口を尖らせた。眉はハの字になっている。

「…だーっ、もう要するに!俺は昔から長い髪の女に色気を感じる傾向にあるということだ」

浮き上がった布美枝の細い首の筋へ、舌を滑らせながら唇で吸い付く。
それはどこか、照れ隠しのための茂の逃げの一手でもあるかのようだった。

わざと乱暴気味に下着を剥ぎ取り、指で引っ掛けるようにして中を弄られる。
ちょうどそこは、最も敏感な性感帯だったようで、布美枝の細い身体がびくんと撥ねた。

「っふぁっ…!」

「ああ、そげだ」

愉しげに目を細め、快感に震える布美枝の中を探る。

「あんたにも口がもうひとつあったな」
「え…?ぇ…?」

にやりと笑って、茂は布美枝の視界から消えた。

「あっ…!」

茂曰く、布美枝のもうひとつの「口」へ、激しい口づけが落とされる。

「や、やだ…!い…ぁ…ぁ」

繁みの中の、そのまた花冠に埋もれているピンク色の芯を、尖った舌に刺激される。
するとそれはいとも簡単に布美枝を決壊させる威力で以て、泉の水を溢れさせた。
潤沢な淫液を湛えたその場所へ、指が、舌が、容赦なく出入りを繰り返す。

濡れた音の響きが呼び起こす、もっと淫らな内側の欲。

「んっ…はぁっ…!や、あ、あ、…ぃ、ゃあ…」

気づかぬうちに引き出される嬌声は、嫌なわけじゃないのに勝手に嘘をつく。
けれど茂は知っている。布美枝の「嫌」は、独りだけ頂点へ持ち上げられるのが「嫌」なだけだと。

上半身を起こした夫を、愛しく抱きしめる。
硬く主張する雄の陽根を、潤いの中へ滑り込まされ、あまりの快感に声も出ず仰け反った。

「…っ…」

眉根を寄せて一瞬身体を強張らせた茂が、二度三度、軽い口づけを落とす。

「ええ、な…あんたの、下の、く、ち…」

不敵な笑みを浮かべて、冗談めいたことを言う。

「噛み千切らんでくれよ」

思わず布美枝は、両手で茂の口を覆った。

「もうっ…!」

こんなときにさえ情緒のないことを口にする茂を、じとっと睨みあげた。

ゆっくりと律動を刻まれる柔らかな女体が、為されるがままに揺れていく。
黒髪は白い敷き布に放射状に広がって、揺さぶられる身体に付いていくだけだ。

「んっ…!あ、あ、んっ……ん、ぁ」

湿った熱の喘ぎ声が、茂の抽出に合わせて洩れていく。

半開きの布美枝の唇に、茂の節ばった指が二本差し入れられた。

「んんふっ!…ぁ、はっ、ん、む…!」

夢中で舐った。呼吸など忘れそうなほどに。
しばらくしてその指を抜き取ると、茂は布美枝に両腿を抱えるよう指示した。

されるままに従うと、自分の唾液を塗りたくった指で、花の芯を摘み捏ねられ始めた。

「ぁつ…っ!…、っ!ん!…あああぁ!」

ばさばさと、乱れる髪にも気を使えず、首を振って身を捩る。
一層強く打ちつけられる腰の動きに、ひくひくと雌の場所が痙攣する。

「き…っ、つ…」
「はあっ、ああ、…っ、あなたぁ…」

悶えるうちに茂を呼べば、必ず口づけで応えてくれた。
遠のいていく意識の中に、最高の悦びの瞬間が近づく。
茂が顔をしかめながら、再び布美枝の口へ指を突っ込んだ。

「んんっ!」

自分の愛液の味を初めて知った布美枝は、やがて涙のうちに自らの全てを解放した。
同時に爆ぜる茂の熱を、しっかりと呑み込みながら。

― ― ―

「霊能力者の髪には神通力が宿っとると言われるけんな。髪は昔から神秘的なもんなんだ」

烈しさのあとの静寂に、ふたりはゆったりと身を沈めていた。
布美枝の髪を手櫛で梳きながら、茂が静かに話してくれる。

「平安の女は顔より髪の美しさで美人かどうか判断されとったくらいだしな」

今夜はやたら饒舌な茂が、なんだか少し可笑しくて、布美枝は茂の胸の中でふふっと笑った。

「ん?」
「あ、いえ…。今日はやけに…語るな、と思って」
「だら。そげならもう黙るわ」
「でも…」

思い出して布美枝は、少し頬を染めながらまた、ふふふと笑った。

「…なんだ」
「…貴方の女性の好みって、幽霊や妖怪みたいな人なのかな、と思って」
「うむ?んー…まあ、小さい頃からそういう絵ばっかり見て育っとるからな」
「あたしは…一反木綿で、二口女、なんですよね?」
「うん?」
「だけん、少しは、貴方の好みなのかなあ、と思って」
「…」
「髪も長いし?」
「あー、あー、もう、寝るぞ!」

あからさまに照れた顔で、茂は布美枝を胸の中へ埋め込み、布団を被りなおした。
可笑しさに、笑いを堪えきれない布美枝は、小刻みに身体を震わせた。
ごほんと大きく咳払いをして、またひとつぐっと抱きしめられる。

否定をしない肯定が、きっと、不器用な夫の最大限の言葉なのだろう。
布美枝は微笑んで目を閉じた。
するすると梳いてくれる、彼の無骨な右手から伝わる、愛しさの欠片を感じ取りつつ…。






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