ルーキーズ(非エロ)
藤川一男×緋山美帆子


「早く治してよ〜、フライトドクター(笑)」

緋山がニヤニヤと笑っている。
藤川が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

その夜

バーのカウンターに陣取る藤川と白石。

「たくよぉ、ダブりの癖に態度がでかいんだよ!」

藤川が乱暴にグラスを叩きつける。
俯せになっていた白石が顔を上げる。

「緋山先生のこと?」
「そうだよ!」
「どうしたの?いつものことじゃない?」

無言でグラスを振る藤川。
店員が慌てておかわりを注ぐ。

「悩み事?話してごらんよ、同期でしょ。
 藤川先生とは、長い付き合いになるわけだし相談にはのってあげるよ」
「長い付き合い?」

ジロリと白石を見る藤川。

「え、変な意味じゃないから、藍沢先生は脳外科・心臓外科と回るし、
 緋山先生は来年以降どうなるかわからないしって意味ね」

少し顔を赤らめる白石。

「実はさぁ、親がお見合いしろって五月蠅くてさぁ……」

カウンターに肘をつく白石。

「フライトドクターになって落ち着くわけだし、そろそろ孫の顔がってさぁ」

(孫の顔ぁ、お父さんも見たいって言ってたな)

「おい!聞いてるか?」
「あ、ごめんごめん」

白石が慌てたように頷く。

「親の気持ちもわかるっちゃわかるんだ。もう30だしな。
 ただまだルーキーだしさ。何とか上手く逃げる方法を考えたんだ」
「どんな?」
「職場に彼女が居ることにしようと思ってさ」

(そういえば、藤川君はお母様が病院にお見えになったこと知らないんだっけ)

一年前に対面した藤川の母の顔を思い出す白石。

「それでさ、ちょっと頼まれてくれないか?」
「え?私?」

思わず吹き出す白石。

「そんなに驚くことないだろ?」
「急に変なこと言うからじゃない」
「冴島はまだ暗いし、緋山はすぐ調子に乗るからぼろが出そうだし、
 白石しかいないんだよぉ……」

藤川が白石の肩を激しく揺する。

「消去法なの?」

不満そうに頬を膨らませる白石。


「ほら、並んで並んで〜」

ニヤニヤするのを隠しもせず携帯を向ける緋山の態度に藤川が思わず怒鳴りつける。

「お前!!人の不幸を楽しんでるだろ!」
「ちょっと藤川。親の見合いの進めを逆手取って、白石みたいに可愛い子と

ラブラブツーショット撮るチャンスを不幸呼ばわり?」

緋山のツッコミに藤川は凍りつき、白石は赤くなりつつ慌てて遮る。

「ラブラブとか必要無いし!普通に並んで撮るだけで良いから!」
「まぁそう言わず。藤川、もうちょっと首を右に傾けて」
「…こうか?」
「そうそう、じゃぁ撮るね!」

携帯カメラ特有のシャッター音がすると同時に緋山がニンマリと微笑む。

「さすが腕の良いカメラマンにかかると良い画になるわ〜」
「自画自賛してないで寄こせ!」

ひったくるように携帯を奪うと白石が「見せて見せて」と覗き込む。
保存フォルダからつい先程の日時の画像を開いた藤川は、そこに映った
写真に思わず口を開いた。

自分の右手にいる白石は頬を紅潮させ、はにかんだように微笑んでいる。
そんな白石の方に藤川がやや頭を傾けている所為で
二人は頬を寄せ合っているかのようにも見え、
付き合い始めたばかりの初々しいカップルそのままの姿で映っている。

白石が頬を赤らめているのは緋山のからかいが原因だと分かってはいても
何だか俺達超お似合いじゃんとか内心思っちゃったりしていた藤川は、
自分を差し置いて女子二人が盛り上がっていることに気付いた。

「藤川のこと、こんなに可愛く撮れるなんて、私やっぱり天才かも」
「緋山先生、写真撮るの上手いね。これなら本当に恋人って言っても
うちの親でも信じるかも」
「…なによ、あんたも見合いの話が来てるの?」
「…うぅ〜ん、そういう訳じゃ無いんだけど、最近親がちょっと探りを
入れてくるのが煩わしくて」

本当は親の詮索をかわすためでは無く、父親を安心させたいためだったのだが
白井の返答に緋山はあっさり頷いた。

「あぁ分かる。うちの親も仕事熱心なのも良いけど、
いい加減、私生活の方で良い話聞かせろって実家帰る度に騒ぎ立てるし」

そう言うとにっこり笑って藤川に向き直る。

「そういう訳で、その写真、ちゃんと白石にも送ってあげてね!」

自分の親だけで無く白石の親にも恋人報告するのか?

話が大きくなり始めたことに若干胸騒ぎを感じつつ、藤川は黙って頷いた。

少し遅いランチタイム。

閑散とした食堂の片隅で、藤川が眉間に皺を寄せている。
手に持った携帯を握り、首を傾げる藤川。

「はぁぁぁ?」

驚いた看護師達が藤川を見る。
慌てて口を手で押さえながら、電話をダイヤルする。

「どういうことだよ!!!」
「どうもこうもないよ。今夜、白石さんの所のご両親とお食事をするんだよ」
「聞いてねぇぇよ!!!」
「あちらさんはお医者さんの家系らしいじゃないの。
 救命のお医者さんは忙しいだろうから、親同士だけで会っちゃいましょうってなってね」

頭を抱える藤川。

「会っちゃいましょうじゃねぇよ」
「仲人は部長さんにお願いできるみたいだよ。何でも白石さんとこのお父さん
 大学時代からのお付き合いなんだってね」

目をパチパチする藤川。

「仲人?」
「あんたは当日休みとるだけで良いから、フライトドクターって忙しいんだろ?」
「忙しいけどよぉ、それとこれとは……」
「(遮り)一人娘さんだけど、婿養子じゃなくって良いってよかったよ」

藤川が呆然としながら電話を切る。

「黒田から聞いたぞ。結婚するんだってな」

正面の席に西条が座る。
藤川が大きく首を傾げる。
西条が目を細める。

「橘と三井のときも、部長が仲人をしたんだ。
 俺は職場を代表して、黒田が救命を代表してスピーチしたんだ」


同じ頃

女子更衣室では、白石が赤面した顔を両手で覆っている。
三井がクスリと笑う。

「そんなに照れなくても良いじゃない」
「私達そういうんじゃなくて、どこかで誤解があったんではないかと」
「緋山は友人としていくだろうし、橘は上司として行くだろうから
 シフトは私と森本先生でカバーするわ」
「すみません……」
「気にしなくて良いのよ。
 ウチで休めるのなんて、こういうときだけなんだから」

慌てる白石。

「そういう意味じゃなくて……」
「子供が出来たら私が取り上げるのかしら?」

顔を真っ赤にする白石。

「私達、ほんっとそういう関係じゃ……」
「もう隠さなくて良いのよ。みんな知ってるんだから
 末永くお幸せに」

フフフと笑いながら出て行く三井。

その夜、白石と緋山がバーのカウンターで酒を飲んでいる。
真ん中に座った藤川が頭を抱えている。

「どこで間違ったんだ?」

隣の席の緋山がニヤニヤと笑う。

「もう良いじゃん、しちゃいなよ結婚!!!」
「お前、他人事だと思って気軽にいうなよ」
「インフォームド・コンセントって難しい……」
「ていうか、その席に行けば良かったじゃん。今夜だったんでしょ?」

顔を見合わせる藤川と白石。

「気を遣わなくて良いって、場所を教えねぇんだよ!!!」

苦笑いを浮かべる緋山。

「ありゃりゃ〜」
「意識レベルが下がってくぜ」
「アタシは冴島とお嫁サンバでも歌ってあげるよ」
「冴島は忙しいだろ?元彼の事もあるし」

首を傾げる緋山。

「意外とノリノリだったわよ」
「まさか藍沢先生は忙しいし来ないよね」
「藤川の職場での活躍ブリを語るのは、俺しか居ないって言ってたよ」
「アイツ、何を言うつもりなんだよ?ていうか何でやる気なんだよ」
「知らな〜い。まぁ、お婆ちゃんの面倒とかよく見てたからじゃない?
 他に活躍とかないじゃん?」
「るせーな!!」

白石が大きなため息をつく。

「どうしたの?」
「すぐ離婚するとかも考えたけど、結婚以上に揉めそうだなって」
「ああ、うちも田舎だからそういうのすぐ噂になるんだよなぁ」

ふーんと相槌を打つ緋山。

「まさか、お父さんと田所部長がメル友だったとは……」
「画像で確認されちゃったわけね」

カルテを見ながら歩いていた森本は突然背後から腕を掴まれ
仮眠室に押し込まれて驚いた。

「…オイ藤川。白石みたいな可愛い子相手にマリッジブルーか?
だからと言って俺を襲うこと無いだろう?」

ピントのずれた森本の言葉に藤川が頭を抱える。

「違います!!昨日、うちの両親と白石の両親が挨拶とか
勝手にしっちゃった上に、やっぱりここはちゃんと本人から向こうの親に
挨拶するのが筋だとか言って白石のお父さんが今日、この病院に来るんです!」

藤川の説明に森本がウンウンと頷いた。

「まぁやっぱり、ちゃんとそこは男から言わないとマズイよな〜。
でもまぁしかし、病院の食堂で『お嬢さんをください』とはお前も色気無いな」
「確かに職場の食堂って風情が無い……。じゃ無くて!!」

藤川を正面からガッシリ掴み、必死の形相で藤川が詰め寄る。

「森本先生は轟木さんと結婚するって決めて、やっぱり轟木さんの
ご両親に挨拶とかしたんですよね?!」
「そりゃまぁ、普通に…」
「つい最近『ご挨拶』をした森本先生に、是非ご指南頂きたく!!」

最敬礼の姿勢で深々と頭を下げた藤川の様子に森本は気を良くして頷いた。

「さすがに腕はイマイチなのにフライトドクターになれただけあって
お前は人を見る目があるな〜。よし!俺が一肌脱いでやろう!」
「…腕はイマイチって何ですか!!」
「いやいや、白石のお父さんが来るのが食堂で良かったな!
医局に来られたら向こうから『この話は無かったことに』とか
言われかねん。お前の場合」
「…お願いですから、これ以上自信が無くなるようなこと言わないでください…」
「よし、本番まで残すところ2時間!練習するぞ!藤川!」
「…はぁ?」
「俺を白石の父親だと思って言ってみろ」

いきなり言われても、例の飛行機事故の際にチラッと見かけた
さすが有名教授といった貫禄のある白石の父と森本では比較にならない。
これなら気楽にできるかも、と思ったのに、その言葉を口にしようと
した途端、急に顔に血が上る。

「お・おしょうさんをボクにくだちゃい…」

藤川のセリフに森本が吹き出す。

「藤川、お前、噛むにも程があるだろう〜?ほらもう一回!」
「お・お嬢さんを…」

回らない口を何とか動かそうとした藤川の頭に、先程緋山に聞いた言葉が蘇る。

「…白石のヤツ、親が煩いから気を逸らすためとか言ってたけど、
本当はお父さんが病気らしくて、安心させるのが目的みたい」
「…へ?何だよ、それ」
「さっき、田所部長の様子を見に病室に行ったら、
部長が白石に『これでお父さんも安心して治療に専念できますね』って
言ってるのが聞こえちゃったの」

どんな病気か知らないけど、すぐ治るようなものでは無いみたいとの
緋山の言葉に藤川は言葉を失う。
そんな藤川に向かって緋山が念を押すように言った。

「いい?あんたの持ち味は『良い人』なんだから、それを目一杯
押し出して頑張るのよ!嘘がバレて白石をガッカリさせるようなマネしたら、
私があんたのことを半殺しにしてやるから、そのつもりで」
「…物騒なこと言うなよ…」

きついセリフの裏側に隠れた白石を真剣に心配している緋山の本音が見えたから、
藤川も性根を据えた。ここは真剣に演じきってやれ、と。


「藤川先生、手が空いたら食堂に来てくださいとのことです」

昼過ぎになって急患のオペが終わり医局に戻るとクスクス笑う
看護師の言葉に出迎えられた。

「…ついに来たか…」

腹に力を込めて表情を引き締め「よしっ」と気合を入れなおす。
食堂に足を踏み入れた藤川は、ど真ん中を占める席に並ぶ一団に
思わず目を見開いた。

中央に座っているのが白石。穴があったら入りたいとばかりに
小さくなっている。その右隣に座る、入院中に何度か
見かけたことのあるロマンスグレーの男性が白石の父で。

そこまでは良い。

だが、白石を挟んで左には田所部長、その隣には何故か橘。
そして白石の父親の隣には先程まで挨拶指導に励んだ森本の姿まである。
白石を除いた男性陣は、何故か皆、揃いも揃ってシカツメラシイ表情で
胸の前で腕組みをしている有様で。

藤川の運命や、いかに??

夕方ということもあり、夜勤の医師達が夕食を取っている。
みながチラチラと救命オールスターズが陣取った席を見ては目をそらす。
気のせいか男性陣の目は嫉妬に燃えている。

(白石ってファンクラブもあるくらいだもんな)

鼻をフンとならし、席に着く。

「遅くなってすみません……」

白石父がニコリと笑いながら頷く。

「医者同士の待ち合わせなんて、そんなもんですよ」

ホッと息を吐く藤川。

「本日はお日柄も良く、絶好の対面日よりですね」
「雨降ってますよ?」

白石父が窓を指さす。

「お父さん、困らせないでよ!臨機応変な対応苦手なんだから」
「父さん、机を上手にひっくり返す練習とかもしてきたんだけどな」

本人は場を和ませる冗談のつもりのようだが、凍り付く空気。

(ギャグが寒いところは父親似なんだな)

藤川が苦笑いを浮かべる。

「白石は相変わらずだな」

堪りかねた様子で田所が助け船を出す。
不思議そうに首を傾げる白石父。

「ところで藤川先生、どんな急患だったんですか?」

(待ってました)

考えに考え抜いた結果、白石を傷つけずかつ円滑にこの話を潰すためには
こんな奴に娘をやるわけにはいかないと思わせるしかないという結論に至ったのだ。

「ちょっとした右腕切断です。あ〜楽しかった」

わざとらしく舌舐めづりする藤川。

(藍沢風に言えば危ない奴だと思われるはずだ)

「楽しかった??」

田所、そして橘・森本が首を傾げる。

「ここには面白い患者がドンドン運ばれてきて、バンバン斬れるから辞めれないですね」
「ほぉ、患者を斬るのが楽しいかね?」
「外科医は腕が全てですから、一番じゃなきゃ意味ないですし」

ちょっとと口まねし、眉間に皺を寄せる白石。

「田所、お前の所はどういう教育をしてるんだ?」
「いや、これはだな」
「こんなに向上心があって積極的な若い医者は今時珍しいぞ!!」

感心したようにウンウンと頷く白石父。
愕然とする藤川と白石。
笑いをこらえるのに必死な森本。

「それで恵のどんな所が気に入ったのかね?」
「お嬢様っぽいところですかね。僕、偉くなりたいんですよ!」

とにかく徹底的に嫌われようと知恵を総動員する藤川。
今度は白い巨塔の財前教授の真似をしてみることにした。
正直殴られるかもしれないと覚悟したが、一向に気配がない。
恐る恐る目を開けると、満足そうに頷く白石父。

「若者はそうでなければな。甲斐性が無くてはな」

(まさかの高評価かよ。)

白石はもはや諦めたのか、顔を俯けている。

(最初から違和感を覚えてたんだけどさ。
 なんでお前そっちに座ってるんだ?
 こっちでフォローするもんじゃないの?
 泣き崩れたりとかさぁ、色々やることあるだろうに)

沈黙が流れる。
相変わらず難しそうな顔をしている橘。

(というか、何で橘がいるんだよ。俺は自他共に認める森本派だぜ?)

悪ぶるために少し遠くを見据えてみた。

フフフと鼻で笑う白石父。

「橘先生の仰るとおりでしたね。藤川先生は自分を知っているようだ」
「はい???」
「わざと三枚目を演じようとするとは、本当に良い人を見つけたな」

鳩が豆鉄砲を食ったような表情をする藤川。

「付き合ってるって嘘なんだろ?」

目を丸くする白石と藤川。

「え?」
「お父さん?」
「いやぁ、藤川が相談に来たときはどうしようかと思ったよ。
 まさかほんとにこのまま挨拶しちゃうのかと思ってビックリしたよぉ」

森本が腹を抱えて笑う。

「おかしいと思ったんだよ。
部長の田所はともかく職場の人が誰も知らない、
付き合ってる気配すら気がつかないなんて」
「え?じゃぁ、俺がもし挨拶してたら?」

藤川はまだ事態が飲み込めていないのか目を白黒させている。

「殴り飛ばしてたよ。恵も問答無用で東都大の循環器外科に転院させるつもりだった」
「お父さん!どういうこと?」

顔を真っ赤にする白石。

「父さんが居なくなって、恵が一人で生きていけるか心配だったんだよ」
「居なくなる???」

藤川が首を大きく傾げる。

「今日は会えて良かった。これからも恵をよろしく藤川先生」

照れくさそうに頭を下げる白石父。

「あの……、実は俺まだ全然なんですが、いつかきっと一人前になりますんで」

慌てて頭を下げる藤川。

「焦らなくて良いんだ。気長に待つから」

涙ぐむ白石。
頭を上げ安堵の表情を浮かべる白石父。

「着実に一歩一歩、恵さんと一緒に歩いてお父さんみたいな立派な医者になります」
「橘先生、森本先生。二人のことよろしくお願いしますね」

力強く頷く二人。

「さて、そろそろ釧路の講演会に向かうと時間だな」

白石父が立ち上がる。

「あんまり無理するなよ」
「恵がフェローをやるのが、お前の病院で良かった。
 これでもう思い残すことはない。最後の瞬間まで医者でいられる」

藤川に手を差し出す白石父。
慌てて立ち上がり、ガッチリと握手をする藤川。
白石が嬉しそうにそれを見つめる。

白石の父親との面談(面接?)を無事に終えた翌週、
仕事が落ち着いたのを見計らったかのように白石が藤川に声をかけてきた。

「遅くなっちゃったけど、お父さんと会ってくれて、ありがとう」
「…別に白石が御礼言うようなことじゃ無いだろ?
俺だってあれから見合いの話無くなって助かったし」

藤川の言葉に白石が首を横に振る。

「うぅん。事情は詳しく話せないんだけど、本当にありがたいって思ってるの」

そういうと男なら誰でも惚れ惚れするような満面の笑みを向けてきた。

「だから、御礼に今夜食事にでも行かない?感謝の気持ちを込めてご馳走するから」
「いいよ、そんなに気を遣わなくて」

一応遠慮してみたものの、白石と二人で出掛けるなんて、この機会を逃したら
二度と巡って来ないかもと思った瞬間、藤川は考えるよりも先に提案していた。

「…落ち着いて見えても、これから急に忙しくなるかも知れないし。
帰れる時間も不確定だし、いっそ外で食事するより一緒に料理でも作って食べないか?」

一緒に料理を作るってことは、どちらかの家に行くということで。
断られるかなと思った藤川の予想を裏切り白石はニコニコと手を打った。

「それ面白いかも!じゃぁ帰りに買物しに行くってことで良い?」
「了解。帰れそうになったら電話するよ」

浮かれ気分を抑えつつ、藤川は白石と別れ仕事に戻った。

「えーっと、タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、白滝、牛肉…」

買物カゴにぽんぽんと食材を放り込む藤川に白石が問いかけた。

「随分手馴れてるね。普段自炊してるの?」
「大学卒業してからは、ほとんどしてないな。

でも、学生時代は生活費抑えるためにも自炊はしてた」

「…そうなんだ」

軽く表情を曇らせた白石の様子に気付かず、藤川が尋ねた。

「白石ん家って調味料とかは揃ってる?醤油はあるだろうけど、みりんとか料理酒とか」

まぁ料理酒は無くても日本酒あれば何とかなるけど、白石って家で
酒とか飲まなさそうだしな、と一人喋り続けていた藤川は
白石から返答が無いことの気付いて振り向いた。

「…みりんとか、普通は家に置いてあるものなの?」

気まずそうな表情に何となく事情を察して藤川が目を丸くした。

「もしかして、自炊とかあんまりしないタイプ?」
「…うん、実はそうなの」
「まぁ、大学も医学部って大変だし、そういうヤツ多いし気にするなよ」

小さくなった白石に藤川が笑いかける。
「だったら、このまま俺の家に来ないか?かなり古いけど調味料一通り揃ってるから」
残りの食材をカゴに放り込むと、遠慮する白石の腕を引っ張って藤川はレジに向かった。

いかにも日本の家庭料理と言ったおかずが並ぶ食卓に白石が思わずにっこり笑った。

「藤川先生って料理上手いんだね」
「白石だって、さすがに器用だよ。食材切るのとか俺よりずっと上手かったし」

切る担当→白石、調理担当→藤川でうまく役割分担すると
思った以上に作業がはかどり、白石が満足気にため息をつく。

「料理ってこんなに良い気分転換になると思わなかった。
忙しいとか言い訳しないで私もちゃんと自炊するようにしなきゃ」

そう言うと藤川に笑いかける。

「でも、藤川先生と結婚する人って幸せだね。仕事終わった後で
一緒にご飯作って食べるって、何だかすごく幸せな気がする」

深い意味は無いのだろうが、白石のセリフに思わず藤川はドギマギした。
そんな藤川の様子に気付かず、白石は一人で食べるより二人で食べた方が
美味しいだの、料理が得意な男の人ってカッコいいだの、
もしかしてコイツ俺のこと誘ってるのと勘違いしそうなセリフを
ポンポンと投げかけてくる。

普段男のくせに、なんてお喋りなんだと罵られることが多い藤川が
やけに寡黙になっていることに気付いて白石が藤川の顔を覗き込んだ。

「…藤川先生?」

間近で見た白石の不思議そうな表情に、ついに理性がブチッと切れて
藤川は思わず白石を力任せに抱きしめた。

バッチン!!

派手な音が鳴り響くと同時に目の前を火花が散る。
頬がヒリヒリする感覚に、藤川は自分が白石に思いっきり
引っ叩かれたことに気付いた。

我に返って白石を見ると、涙目になって自分を見つめる姿に
罪悪感が急激に込み上げる。

「…白石、ゴメン!あんまり白石が可愛かったから、つい」
「つい?つい出来心で手が出たってこと?」

厳しい指摘に声もでない藤川の目の前で猛然と帰り支度を整えると
白石は玄関へ駆け出した。

「…おい!時間も遅いし送ってく!」
「いい!タクシーで帰るから」

飛び出した白石の後を慌てて追うが、白石は家の前を通りかかった
タクシーを拾いすぐさま乗車する。
遠ざかる車を、藤川は呆然と見送った。

ため息をついては白石の様子を遠目に窺う藤川の様子に通りかかった
冴島が声をかける。

「…ケンカでもしたんですか?」
「ケンカって言うか、俺がバカなことしちゃって一方的に怒られてる状態」
「藤川先生がバカなことをする程度で白石先生が怒るとは思えないですけど。
賢い行動をしているの、あまり拝見した記憶が無いので」

あえて怒らせようと投げかけた言葉に言い返しもせず
うな垂れる藤川の様子に、からかい口調を改め冴島が向き直る。

「…何だか真剣に悩んでるみたいですね」
「白石みたいな純情そうなタイプに誤解されるようなことしちゃったって言うか」
「まさか、押し倒したりしたんですか?」

嫌悪感を込めた視線で睨まれ、慌てて否定する。

「まさか!ちょと抱きしめちゃったけど押し倒すつもりなんて全然!」
「………………」
「…あ」

思わず口を手で覆った藤川に冴島がやれやれと首を振った。

「…自分で言うのも何ですけど、藤川先生って私のこと好きなんですよね?」

絶句した藤川に対して冴島がため息をつく。

「藤川先生の気持ちに気付いてない人なんて、この医局には一人もいませんよ」
「…冴島のことは真剣に好きだった!でも今は…」

言いかけて口を閉ざした藤川の様子に冴島が微笑む。

「過去形になってますね。『好きだった』って」

黙り込んだ藤川に冴島がたたみかける。

「…それ、ちゃんと白石先生に伝えました?藤川先生の中ではちゃんと

順序を踏んで気持ちが変わってるんでしょうけど、白石先生からしてみれば
藤川先生の気持ちが昔と変わってるって知る術は無いんですよ?」

「…冴島…」
「ほら、さっさと仲直りしてきてください!藤川先生はともかく、

白石先生が落ち込んでいたら仕事に差し障りが生じますから」

カルテでポンポンと背中を叩くと立ち上がった藤川は
白石の方へ歩きかけたが冴島を振り返って真剣な口調で断言した。

「お前のことを好きだったって気持ちも、絶対に嘘は無いから」
「分かってます。だから早く行って」

白石に近付いた藤川が何やら話しかける。最初は背中を向けていた白石が
めげずに話続ける藤川の様子に、しばらくするとクスクス笑い始め、
二人で顔を合わせてニッコリした。

「…本当に、天然カップルは世話が焼けるよな〜」

冴島に近付き森本が話しかける。

「にしても、お前も人が良いな?藤川のこと、ちょっとは良いなとか

思ってたんじゃ無いの?」

「藤川先生のことはあくまで『良い人だな』としか思っていません」

冴島の強気な言葉に森本は苦笑した。

「藤川みたいに周りを巻き込んでいくのも一つの才能だぞ。冴島みたいに優秀だと
何でも一人でこなしちゃんだろうけど、たまには周りを巻き込むことを考えろ」
「…そうですね」

二人揃って藤川と白石が談笑している様子に目を向ける。

「きっかけは嘘だったかも知れないが、嘘から出た真って展開もあるかもな」

森本のセリフに冴島もそれもあるかも、と心の中で頷いた。


ちょうど、同時刻。

「どうも田所です。暖かくなってきましたがお元気ですか?
あぁ、冴島先生も相変わらずご活躍なようで、何よりです」

部長室で電話に向かって話す男が一人。

「いやいや、私は手術後の経過観察という名目で仕事も満足にできず暇で暇で…。
まぁ、時間を有効に使って、仕事一辺倒な部下の世話でも焼こうかと…」

鷹揚に笑いつつ話を続ける。

「白石教授の娘さんはどうも上手く行きそうなので、次はお宅のお嬢さんをと。
どうです?うちの病院は優秀なの医者が粒揃いですよ?」

田所部長の次のターゲットにされるのが誰なのか。それは部長の胸だけに秘められている。






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