お弁当
黒田脩二×白石恵


「白石!!」

頭上から重たい金属が崩れる悍ましい音と黒田先生の叫び声が聞こえたのは、ほぼ同時だったと思う。
気がついたら私は、雪崩の様に崩れた鉄骨の下敷きになった黒田先生を呆然と見詰めていた。

あの事件から、私の人生は変わってしまった。

「お前等と…出会わなければ良かったな。」

黒田先生の冷たい声が頭の中で何回も再生され、私はたまらず頭を抱えこむ。

「私も…黒田先生に出会わなければ良かった…。」

ポタリ…と、瞳から零れた雫がズボンに染みを作った。

白石が黒田と特別な関係になったのは、ちょうど一ヶ月ほど前の事だった。

その日−−

「黒田が倒れた!?」

ワークステーションに藤川の大きな声が響く。

「シッ!藤川、声デカイよ。」

緋山に諭され、藤川は周囲を見回すと緋山に一歩近付く。

「有り得ない、有り得ない。だってあいつ、サイボーグだもん。」
「でもさー、あたし聞いちゃったんだよね。看護士さんが話してるの。

回診中に黒田先生が貧血起こして倒れたって。まあ、すぐに回復したらしいけど。」

「マジかよ。あいつ俺達にはいつも厳しくしてる癖に、大したことねーな。」

ハハハ、と笑う藤川に緋山が呆れた顔で呟く。

「…ま、本人を目の前にしたらアンタもそんなコト言えないと思うけど。」
「え?何か言った?」

緋山の言う事を聞き取れなかった藤川が更に緋山に近付こうとした時
緋山は何かを見付けたらしく廊下を指さした。

「あれ、白石じゃない?」
「あ、ホントだ。……あいつ何やってるんだ??」

二人が見付けたものは、挙動不審に廊下を行ったり来たりする白石の姿だった。
胸に何かを大事そうに抱え、周囲をキョロキョロと見回している。
藤川と緋山が見守る中、白石は「よしっ!」と自分に気合いを入れると廊下の向こうに消えて行った−。

「…なんか今の白石、メチャクチャ怪しくなかった?」

緋山が藤川を見ると、彼も同意した様に頷く。

「ああ。…もしかしてアイツ生理かな?」
「バカッ!そういうのセクハラになるんだからね!」

緋山はバシッ!と音がするくらい強く藤川の腕をひっぱたいた。

「いってーな!良いだろうが、医者なんだから。」

その頃白石は、カンファレンスルームの前に立っていた。
ドキドキ高鳴る胸を押さえ、手の中に抱えたお弁当箱の入った袋を見る。
今度こそ黒田先生が受け取ってくれます様に…。小さく神様にお祈りする。
ノックをして中に入ると、案の定、黒田が患者のレントゲン写真を見ている所だった。

「白石か?」
「…はい。」

黒田は白石の方を振り返らずにため息をついた。

「…また弁当か?」
「はい。先生が倒れられたのは、ちゃんと食べてないのが原因だと聞いて…。」

黒田は僅かに眉間に皺を寄せた。

「そんな事に時間を割いている暇があるんなら、他にやることがあるだろ。」
「でも…!みんな心配してます。私だって凄く心配なんです。

また黒田先生が倒れたらって思うと胸が痛くて…」
その言葉を聞いて、黒田は白石に近寄って行った。

「呆れた奴だな!救急病院のフライトドクターになろうって奴が、未だに学生気分か!?」

ジリジリと壁に追い詰められながらも、白石は必死に反論する。

「違います!私は全力でこの仕事と向き合ってるし、黒田先生の事だって誰よりも尊敬してます…!」

「そうか…」

黒田は白石の背中が壁に当たると足を止めた。

「お前は俺が好きなのか?」

白石は黒田の目を真っ直ぐに見返す。
黒田がこんな事を言うなんて意外だと思ったが、白石は二度とないチャンスだと思い、覚悟を決めた。

「…はい。今、気付きました。私は黒田先生が好きです。」
「俺は…お前が嫌いだ。」

そのまま黒田の顔が近付いてきた。白石は反射的に目を閉じる。
言葉とは裏腹に、優しい優しいキスだった。

体が上手く動かない。
好きな男とただキスしているだけなのに、白石は身体の芯が小刻みに震えるのを感じた。
原因は何なのか解らない。今まではそんなことなかったのに。

「大丈夫か?」

黒田が心配そうに尋ねる。

「だいじょ…ぶで…す。」

白石は震える小さな声で答えた。

「怖いか?」
「いえ…」

声は震えているが、表情は毅然としていて、心の中では次の展開を望んでいる。

「…やめようか。」

心から心配そうな表情の黒田に、白石は黒田の服の背中を握りしめた。

「大丈…夫です。続けて下さいもっと、して欲しい…。」

「…わかった。」

黒田は困った様に少し笑うと、再び白石に口付けた。
不安そうにしている彼女を気遣うように背中に手を回すと、服の下に手を延ばす。
前をはだけさせて胸の辺りに印を付けると、白石は小さく声を上げた。
心臓は心配になるくらいドキドキしている。
黒田は愛撫をほとんどしていない白石に突き立てた。

「悪い…。そんなに時間がないんだ。」
「わかってます…」

声を押し殺して快感に耐える姿は、黒田にはとても妖艶に映った。
ずっと子供だとばかり思っていたのに…。


それから黒田が事故に遭うまでの一ヶ月の間、二人は幾度となく身体を重ねた。
白石はその度に黒田に自分の事を好きか尋ねたが、黒田は一貫して嫌いだ、と言うだけだった。
だが白石は、関係を持つたびに増えていく黒田に付けられた所有印に、確かに彼の愛を感じ取っていた。
結局は白石の思い込みで、本当の所はどうなのか解らないが…。


−−−


瞳から零れた雫は、いつの間にか私のスボンに沢山の染みを作り、膝の方に広がっていく。
泣いても泣いても涙は枯れることなく流れ、泣くことしか出来ない自分を無力だと思った。

ふと、更衣室に緋山先生が入ってきて、いつもの様に着替えを始める。
私は彼女に気付かれない様に背を向けた。

「腕、無くしたのがアンタじゃなくて良かった。
黒田先生には悪いけど、それが本音。」

私は去って行く緋山先生の背中を見詰める。
彼女なりの精一杯の優しさなんだろうけど、私にとっては全然救われない。

「…何でよ?」
「え?」
「何でみんな私の事責めないの!?どうしてお前のせいだって罵ったりしないのよ!
…みんな優しくしてくれるの。冴島さんも、藤川君も、藍沢先生でさえも…。」

抑えていた感情が爆発して、私は子供の様に泣きじゃくった。
緋山先生はそれを見て、意外にも近寄って私を抱きしめてくれる。

「白石だけじゃないよ。みんな他人事じゃない。
いつ自分がそうなるか解らないのが私達の仕事だよ。
ただ、あたしが言えるのはアンタが無事に帰って来てくれて良かったってこと。」

緋山先生に背中をさすってもらいながら、私はこの先に待っている闇を思った。
自分の愛する人を、病院にとっての大黒柱を失った十字架を、この先私に背負って行けるのだろうか…。






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