魔性の女(非エロ)
草薙俊平×内海薫


「っもう!あの男、最悪!!天才だかなんだか知らないけど、何様のつもり!」
「んー今日はどうした?」
「あ、ごめんなさい。大学の同期なんですよね、『ガリレオ』先生とは。」
「別に構わないさ。確かに、あいつの言い方、カチンとくるよな。」
「もうそうなんですよ!本当に、いちいち癇に障るって言うか、人をバカにしてるって言うか、あ〜〜
頭にくるっ!!!」
「まあ、まあ。ほらっ、好きなもの飲んで食べていいから。どんどん頼め。」
「いつもすみません、草薙さん。」

そう言ってメニューとにらめっこをし出した彼女を肴に、俺は日本酒を口に運んだ。

彼女は――内海は、交通課から自ら志願して移動してきたいわば後輩で、俺が本庁に栄転する際その根性と
職務に対する熱心さを買って俺の後任として帝都大学理工学部物理学科准教授、湯川を引き合わせた。
やつとは大学が同期だったこともあり、これまで数々の難事件の解決の糸口をみつけてくれた。彼のお陰で
本庁に栄転になれたと言っても過言ではないので、大いに感謝をしている。

――ただ湯川は、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能とぱっと見、完璧で非の打ち所のない男ではあるが、
その実ものすごい変人で、あだ名はその名も『変人ガリレオ』だ。
常に冷静沈着、理論的な湯川は、猪突猛進、刑事のカンを頼りにつき進む内海とはまるで水と油。
そのため追々ぶつかることもあるだろうと予測はしていたが、最初の事件で真っ向から激突するとは流石の
俺も予測出来なかった。
なんと彼女は、あの湯川に向かって怒鳴りつけたというのだ。流石に湯川もそれには幾分動揺したらしく、

「何がいけなかったのかよく分からなかったが、とりあえず謝罪しておいた。」

と後に言っていた。

その後も何度も小さな、時には大きな衝突をしながら、内海は湯川の力を借りていくつもの事件を解決して
いった。本人自覚をして
ないようだが、あの湯川を“使いこなす”とは、大したものだ。
そして、わずかながらも友に変化が表れたのを俺は見逃さなかった。
彼女が来ると研究の邪魔になると文句を言いつつも、めったに人を――特に女を褒めないあいつが

「確かに、よくやっているのは認める。」

などと言った時は表面上ポーカーフェースを装ったが、その実かなり驚いた。
迷惑だと言いながら、湯川は寧ろその状況を楽しんでいるようだったからだ。これは長い付き合いの俺だか
らこそ、やつの表情の微妙な変化を読み取れた訳で、他人が見たら心底迷惑がっているようにしか見えな
かっただろう。
以前も、こちらとしては捜査に協力してくれた礼を兼ねて二人で呑みに行くことはあったが、口を開ければ
難しい話ばかりするあいつとは話が弾むわけもなく、男二人黙って呑むだけだったのが、今は気がつけば
内海の話をしている。
お互いの共通の話題と言われればそうだが、あの『変人ガリレオ』が仮にも女と名の付く人物の話をする日
が来ようとは、思いもしなかった。

湯川が良くも悪くも内海に何らかの関心を持っている事を知ると、俺は内心穏やかではいられなくなった。


内海は頑張り屋だ。
ちょっと徹夜の張り込みが続いたくらいで根を上げる最近の甘っちょろい男共よりずっと根性がある。
それにカンもいいし観察眼もある。
交通課時代に痴漢を65人も検挙したという経歴も単に捕縛術に長けているだけではない。
まだ粗削りだが、鍛えればもっと伸びるだろう。警察官としての将来性に大きく期待している。

一方で俺は女としての彼女にも惹かれている。
まず第一に、本人の自覚は稀薄だが、かなりの美人な上に出るとこは出て絞まるべきところは絞まった身体。
それこそ彼女が貝塚署に移ってきた当初は、事務の兄ちゃんから頭の禿げた管理職まで彼女の顔を一目見よ
うと部屋の前を一日に何度もうろつく人間が後を立たず、禁止令が出た程だった(当然彼女は気づかなかっ
た訳だが)。
そして男勝りでサバサバとしていて天然で、何よりすれてないところがいい。
最近は高校生ですら、酸いも甘いも噛み分けたすれっからしが多いこのご時世に奇跡としか言いようがない。

俺を尊敬しているらしく――それも湯川のお陰なのだが――以前たまたまエレベータ内で二人っきりに
なった時の事。
意識しすぎるあまり、エレベーターの隅にべったりとへばりつき頭のてっぺんからつま先までそれこそゆで
ダコのように真っ赤になっていた。
俺は気づかないふりをして彼女に背を向けていたが、あまりの可愛らしさに笑いを堪えるのがやっとだった。

湯川じゃないが

「実に面白い。」

警察官としても女としても非常に魅力的だ。
そんな彼女だからこそ、湯川を引き合わせた。
誰よりも彼女に手柄を立てて欲しかったし、あの変人とやっていけるのは俺以外は彼女しかいないと思った
からだ。
それに何より他の男の傍に置くより安全だと考えたからだ。
それが今まさに崩れようとしている。

内海の言動から、彼女が湯川に対して特別な感情を持っているようには思えない。
まだ彼女も湯川本人ですら湯川の気持ちに気付いていないようだ。
だから先輩後輩の間柄と彼女の俺に対する憧れの気持ちを最大限に利用して、先手を打っておく事にした。
俺も真性の女好きとして色んな女を落としてきたが、彼女に他の女に使った手は使えない。
しゃれたフレンチレストランより居酒屋、有名ブランドのアクセサリーより栄養剤、ゴルフよりバッティン
グセンター。
こんな女は、初めてだ。
会ってから10分、しかも二人まとめてという記録を持つこの俺が、お持ち帰りどころか手も握れず何度
タダ飯を食わせただけで帰しただろうか?
両手を越えた時点で虚しくなるだけだったから数えるのを止めた。

「…それから、クリームコロッケとじゃがバタとイカ納豆に、枝豆。とりあえずそれだけ下さい。
草薙さん、お銚子もう1本追加しますか?」
「ああ、頼む。」
「お兄さん、熱燗ひとつ追加ね!」

そう言ってにっこりと微笑んで振り向いた彼女の笑顔を、天使と言うべきか、悪魔というべきか。
魔性の女って本当は内海みたいな女のことを言うんじゃないだろうか?

そして魔性の女の手には天秤があって、一方の皿の上には俺が、もう一方の皿の上には湯川が乗っていて
あっちにふらふら、こっちにふらふら。
定まらない。

「ん?草薙さん、何か私の顔についてますか?」
「いや、別に。ただファムファタールとは何ぞや?って考えてただけ。」
「ファむふぁ…?何ですか、それ?なんか眠たそうな名前ですね。」
「うん…できれば寝たいんだけどね。なかなか思うように行かなくってサ。」
「やっぱり本庁は大変なんですね。それなのに、いつも食事に誘ってもらって愚痴聞いてもらって、すみま
せん!あの、私、もう、お暇しますから。帰って休んで下さい。」
「いや、いいから。かわいい後輩の話を聞いて適切な助言をすることはもっと大切だから。」
「草薙さん……ありがとうございます!ありがとうございます!私、やっぱり草薙さんみたいな立派な警察
官になりたいです!!」
「そう、ありがとう。ま、呑もうよ。」
「はい!頂きます!」


そして次の日。
いかに草薙が尊敬すべき立派な先輩であるかを力説する内海の話を、憮然とした表情で聞く湯川の姿を大学
で見かけることになる。

魔性、恐るべし。






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