見巧者
村井茂×村井布美枝


「遅いなあ・・・。」

時計の針は、十時をまわっている。今日の午前中、雄玄社の本社社屋で行われる漫画賞の
授賞式に出席するために出かけた茂は、夜になってもまだ帰ってこなかった。
ちゃぶ台の上には、フミエの心づくしの祝いのごちそうが、所せましと並べられている。
太ったギョウザ、ちらしずし、春雨の炒め物、ふかし芋・・・茂の好物ばかりだ。とりわけ
太ったギョウザは、初めて大手の雑誌社から依頼された仕事に乾坤一擲の勝負をかけた
茂のため、少しでもスタミナをつけてほしいとフミエが知恵を絞った思い出の料理だった。
茂が帰ってきたら一緒に箸をとろうと、フミエは夕食を食べずに帰りを待っていた。
小さな藍子は、ギョウザをおいしそうに食べた後、とうに眠りについている。

「おなか、すいたなあ・・・。」

思わずおなかをさすり、また時計を見る。

(豊川さんたちと、どこかで祝杯をあげとるのかもしれん・・・。)

茂は全くの下戸なので、祝杯と言うわけでもないだろうが、よく考えたら、これだけ
大きな賞を獲った人間を、周りが放って置くわけがなかった。

(どこか高級なお店に招かれて、ごちそう食べとられるのかもしれんね・・・。)

急に、目の前のごちそうがみすぼらしく見えてきた。
雄玄社から、今までの貸本漫画の常識では信じられないような額の原稿料が振り込まれる
ようになってからも、結婚以来の貧乏暮らしで培われたフミエの経済観念はそう簡単に
変わるものではなかった。

「外ですまして来られるかもしれん。固くならん様に、ふきんかけとかんと・・・。」

茂を送り出した後、ご馳走の文字通り買い物に奔走して、一生懸命作った料理の数々は
すっかり冷えて、固くなり始めている。
今朝、仕立ておろしのスーツに身をつつんだ茂に、晴れがましさと同時になんだか
まぶしさを感じて目を細めたことを思い出す。なんだか急に茂が遠くへ行ってしまった
ような気がして、寂しさに胸を衝かれた。

この家に初めてひいた電話が、茂が『テレビくん』で雄玄社漫画賞を受賞したという
嬉しいニュースをもたらしたのは先月のことだった。
電話を受けた茂が、切った後も茫然としているため、フミエは(もしや打ち切り?!)
と固唾をのんで茂の言葉を待った。

「俺に・・・賞をくれるそうだ。雄玄社漫画賞という・・・一年に一回しかない、立派な賞だ。」

「まあ、俺がこういう賞をとるのは、当然の結果だがな。」

茂はそう言って胸を張ったが、少し声が震えていた。そして、フミエがどんなに驚くか、
飛び上がってダンスでも踊りだすのではないかとその顔をうかがった。だが、フミエは
質屋から戻ってきた品物の山に埋もれたまま、静かに微笑んでいるだけだった。

「・・・なんだ、お前、驚かんのか?」
「必ずこういう日が来ると思っていましたけん・・・。信じられんとか、夢のようだとかは
ひとつも思わんです。お父ちゃんは、それだけの努力をしてきたんですけん。
やっと・・・来るべき時が来たんですよ。」

フミエの表情や声は静かだが、顔は誇りと喜びに輝いていた。茂と言う男に全幅の信頼を
置いていることが、フミエをどっしりと落ち着かせていた。

(こいつ・・・案外、大した奴だな。)

茂は感心して声も出ず、フミエの顔を見つめていた。この女房は、普段は内気で従順、
平凡を絵に描いたような人間だが、ここぞと言う時は、茂よりよっぽど肝がすわっている
ところがある。こみち書房での読者のつどいで、茂をなじった父に立ち向かっていった時、
貧乏のどん底でお腹にやどった子供を「産みます。」と言い切った時・・・。
結婚以来、二人はたびたびギリギリの崖っぷちに立たされて来た。フミエの肝っ玉は、
本当に追いつめられた時だけ発揮されるものだけに、自分のために何度もそんな危機に
妻をさらして来てしまったことに胸が痛んだ。

授賞式はひと月あと・・・。フミエはもうその時の心配を始めた。着ていくものは・・・、
散髪は・・・。相変わらず身なりに全然かまわない茂に、なんとしても授賞式にふさわしい
装いをしてもらわなくてはならない。
質屋から請け出した背広は、もうすっかり型くずれしており、とても晴れの席に着て
行けるようなものではなかった。名誉な賞を受けるのに、茂をみすぼらしい格好で
列席させるわけには行かない。フミエは清水の舞台から飛び降りるようなつもりで
新しい背広をあつらえた。

明日は授賞式と言うその夜。茂はいつもどおり週刊連載のしめ切りに向けて仕事を
したが、明日の昼過ぎから行われる式に余裕を持って向かえるよう、いつもより早めに
床についた。

(お父ちゃん、眠れんのかな・・・。)

フミエは、布団に入ってからずいぶん経っても、隣りの布団で輾転反側しているらしい
茂の様子を、気づかれないようにそっとうかがった。

(明日のことが、不安なんだろうか・・・?)

ひょうひょうとして楽天的で、物事にとらわれないように見えるが、苦労に苦労を
重ねてきているだけに、茂には現実的で用心深いところもあった。うまく事が運びすぎて
いることが不安なのか・・・それとも、明日、今まであまり縁のなかった日の当たる場所で
ひとびとに囲まれることに気後れがあるのだろうか・・・。
今までの漫画家人生において、茂は貸本漫画の版元に、なじられ、馬鹿にされ、
原稿料を踏み倒され・・・言うに言われぬ辛酸を嘗めてきた。春田図書出版という出版社に、
熱を出した茂の代わりに原稿を届けに行った時、フミエは夫が今まで外でどんな屈辱を
受けてきたかを知り、人知れず涙を流した。今、晴れの舞台を前にして、茂がいつになく
神経質になっているのかと思うと、フミエはいたましくてたまらない気持ちになった。

「はぁ・・・。」
「・・・ん?なんだ、お前まだ起きとったのか?」

頭の後ろに腕をかい、天井の一点を見据えて難しい顔をしていた茂が、フミエのため息に
気づいてこちらを向いた。

「・・・なんか、興奮してしもうて、眠れんのです。」
「だら。お前が賞をもらうわけでもなかろうに。」

そう言いながらも、茂の難しい顔はゆるみ、破顔していた。

「だって・・・明日、ちゃんとネクタイ結べるかなあ・・・とか思うて。」
「そげなもん、ちゃちゃっと結んどいたらええんだ。」
「婚礼の前の晩に、兄が教えてくれたんですけど、お父ちゃん、ちぃっともスーツなんか
着ることなかったけん、忘れてしもうたかもしれん。」

・・・これは嘘だった。フミエは受賞が決まってから、数え切れないほど何度も、ハンガー
を相手にネクタイを締める練習を重ねてきている。

「あげな堅苦しいもん、できれば着とうないわ。」
「いけんいけん。明日は頭の先から足の先までビシィッと、ええ男になってもらわんと。」
「何を言っとる。七五三じゃないんだけん、あんまりいじくりまわさんでくれよ。」

爪きり、ひげそり・・・身体の手入れをされることが何より嫌いな茂は、明日フミエに
どんな拷問を受けるのかと思うだけで鳥肌が立った。

「俺はそもそも、卒業式だの紀元節だの、堅苦しい式は大嫌いなんだ。子供の頃は、
式典の時に奇想天外な屁でみんなを楽しませ、一躍英雄になるという楽しみがあったが、
今度はそうもいかん。それに・・・。」

茂はちょっと暗い顔をした。今夜の茂はなんだか饒舌だ。こんな時は、普段語らない
心情をぽろっと洩らしてくれる・・・フミエはただじっと聞いていた。

「俺は、誉められるいうことに慣れとらん。学校でも軍隊でも、罵詈雑言を浴びせられ、
貸本漫画家になってからも、出版社からは疫病神あつかいを受けてきたけん・・・。
それが突然、高い所に引っ張り出されて、阿諛追従を奉られるのは、どうにも
こそばゆくて、我慢できそうにないわ。」

やはり、明日晴れがましい場所に出ることに戸惑っているのか・・・、フミエがそう思って
いると、茂はさらに悲観的なことを言い出した。

「なあ・・・俺、ちょっこし考えたんだが・・・。今度の賞って、誰が選んだんだろうな?」
「・・・雄玄社のえらい人じゃないですか?」
「雄玄社のえらい人・・・漫画部門でえらい人ゆうたら、ランド編集長の豊川さんだろ?」
「まあ、そげですね・・・。他には社長さんとか・・・。」
「ちょっこし、おかしいと思ってな。鬼太郎の読みきりはランドの人気投票ではいつも
ビリッケツだったし・・・連載もまだ始まったばかりだ。」
「賞をいただいたのは『テレビくん』でしょ?」
「『テレビくん』は、一回こっきりの読みきりだろ?実績もないのに、いきなりこげな
大きな賞をもらってもええもんかな?」
「『俺がこげな賞をもらうのは、当然だがな。』と言うとられたじゃありませんか。」
「俺は、自分の描いたもんには絶対の自信がある。・・・だが、今度の賞はちっと早すぎる
気がするんだ。」

せっかく大手の雑誌で読みきりが載るようになった鬼太郎だが、読者の人気投票で
連戦連敗をかさね、「打ち切り」の憂き目を見そうだったのはつい数ヶ月前のこと。

「同じことばかりやっていては少年アワーには勝てない!」

編集部の反対を押し切り、豊川は鬼太郎の連載を強硬に開始した。テコ入れの意味で
茂にお手盛りの賞を与え、箔をつけたかったのではないか・・・。
のんびりしているようで、茂の現実を見抜く眼はするどい。茂が今度の受賞のウラを
そう分析しているらしいことは、業界の事情にうといフミエにもわかった。

「・・・くれる言うもんは、もらっといたらええじゃないですか?」

いつもは謙虚でおとなしいフミエの意外な言葉に、茂はギョッとして思わず顔を見た。

「世の中には、権威によわい人も多いですけん、賞をもらった作家の作品と思えば、
今まで見過ごしとった人も、読んでくれるかもわからん。」

茂の風刺漫画を地でいくような現実的で鋭い洞察に、茂は内心舌を巻いた。

「それに・・・あなたの漫画をええと言い続けてくださっとる方が、少なくとも
三人おるでしょ?」
「うむ・・・。戌井さんに深沢さん・・・それに豊川さんもだ。」
「戌井さんの漫画にかける情熱は誰にも負けんし、深沢さんは新しい、いい漫画を
発見して世に出したいと努力しとられる・・・。豊川さんも、ライバル誌を追い抜くため
には、斬新で面白い漫画をいつも探しとると言うとられました・・・。」
「三人とも、漫画の見巧者だな。」
「みごうしゃ・・・って何ですか?」
「芝居なんかを見慣れとって、その良し悪しがわかる人のことだ。見るのが巧い人、
言うことだな。」
「その三人が、あなたの漫画を認めとるんですけん・・・。」
「・・・ああ。俺がうじうじしたことを言うとったら、三人に失礼だな。」

三人に初めて会ったときの事を、茂は忘れていなかった。富田書房でふと目にした
茂の原稿に魅かれ、全作品を読破して、興奮のあまり自宅まで押しかけてきた戌井。
原稿を売り込みに来た茂を「待っていたよ。」と歓迎し、すぐに仕事をくれた深沢。
茂の才能に惚れこみ、一度断られたにもかかわらず、周囲の反対を説き伏せて、再度
依頼に来てくれた豊川・・・。三人とも、得がたい茂の理解者であり、恩人だった。

けれど・・・。いちばん近くで、いちばん茂を理解し、応援していてくれる人間がいる
ことを、茂は忘れていなかった。今も、思い出すたび心が熱くなるあの告白・・・。

「おまえ、いつだったか、親父さんに食ってかかったことがあったな。俺のことを
『うちの人は本物の漫画家ですけん!』言うて。」
「・・・いやだ、そのことは忘れてくださいと言うたじゃないですか。」
「いやあ、忘れられんな。あげに怖い顔したお母ちゃん見るのは初めてだったけんな。」
「もぉー、ひとが真面目な話しとるのに・・・。」

からかわれて、フミエはほおをふくらませた。

(忘れてなんぞ、やるもんか・・・。)

あれは結婚してから1年も経たない、秋の北風に枯葉の舞うさむざむしい日のこと。
貸本漫画屋のサイン会で、景品で人を集め、茂の漫画に人気があるように見せかけた、
その根性が気に入らんと、岳父に大声でなじられた。ひと言も言い訳をしない茂に寄り添い、
その一喝に家中がふるえあがるほどの父親に、フミエは必死で立ち向かっていった。

『うちの人は小細工なんかせんですよ。私はよう知っとります。この人が精魂こめて
描いとるとこ、私が一番近くで見とるけん。・・・うちの人は、本物の漫画家ですけん!』

フミエが自分に寄せる尊敬と信頼が、これほどのものとは、茂は正直感動してしまった。
自分は好きで漫画を描いているのだし、そのおかげでフミエには大変な苦労をかけている。
フミエの世代の女が、夫をたて夫に従うことは珍しいことではないが、フミエの場合は
それだけではなさそうだ。それは、つまり・・・、

(俺に、惚れとるけんだ!!)

茂の心に、失いかけていた自信がむくむくと湧きあがって来た。一人の女に、全身全霊を
かけて愛されるということは、男にこれほどの自信を与えるものか・・・。

「ねぇ、お父ちゃん・・・さむい・・・。」

フミエが、掛け布団が重なっている中を擦り寄って来て、茂の胸に顔をうずめた。
茂の足に足をからめ、温めるようにすりすりとこする。だが、寒いと言いながら、
その足はちっとも冷えていなかった。

(ぷっ・・・誘っとるんか、こいつ・・・。)

二人が肌を合わせる時は、ほとんどと言っていいほど茂の求めから始まることが多かった。
フミエから誘うとは珍しいこともあるものだが、慣れない事はしない方がいいもので、
足をすりすりする以上のことは出来ず、困っているらしいフミエを、茂はほほえましく
思った。

(もしかして・・・俺を慰めてくれようとしとるのか?)

それなら、慰めてもらうとするか・・・。据え膳食わぬはなんとやらだ。だが、茂はわざと
意地悪くフミエに聞いた。

「おい・・・明日は大事な日なんじゃないのか?」
「だって・・・眠れんのですもん。」
「ふうん・・・疲れさせてほしいのか?」
「もぉ・・・。」

笑いながら茂が唇をかさねてくる。もう数え切れないほどの夜をともにして来た二人
だけれど、はじまりの口づけは、フミエをいつもドキドキさせる。

「んっ・・・ふぅ・・・ぅうん・・・。」

伸びかけたひげにゾリッとあごをこすられ、ぞくりとした戦慄が背にはしる。これだけで
身体の芯がとろけ、濡れてくる自分は、どれだけこの男のことが好きなのかとあきれる。

(明日の朝、ひげ、剃らんといけんな・・・。)

頭のすみに浮かんだそんな考えも、肌をまさぐる茂の手にかき消されていく。

「はぁ・・・はぁ・・・ぁ・・・。」

温かい床の中で、激しく口づけあいながらお互いの帯を解いた。上になったフミエの
乳房を、茂が下からむさぼると、フミエはいとおしくてたまらないと言うように、茂の
頭をかき抱き、四肢をつらぬく快感に耐えた。
茂の手が下着にかかると、フミエは腰を揺すってずり落とす手助けをした。臀の方から
挿し込まれた指が谷間を探り、太腿までを濡らすしたたりをからめて前後にさすると、
フミエはこらえきれないあえぎを洩らして茂に身体をこすりつけた。
臀のまるみを撫でながら手をすべらせ、茂がフミエの左脚を持ち上げた。濡れた狭間に
漲りきった雄芯の筒先があたる。フミエは思わず我が身をくねらせてそれを呑み込もうと
した。

「・・・今日のお母ちゃんは、激しいな・・・。」

茂が少し笑って、腰を引き寄せてぐっと突き入れた。

「や・・・ぁぁっ・・・。」

数え切れないほど何度も受け入れた雄根だけれど、貫かれる瞬間はいつも初めてのように
新鮮だった。やがて訪れる充足・・・苦悶・・・狂乱・・・恍惚・・・。どんなに馴染んでも、
狎れることのない愛の責め苦がフミエを待っていた。

「・・・あっつ・・・。」

フミエは掛け布団をはぎ、肩に引っかかっていたゆかたを脱ぎ捨てた。

「なんだ・・・寒いゆうとったくせに。」

今日はなんだかフミエに押され気味の茂は、フミエの大胆さに内心驚きながらも、
いつもの様にフミエをからかうことは忘れなかった。
そんな茂の唇を上からふさぎながら、フミエは身体をくねらせた。

「んむ・・・ん・・・んんっ・・・。」

自分で自分の動きに感じてしまったフミエに夢中で唇を吸われ、茂はうめいた。

「ぷはーっ・・・。お母ちゃん、もっと優しうたのむわ・・・。」
「だ・・・って・・・ぁ・・・ん・・・ぁ・・・。」

フミエはもう無我夢中で腰をうごめかせ、茂の肩につかまってのどを反らせた。大きく
開けた口は呼吸を求めて激しくあえぎ、しきりに悦びをうったえた。

「だめ・・・しげ・・・さ・・・ぁっ・・・あっ・・・も・・・いく・・・。」

フミエが反らせていた首をがくっと前に倒すと、茂の顔に長い髪がバサッとかかった。
急に目の前が暗くなってもがく茂には気づかず、肩にぎゅっと抱きついて、フミエは
何かに耐えるように手に力を込めた。

「あぁ・・・ぁああ―――――!」

肩を締めつけられ、雄芯を輪状にしめあげられ、茂は必死で耐えていた。

・・・次第に締めつける力がゆるみ、フミエの身体が茂の上でやわらかくほぐれていくのを
感じた。イった後のフミエの身体は、溶けてしまいそうなほどやわらかくはかなげで、
心なしか軽くなったように感じる。折り曲げたままの脚をそっと伸ばしてやり、
ゆっくりとあおむけにさせる。

「ふ・・・ぁ・・・ゃっ・・・ん。」

つながったまま動かされ、達したばかりの内部がうごめく。

「今日は、どげした?・・・まあ、俺は快かったけど、無理するなよ・・・。」

いろいろ痛い目に遭わされたけれど、フミエのつたない激しさがいとおしくて、今度は
ゆっくりとフミエのなかを味わった。

「ぁ・・・しげぇ・・・さん・・・ぁ・・・ん・・・。」

ぐったりと弛緩していたフミエの手足が、再び形を取り戻して茂にからみついてくる。
甘く束縛されながら、茂はだんだんと律動を速めていった。

「ぁ・・・ぁぁん・・・んっ・・・あな・・・た・・・。」

茂の首に腕を巻きつけ、脚に脚をからめて、フミエは全身で茂を感じようとしていた。
ぶら下がられる重さも気にならぬほど、茂も溺れていた。目の前で自分を呼び続ける
唇を奪うと、フミエは甘美な断末魔のさけびを茂にだけ聞かせて果てた。

「はぁ・・・。お母ちゃんに何もかも吸いとられてしもうた・・・。」

フミエの中に注ぎ込んだ後、茂は大げさに大の字に寝そべりながら、またしても
フミエをからかった。

「腰が立たんようになって、明日は式に行けんかもしれん。」

(もぉ・・・あげなことばっかり言うんだけん・・・。)

フミエはまだ身づくろいも出来ず、茂が離れた後の身体が二人の汗に濡れて冷えていく
のを感じながらぐったりしていた。

「すー・・・すー・・・。」

気づくと、茂は精根尽きたという感じで早くも寝息をたてている。

「お父ちゃんったら・・・。」

フミエは起き上がって、茂になんとかゆかたを着せかけ、掛け布団をかけてやった。
寝顔を見ているうちにたまらないようになって、その唇にそっと口づけする。

「・・・ぐっすり眠ってごしない・・・。」

フミエもゆかたを着なおして布団に入り、茂に寄り添った。

(あ・・・あげなところに、ひげ・・・。)

あごの下に、一本長めのひげの剃りのこしがあった。この部分は、片手で皮膚を伸ばし
ながら剃らないと、なかなかきれいに剃れないのだ。

(明日、ここも忘れんように剃らんと・・・。)

そんなことを考えながら、フミエも愛し合った後の幸せな眠りに落ちていった。

翌朝。

「や・・・殺るならひとおもいに殺ってくれよ。」
「もぉ〜、何ゆうとるの・・・。」

洗面台の前でのひげそりに、案の定茂はいやがって大騒ぎをしている。つめきりは
おとなしくさせてくれたのだが、いい加減忍耐も限界にきたらしい。

「・・・ここをちゃんと伸ばして・・・はぁ、やっと剃れた。」

拷問から解放された茂は、さっさと逃げ出そうとしたが、

「お父ちゃん!まだ整髪が終わっとりませんよ。」

フミエにつかまって、今度は髪の毛をポマードをべったりと固められる。

「うわー、好かん・・・やめてくれ・・・。」

茂はせっかく塗ったポマードをタオルでごしごしこすって、髪をぼさぼさにしてしまう。

「もぉ〜、今日くらいはおとなしく言うことを聞いて下さい!」

どうにかこうにか、髪をまとめると、今度は着付けである。

「あ〜、もう!それでええ!何度やり直したら気が済むんだ?!」

ネクタイ結びの仕上がりが気に入らず、何度もやり直したがるフミエに、できるかぎり
我慢していた茂がとうとう怒り出した。

「・・・なんかしっくりこんけど・・・まあ、こんなもんか・・・。」

フミエは納得できない顔をしながらも、ズボンを履かせ、背広を着せかけた。

「・・・ほんなら、行ってくるけん。」
「いってらっしゃい。」

フミエは玄関先で、スーツ姿の茂をほれぼれと眺めた。スーツを着ている茂など、
お見合いの時以来、しかも今日は新調したての一張羅である。

「・・・なんだ?」

フミエにうっとりと見つめられ、茂が居心地悪そうに聞いた。

「・・・ええ男だなあ、と思って・・・。」
「お・・・おう。」

臆面もなく言い放つフミエに、茂はちょっと面食らって、照れ臭そうに応えた。

「いってらっしゃい・・・。」

それからは一度も振り返らずさっさと歩いていく茂の後ろ姿が曲がり角に消えるまで、
フミエはいつまでも見送っていた。茂がこの曲がり角を曲がっていくのを、これまで
何度見送ったことだろう。だが、今日はその後ろ姿に、なんとなく遠いものを感じて
フミエは一瞬心が翳った。おめでたい日に、こんなことを考える自分がなさけない。

「さあ・・・。お祝いの準備せんとね!」

まずは家中をそうじして、それから買い物に行って・・・フミエは気をとりなおして、
いそいそと働き始めた。

「帰ったぞー。」

フミエがあきらめて皿や箸などを片付けようとした時、玄関がガラリと開いて、茂が
帰ってきた。

「あー、腹へったなあ。・・・おっ、うまそうだ。」

茂はちゃぶ台の上を見て相好をくずした。脱いだ背広を受け取ってハンガーにかけると、
酒やたばこの入り混じった夜の巷のにおいがした。

「授賞式でごちそう出んかったんですか?」
「ああ・・・パーティー言うても、ようけ人が寄ってきてあーだこーだ聞くもんだけん、
なんも食えんだった。その後バーを連れまわされたが、あげな所はつまらんなー、
食う物がない。」

茂はネクタイをゆるめ、さっそく箸をとった。

「おっ、太ったギョウザか。相変わらず緑色だなあ・・・うん、うまい!」

茂はまったくいつもどおりに、ギョウザを次々たいらげ、ちらしずしを何回もおかわり
した。フミエは嬉しそうに、気持ちのいい食べっぷりに見とれた。

「これ食ったら仕事するわ・・・しめきりが近いからな。」

フミエはいそいそとお茶をいれ、しょうゆをつぎたした。

「戌井さんや深沢さんも来てくれたぞ。豊川さんがふたりを歓待してくれてなあ・・・。」

受賞者からひと言と言われ、緊張して挨拶を始めた時、壇上からこの三人が並んでいる
のが見えた瞬間、茂の胸に強い想いが去来した。式典が終わった後、彼らと固い握手を
かわし、礼を言えたことがうれしかった。

「そう言や、浦木も来とったな・・・。呼ばれもせんのに、勝手にもぐりこんだんだろう。」
「まあ・・・。」

浦木らしい・・・。もちろん、出版業界の片隅にかじりついている浦木のこと、何かうまい
話にありつくためだろうけれど、茂を祝う気持ちも一厘くらいはあるかもしれない。

食べ終わると、茂は休む間もなく仕事部屋に入った。フミエが皿を洗っていると、
カリカリとぺンをはしらせる音が聞こえてきた。ちゃぶ台の上には、今日もらってきた
賞状と楯、それに賞金の袋が置いてある。
フスマの向こうに、いつに変わらぬ茂の背中が見えるようだった。あの夏の日の夕暮れ、
フミエに言葉を失わせた、一心不乱に仕事に取り組む男の背中・・・。

「お父ちゃん、おめでとう・・・。」

皿を洗う手を止め、その背中に向かってお祝いの言葉を言うと、フミエの目から、
これまで一度も流すことのなかった涙が、初めてあふれ出した。






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