ささやかな幸せ
橘啓輔×緋山美帆子


考えるよりも先に勝手に口から言葉がこぼれ出た。まさにそんな勢いだった。

一応シフトが決まっているとは言え救命医の勤務時間は不規則だ。
夕方6時までのシフトだとしても当然の事だが手術中の患者を放り出して
帰るわけにはいかないし、それぞれが担当する患者の容体次第で
勤務時間はどんどん変化する。特に今の職場は仕事熱心で
時間外勤務を厭わないメンバー揃いなので、同じ時間に勤務が終わるはずでも
示し合わせでもしない限り医者同士で帰宅時間が重なる事は実際には限りなく少ない。

なので社員通用口を出た時に視界に飛び込んできた三井の後姿に
緋山は自然と表情がほころんだ。駅まで一緒に、と声をかけようと
小走りになりかけたが次の瞬間、目に入った光景に思わず足を止める。

一人かと思っていたが三井には連れがいた。その三井は何やら深刻そうな
表情で連れと話している。話しかけている人物が誰だか緋山にもすぐに分かった。
確かあれは小児科医。看護師は女性が圧倒的に多い職場で必ず人気ランキング
上位に入ってくる、いわゆる“腕も良く、程々に見た目も良い上に、
人当たりも良い独身ドクター”なので自然と看護師達から多くの情報が入ってくる人物だ。

救命でも産科を専門と腕をならす三井なら業務上接点も多いし、
一緒に話している理由はいくらでもあるだろう。そう考えた緋山は
三井が現在担当している患者を何人か思い浮かべてみたが、
勤務時間後も深刻になって話をする必要がある容体の患者は居なかったな、と首を傾げた。
そんな緋山をよそに、三井は手を挙げてタクシーを止めると車に乗り込んだ。
話し込んでいた小児科医も三井に続いて車に乗り込もうと身を屈める。

仕事帰りに一緒にどこか行く?どういうこと?

三井にしろ連れの小児科医にしろお互い独身で何も問題無いはずだし、
その小児科医に好意を持っていたわけでも無いのに。目の前で繰り広げられた展開に驚き、
地に根が生えたように固まった緋山は背後から声をかけられ飛び上がった。

「君も今帰り?偶然だな」
「た、橘先生…」

一緒にタクシーに乗るぐらい、帰りの方向が一緒だからとか、そんな些細な理由かも知れない。
なのに何故かその時は、橘にとって前妻の三井が他の男と連れ立って帰るところを
橘本人に見られるのはマズイと緋山は焦りまくった。だが自分より圧倒的に背の高い
橘の前に立ちふさがったところで目隠しになれるはずもなく。
手を挙げて視界を遮るわけにもいかず、飛び上がって身長差をカバーするわけにもいかない。

うろたえた緋山の行動が返って隠そうとしている光景への注意を惹き、
緋山の背後にちらりと視線を向けた橘の表情に一瞬影が過ぎったように見えた。
そんな橘に、思わず緋山は声をかけていた。

「今日は随分早いんですね。だったら飲みに行きませんか?」
「…え?」

普段と立場が逆転したセリフに軽く目を見開き驚いた橘の表情に緋山は我に返る。
何言ってるの私…!慌てふためいて取り消そうと顔の前でぶんぶんと手を振った。

「違うんです。進路の事でちょっと相談したい事があったんですけれど、
別に明日でも構わないし、勤務時間中に手が空いた時で良いんです。だからまた明日病院で」
「ちょっと待て」

顔の前で振っていた手を掴まれる。腕を掴んだ橘の顔に浮かんだ満面の笑みに
マズいと緋山の背に冷や汗が流れる。

「前言撤回します。やっぱり今日は帰って勉強したいので」
「勤務時間外に相談に乗ってやるって言ってるんだから遠慮するな。
優しい指導医に恵まれて良かったな」

逃がすものかと腕を掴む手に力を込め、先程まで三井達が立っていた
正門前のロータリーまで強引に引き連れて来ると、ちょうど良いタイミングで
入ってきたタクシーに緋山を押しこみ、続いて自分も乗車する。

「女子に二言無し、だ」

やられた、と緋山は心の中でこっそり白旗を上げ、車の窓から外を流れる景色に目を向けた。

高すぎず、安すぎず。肩が凝らない程度の、ほど良い高級感。

タクシーの中で何やら予約の電話をしていた橘に連れて来られたのは
いかにも女性好み、と言った風情のカジュアルフレンチのレストランだった。
慣れた調子でワイン・料理を選ぶと、橘は自分が昔経験した軽い失敗談などを話して
緋山の緊張感を解いていく。
そつの無いもてなしぶりに、どれだけ数をこなして来たんだと呆れつつ、
そんな彼のペースに飲まれていくうちに、自分が思った以上に寛いでしまったことに緋山は気付く。

最初のうちは『無理矢理連れて来られました』という不機嫌な表情を
取り繕っていたのだが、実際には久しぶりの美味しいお酒と料理を満喫し、
この場の雰囲気を心行くまで楽しむようになった緋山に向かって橘が切り出した。

「で、進路の相談って何?」

既にほろ酔い気分だった緋山が橘の問いに瞳を瞬かせる。飲みに誘うために
自分がでっち上げた言葉をようやく思い出すと、やれやれと橘は肩をすくめた。

「自分で言い出しておいて覚えてないのか?深刻な悩みで無いなら問題ないが」
「…悩みが無いって言ったら嘘になりますけど」

そう言うと緋山はため息を吐いた。

「今は遅れを取り戻すために前に進むしかないですから」

しばらく黙って緋山を見つめていた橘がいつになく真面目な表情で口を開く。

「フェロー終了後の配属は必ずしも結果や努力に直結するものじゃ無いと思っておいた方が良い」
「…え?」

意外な言葉に目を丸くした緋山に対し、橘が質問を投げる。

「例えば、俺がフェロー4人ともフライトドクター合格判定を出したとして、
皆が揃って残ることを希望した場合、このまま全員残れると思うか?」
「…残れないでしょうね」

4人が卒業すれば新たなフェローも入ってくるだろうし、
このまま4人仲良く同じ現場で腕を磨く可能性が限りなくゼロに近いことは、緋山にも分かる。

「藍沢は性格的にも実に救命に向きだが、あの腕があればどの病院の外科でも歓迎されるだろう。
森本先生に付く事が多い藤川は一旦整形に行って専門知識を身に付けてから戻って来いと
言われるかも知れない。白石のことは西条先生が思いの外、気に入っているし
脳外科が引っ張る可能性だってあるだろう」
「先生にも全然検討がつかないんですか?」
「人事なんて、俺にも伺い知れない雲の上の方々が決めることだからな」

管理部門と現場最前線の温度差を感じさせる冷めた声音で言い捨てると、橘は表情を崩し緋山に笑いかけた。

「だから、今から進路について悩んでも仕方ない。今まさに人手を必要としている部署と
君達の希望や経験が合うか、全てタイミングの問題だ。こればかりは運の力も必要となるし」

必死で努力している君達にとっては、やりきれない話だろうがと言ってから、再び緋山に問いかける。

「それで、もし君の希望通りになるなら、どの科に進みたいんだ?」
「同期と比べてフライト経験も少ないですし、できれば残りたいとは思いますけど」
「『三井先生と同じ道を目指すために、産科に行って専門知識を身に付けます』とかじゃ無いのか?」

からかうような調子で緋山の口調を真似ると、ニヤリと笑ってとんでもないことを言い出す。

「尊敬する先生と同じ道を進みたいなら、まるごと真似してみても良いんじゃないか?
今なら俺のオクサンの座も空いてるけど」
「三井先生ですら手に負えなかった橘先生なんて、結婚相手として問題外です!」

思わず即答した緋山の様子に橘は気を悪くするどころか吹き出した。

「…でも、実際にフライトドクターになって残るのは難しいでしょうね。
逆立ちしたって橘先生や三井先生の代わりになれる訳が無いですし」
「おいおい、今の君達が代わりを務められるレベルなら俺達も立つ瀬が無いだろう?」

競う相手が間違っていると苦笑しつつ橘は言い含めるように緋山を諭す。

「君は十分、フェローだった頃の俺や三井先生を超えているぞ」
「…先生達が今の私のスキルに及ばない時代があったなんて信じられない」
「それはまた、光栄なお言葉で」

君が俺を褒めるのは珍しいなと屈託無く笑うと橘は懐かしそうに語り始めた。

「頭が真っ白になって叱り飛ばされるまで何をすれば良いかも分からないことなんて
しょっちゅうあったし、三井先生に至っては患者に付き添って泊り込むのは良いが
体力の限界まで無理して倒れたことも一度じゃ無かったな」

過去を振り返るように視線を宙に投げ、笑みを浮かべた橘の表情の優しさに緋山はドキリとした。

「…どうやって、そういう弱点を克服できたんですか?」
「数をこなすしか無いだろうな。三井先生の場合は出産が良いきっかけだったのかも知れないが」
「出産が?」
「どんなに周りから『患者との距離感を取れるようになれ』って言われてもできなかった彼女が、
子供が生まれて多少はできるようになったからな」
「…距離感、ですか?」
「育児をしながらだと仕事にかける時間はどこまでと、ある程度自分で見切りを
付けざるを得なくなる。言わば強制的に引き離された。それが良かったんじゃないか」

患者との距離感を上手く取れるようになれ。どこかで聞いた話だなと
感じながら緋山は聞いていたが、突然いつ、どこで聞いた話なのか思い出す。

自分が常々周囲から言われていることだ。
それって、私が昔の三井先生と似ているってこと?

脳裏に浮かんだ言葉が胸にストンと落ちた瞬間、何もかもが腑に落ちた。

どうして橘が他のフェロー達に比べて自分を気にかけてくれているのか。
誘われる度、どんなに手酷く断っていても、気を悪くせず何度でも声をかけてくれていたのか。

理由が分かってスッキリしたはずなのに、なぜか全身に急速に広がる寂寥感。
チクリと胸が痛むのを感じて、何を傷付いているんだと気力を奮い立たせようとする。

にわかに呆然とした緋山の様子に気付き橘が怪訝そうに話すのを止めた。
すると、突然生じた会話の空白を埋めるかのように、橘の携帯が振動する。
失礼、と短く断って画面を確認した橘の口元に笑みが浮かんだ。

「…何だか嬉しそうですね」
「誰からのメールか気になるのか?」
「そんなことありません。自惚れるのはやめてください」
「三井先生からだよ」

何と返すべきか緋山が考えをめぐらす暇も無く橘があっさりメールの内容を明かす。

「『子供の熱は下がった。心配無用』だと。俺は最初から心配し過ぎだって言っていたのだが」
「…お子様の体調が悪かったんですか?」
「子供が昨夜から熱が下がらないと心配して、後で専門の先生に相談すると
勤務時間中から騒いでいたからな」

そんなに心配なら仕事は休めば良いと言ったのにそれをしないのは相変わらずだと苦笑する。

と言うことは、三井がタクシーに乗って小児科の先生と連れ立って帰ったのは、
相談を持ちかけた小児科医が子供を心配する三井に気を遣って家までわざわざ
訪問診療したのであって、メールで報告って事は最初から橘も事情を知っていたわけで…。
自分は何を空回りしていたんだと、あまりの展開に緋山はガックリと肩を落とした。

「騙された…」
「人聞きの悪い。君が勝手に勘違いしただけだろう?」

ニヤニヤと笑う橘を緋山は睨みつける。そんな緋山に向かって
机に身を乗り出し橘が顔を近付けた。

「つまり、君が急に誘ってくれる気持ちになったのは、三井先生が
他の男と一緒にどこか行くのを見て俺が傷ついたとでも心配してくれたってわけか?」
「別にそんなつもりは…」

曖昧に答えをぼかしつつ、椅子に深く腰掛け直して橘から身体を離すと、
ワイングラスを取ろうと延ばした手を握られ、触れ合ったその手の熱さにドキリとする。

「…情に流されるのは患者に対してだけじゃないんだな」

握った手を指が唇に触れるか触れないかの距離まで近づける。
その辺の男がしてもキザだと鼻白む行為が見事なまでに様になるのが何だか悔しい。

「心配してくれたのは嬉しいが、一つはっきり言っておく」

軽く指先に口付け、真剣な眼差しを緋山に向ける。

「壊れたグラスを割れる前の状態に戻すことはできない。俺と三井先生の関係についても同じことが言える」
「何でわざわざそんなことを言うんですか?」
「寂しさを紛らわすために君にしつこく声をかけていると勘違いされたく無いからな」
「…別に構わないじゃ無いですか。寂しさを紛らわすためであっても」

子供の体調を心配しつつ仕事を休めない三井の生真面目さを笑う
橘の言葉には、明らかに相手に対する愛情が込められていた。
それが分からない程、自分は鈍くない。それでもあえて自分を誘ってくるなら
受けて立とうと開き直る。

「先生は具合の悪いお子様の側に居てあげられない自分が寂しい。
私は今はフリーでしかも仕事に追われて新しい彼氏を探す時間が無いし、
独り身が寂しくないと言ったら嘘になる」

挑むような視線を向け、握られた手に力をこめる。

「オトナのオトコとオンナが居て、お互い寂しいと思っていたら
することなんて一つじゃないですか」

「幸せだけど、ちょっと不幸ってあるのかな…」

酔った勢いで幸せか不幸かと迷惑極まりないことを問い続けていた白石から
やっとの思いで開放され、緋山は思わず呟く。
独白のつもりだったのに、その言葉を耳にした藤川は思いがけず真剣な口調で答えた。

「…完璧な幸せなんて、結局どこにも無いんじゃないか」

驚いたように振り向いた緋山に寂しげな笑みを向け、藤川が小声で話す。

「好きな人の側に居られるだけでも自分は幸せだと思う。
でも、その人が本当に側に居て欲しいのは自分じゃ無いって分かっているから、
側に居られること自体が不幸だと思うこともある」
「…そうだね」

藤川が指している相手が誰だか十分過ぎるぐらい分かる緋山は静かに同意した。
それと同時に自分も彼とよく似た立場なんじゃ無いかと考えた。


橘と二人で食事に行ったあの日、結局レストランの近くのホテルで朝を迎える事になった。

割り切った口調で話しているつもりだが、実際には身体が震えそうなのを
懸命にこらえているのは相手にも伝わっていたに違いない。
それでも目一杯背伸びして演じたオトナのオンナっぷりに橘はあっさり乗ってきた。

エレベーターの中で待ちきれないと言わんばかりにキスされた瞬間、膝の力が抜ける。
その場で崩れこみそうになると軽々と身体を抱えられ部屋に連れ込まれた。

ベッドに倒れこむと同時に唇を軽く噛まれ、促されるままに口を開いた。
入り込んできた舌に自らの舌を絡め、思う存分むさぼり合う。
キスの合間に漏れる自分の声の甘さに顔を赤らめると、唇を離した橘は
緋山の顔にかかった髪を指先で払いつつ苦笑した。

「…おいおい、そんなに誘惑するな」
「別に誘ってるつもりは」
「無意識だとしたら、性質が悪いな」

からかうような口調に相手を軽く睨みつつ、スーツの襟元を掴み顔を引き寄せる。
緋山に乞われるままに橘は深く口付けると熱くなった身体に手を這わせる。
ジャケットを肌蹴るとニットの上から胸を手で覆われ緋山は呻いた。
布地越の愛撫が物足りなくて身体を捩るが、焦れる緋山の様子に橘はニヤリと笑みを向け、
固く尖って自己主張を始めた胸の先端を避け、やわやわと胸を揉み続ける。
触れられているのは胸なのに、下腹部が熱くてたまらない。

「…服を着たままでするんですか?」

喘ぎながら何とか発した言葉に橘は手を止める。覗き込まれた瞳の優しさに
緋山は思わず橘に抱きついた。抱きついてきた緋山の身体を強引に引き剥がすと
橘が緋山の服を脱がせ始める。

ジャケットを剥ぎ取り、ベルトを毟り取るように外しスラックスを下ろされる。
ニットに手をかけられた緋山は思わず相手の腕を掴み、自分の服を脱がそうとする
男の手を止めた。動きを阻まれた橘が顔を上げ二人の視線が絡む。
たしなめるように覗き込まれ、一瞬躊躇ったが緋山は掴んでいた橘の腕を放した。
ニットとブラを同時に剥ぎ取られ、身体を震わせた緋山にキスすると唇を耳元に這わせて囁いた。

「心配するな」

首筋を伝って胸元を這っていた唇が、傷の跡を辿るのに気付いて
緋山は再び身体を固くする。思わず胸を覆い隠そうとした緋山の腕を
橘がすかさず掴み、緋山の頭上でひとまとめにしてシーツに押し付ける。

「…君って着痩せするタイプなんだな」

傷なんて気にするな、などの慰めの言葉が降って来るだろうと
身構えていた緋山は予想外の言葉に目を丸くする。

「救命の術衣って動きによっては結構身体のラインが出るし、
多分胸はどのぐらいの大きさだろうとか色々想像してたんだけど」
「…仕事中に何考えてるんですか!!」

顔を真っ赤にした緋山は掴まれた腕を振り払い、男の胸を押し退ける。

「ヘンタイ!エロ医者!触るな!離せ!」
「散々な言われようだな」

強引にキスで口を塞がれ、ののしる言葉が続くのを文字通り口封じされた緋山は、
先程までの緊張感が一気に消え失せていることに気付いた。
この人のこういう優しさが好き。たとえ彼が本当に抱きたいと思っている
相手の代わりに自分を抱いているのだとしても構わない。
素直にキスに応え、髪に指を絡ませると重なりあった唇の動きで相手が笑ったことが分かった。

抵抗を止めた緋山を脱がす作業を再開し、瞬く間に一糸纏わぬ姿にすると、自ら服を脱ぎ捨てる。
そのまま覆い被さってきた熱い身体の心地よさに緋山は安堵のため息をついた。

「…どうして欲しい?」

息は上がっているがまだまだ余裕を見せる橘はあくまで緋山にどうしたいのか
言わせたいらしい。思うがままに要求を口にするのは悔しいが、快感の火をつけられた
身体は言う事を聞きそうにない。でも、して欲しい事を口にするのも恥ずかしくて、
涙で潤んだ瞳で訴える緋山に橘は軽くキスするとそのまま胸元に唇を這わせた。
服の上から愛撫され、焦らされ尖った乳首を軽く噛まれ、こすられて、
こらえきれない吐息がもれる。もう一方の胸を手でまさぐりながら
空いた手が脇腹を辿り、ヒップの丸みを確認するかのように一撫ですると脚の間に滑り込んだ。

親指で花芯を触れるか触れないかのタッチでこすられ、クラクラしながら緋山は
橘の手に秘所を押し付けた。中には挿れず入り口をこする指先の動きに
我慢できず「もっと…」とねだるように喘いだ緋山に橘が笑う。

「そんなに焦るな。我慢すればそれだけ後から来る快感が大きくなるぞ」

太ももに押しあてられているソレの硬さは確かで、このままだったら彼も苦しいはずなのに。

自分ばかり焦れているのが悔しくて、思わず「だったらもうイイです」と
無理矢理身体を引き剥がして背を向けた。
すぐに背後から抱き締められ、胸の丸みを確かめるかのように軽く握られる。
柔らかなタッチで乳房を包み込まれる感触に喘いだ隙に手が腹から腰へ滑り下り、
抵抗する間も無く脚の間に滑り込んだ。

「…本当にやめて良いのか?」

濡れた花弁を擦りながらいつもより掠れた声で橘が囁く。

「やめないで…」

快感にすすり泣きながら懇願すると同時に花芯に親指を押し付けられ、
中指が緋山の中に入り込んだ。
外科医ならではの器用な指先が中を探る感触に自然と背が仰け反る。
抜き差しする指の動きが次第に早まり、早まるに連れて嫌でも快感が高まる。
爪先から頭まで突き抜ける快感に緋山は背を仰け反らせて昇りつめた。

骨抜きにされるって、まさにこういう事なのかも。
朝ベッドの中でまどろみながら、最初に頭に浮かんだ言葉がこれだった。

散々お預けを食らった後で昇りつめた感覚があまりにも気持ちよくて、
最後にどうなったかも、はたして橘がイッたのかもイマイチ記憶が定かではない。
それでも絶頂の余韻が冷めやらぬうちに自分の中に入ってきた橘に力一杯抱きついて、
普段なら絶対に口にしないようなとんでもないセリフを口走っていた気がして、
一瞬で意識が覚醒した緋山は飛び起きた。
が、隣で眠っていたはずの橘の姿は見あたらず、胸元までシーツを引っ張り上げ
身体を起こすと辺りを見回した。

「目が覚めたか」

シャワーをあびていたらしい橘が生乾きの髪をタオルでふきつつ緋山に近付き覗き込んだ。
彼の瞳に後悔の気持ちが表れていたらどうしよう。急速に現実が目の前に立ちふさがり、
視線を合わせず黙ってシーツを身体に巻きつけ起き上がった緋山に橘が話しかける。

「…ちょっと無理させたか?」
「大丈夫です」

口先だけの答えでは無いことを示すために、意を決して橘と目を合わせる。

「先生と違って若いんで、多少の寝不足は物ともしません」

問われたのが睡眠不足についてでは無いことは重々承知していたが、
あえて質問の意味を捻じ曲げ、にっこり笑って緋山は答えた。
シャワーを浴びようと立ち上がった緋山の腕を橘が掴む。
真意を探るような視線を正面から受け止め、緋山はもう一度きっぱりと答えた。

「大丈夫です」

強気な態度を崩そうとしない緋山に対し、橘の目に一瞬憤りの色が浮かぶが
諦めたように一つため息を吐いた。

「…話をするのは次の機会にしよう」

そのまま緋山の額に軽く口付け、両手で頬を包み込む。

「次の機会があるって、どうして言い切れるんですか?」

すがりつきたくなる気持ちを抑え、あくまで冷静な口調で緋山は返した。

「当たり前だろ」

いつもの調子で笑うと橘は緋山の頬を軽く指ではたく。

「そう簡単に手放したりはしない」

その朝はそのまま必要以上に感情を交えず事務的に橘とは別れた。
だが、その後顔を合わせた院内で誰にも気付かれないように、
こっそり手を握り締めてくれた彼の気遣いに泣きたくなる。

追う立場と追われる立場が逆転したことを意識したのもその時だ。

オトナ同士の割り切った付き合いをするなんて、自分にはまだ無理だと
分かっていてもその嘘を信じるフリをしたのは橘の優しさで。
彼が自分だけを見てくれていると、自分を通して彼にとって最愛の人だった三井を
見ているわけではないとの嘘を信じたのは緋山自身の弱さだ。

二人の嘘がいつまで通用するのか、それはまだ分からない。

それでも、いつかきっと自分と三井を重ねる彼に耐え切れず、
自ら別れを切り出すことになるのだろう。
その時の事を思うとそれだけで涙がこぼれるのを止められそうに無い。
でも今は、そんな未来はまだ遠く先の話だと自らに嘘をついて、
避けて通れない事実から目を背ける。

――相手が本当に必要としているのが自分では無いと分かっているのに
側にいる事を望んでいるという意味では自分も藤川と何も変わらない。

「終わりがどうなるか分かってるのに。何やってるんだか、私」

自嘲するかのような言葉に心配そうに耳を傾けていた藤川がポツリと一言だけ口にした。

「事情はよく分からないけど、あんまり深入りするなよ」
「…もう手遅れかも」

誰かに話したくなったらいつでも聞くから。それだけ伝えると藤川は黙って
緋山のグラスにワインを注ぎ足した。グラス半分程度まで注がれるのを待って、
緋山は藤川のグラスに自らのグラスをカチリと軽く当ててみせる。

「私達の幸せに」
「俺達の未来に」

藤川と顔を見合わせ笑うと緋山はグラスを傾けた。
今はこのささやかな幸せに浸っていようと固く決意して。






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