悪戯
金田鉄男×堤芯子


――とある街のとあるビジネスホテル。
空室が目立つごく普通のホテルの一室に、カタカタとタイピングの音が響いている。
都心であれば窓からの景色もそれなりのものかもしれないが、
あまり産業が発展しているとはいえない片田舎のホテルでは夜景など望むべくも無い。
室内の灯りはベッドサイドの小さなスタンドライト、
そして男の向かうノートパソコンのディスプレイの光のみだった。

「…750万…その後の調査で、判明…と……」
「…そーめんかぼちゃって、独り言言いながらパソコン打つんだぁ」

不意に、響くはずの無い声が背後で響き、
スーツの上着を脱いだだけの金田はぎょっと目を見開いて後ろを振り返った。

「なんであんたがここにいる!」

ホテル備え付けのしどけない浴衣姿で、缶ビールを片手にシングルのベッドに腰掛けていたのは
今回の調査に同行していた堤芯子だった。

「あんたの部屋は隣だろ、勝手に鍵開けて入ってくるな!」
「えー? 鍵、開いてたけど」
「嘘つけ、俺が鍵を掛け忘れるはずがない」

しかめっ面で立ち上がり、つかつかと近寄った金田は
「ベッドの上で飲むんじゃない」と、芯子の手からビールの缶を取り上げる。

「だぁって、今回はダブルパーもいないしさぁ?
たった二人しかいないのに、あんた部屋に篭っちゃうしー。
お風呂も入っちゃったし、暇だったんだもん」

芯子はわざと拗ねたそぶりで唇を突き出して、ベッドにごろりと転がった。

――今回の地方出張は、金田と芯子の二人だけだった。
不正会計の調査の通知を渡してきた門松は物凄く複雑な顔色で
「二班は人員が足りないから、今回は仕方なく、しかたなーくだな…」と、
何かを振り払うように繰り返しぶつぶつ呟いていたのだが。


「…俺は仕事をしてただけだ。あんたも自分の部屋に帰って早く寝ろ。
明日も調査があるんだ、寝坊でもしたら置いてくからな」

苦虫を噛み潰した顔でそう言うと、
金田は芯子の事など無視して再びパソコンに向かう。
部屋を出ることも無く、ディスプレイの青白い光に浮かび上がる輪郭を
黙って見つめていた芯子は、不意に猫が甘えるように擦り寄ると
金田の背中に抱き着いてきた。
押し当てられる胸元の柔らかさと、首に絡む白い腕。
石鹸の甘い香りが、ふわりと金田の鼻腔に忍び込む。――そういえばさっき風呂上りなのだと言っていた。

「――っ、おい、なんだ!」

唐突な出来事に狼狽した声を上げ、振り払おうとした金田の身体がぎくりと硬直した。

「…鉄男、さん。私より仕事が大事?」

耳朶に押し当てられる柔らかな唇。
蓮っ葉な芯子のどこにそんな媚態が潜んでいたのか、
にわかに彼女のものだとは信じられないくらい、甘い蜜のような囁き声。

「お仕事なんて置いといて、たまには私のこと…ちゃんと構って」

耳元で、ちゅっと小さくキスの音。思わずぞくっと背筋が震えたのを悟られたか、
振り返ると抱擁を解いた芯子は、悪戯が成功したと言わんばかりの無邪気な顔でくすくすと笑っていた。

「やだなーそーめんかぼちゃってば動揺しちゃって。彼女いないのぉ?」

もしかして童貞?なんて失礼極まりない品のない呟きは、  
呆然としていた金田の耳には届いていなかった。

――なんで。なんで、こんな女がいるんだ…。

じわりと湧き上がる激しい衝動。
それは出会ってこのかた振り回されっぱなしの金田の中に我知らず蓄積されていた苛立ちだったのか。
それとも、力強い輝きで不正を正す彼女への憧憬だったのか。

金田の心情を知ってか知らずか、侵入した時には既に酔っ払っていたらしい芯子は
再びベッドにころりと横たわってまだケタケタと笑っている。
ぼんやりと灯りが燈るのみの狭い室内に、先程嗅いだ石鹸の香りが漂っていた。
シーツに長い髪が散っている。僅かに乱れた浴衣の裾からは、白い素足が覗いている。
色気とは無縁に思っていた女の無防備な姿に、噛み締めた金田の唇から低い唸りが漏れた。

「…仕事より、女のほうが大事な時もあるな」

いつになく低い金田の呟きに、緩めただけのネクタイを解く布音が鋭く混じった。
え?と笑顔のまま固まった芯子に有無を言わせず圧し掛かると、
あっという間にその両腕を頭上に纏め上げ、細い手首を自分のネクタイで縛りつけてしまう。

「え、…ちょ、ちょっとなにしてんのそーめんかぼ」
「ちゃ、じゃない。鉄男さん、だろ?」

最後まで言わせずに言い返した金田は、わざと酷薄に微笑んでみせながら
拘束した手を離すと芯子の浴衣の襟元に手を掛けた。

「…やだ、さっきのはじょーだんだって、じょーだん! 重ーいってば!」

体格差は歴然としている上、手首を纏められていてはさしもの彼女も身動きが取れないのだろう。
ベッドに押し付けられたまま金田の強張った表情を見て焦った芯子は
取り成すように愛想笑いで誤魔化そうとしたのだが。

「冗談? 誘惑してきたのはそっちだろ。
男の部屋に勝手に入ってきておいて…今更なしなんてのは無理な相談だ」

芯子の発言は金田の勢いに油を注いだだけだった。
気まぐれな雌猫みたいに男に擦り寄って、気が向かなければそっぽを向いて身を翻す。
そんな勝手は許さない。

「っ、やだってば! やーめてって言ってんでしょっ、強姦で訴えるよ!?」
「自分から二人きりになってベッドに寝っころがっといて、そんなの通用するかよ」

たとえ女でも、どかどか本気の蹴りを入れてくるのは結構痛い。
暴れる芯子の両足首を掴むと、力任せに押し広げて身体の上に乗り上げる。
ちょうど正常位のような格好だ。
乱れた浴衣の下のショーツに熱く滾った部分を押し付けると、
芯子は小さく息を呑んだ。
襟元を掴んで、ぐいっと左右に肌蹴させる。
ぎくりと身を強張らせる彼女を見下ろし、しばし目を見開いていた金田がはーっと落胆めいた吐息を漏らした。

「…随分色気のない下着だな」
「い、色気なくて悪かったね! 見せるつもりなんかなかったんだからしょーがないでしょうがっ」

浴衣の下は飾り気の無いごくごくシンプルなブラのみだった。
あまり豊かとは言えない小振りな胸元だ。
見たくないならさっさと離せと噛み付くように叫ばれたが、
羞恥にか頬に赤みが差したのが見て取れて、却って煽られてしまう。
身を離した金田は芯子の身体をひっくり返してうつ伏せにすると、襟元を掴んで引き下ろした。
衣服の上からでは判らない、細い肩から背中が剥き出しになる。
淡い光に照らされた肌は白くなめらかだった。
いつもは束ねている長い髪はまだ少ししっとりと濡れている。
金田は唇でその髪を押しのけると、現れた耳朶に先程のお返しとばかりに噛み付いた。

「うひゃっ!」
「だから…なんでいちいちそう色気がないんだ」
「んんっ! や、だ…あぁっ、しゃべんない、でっ…うんっ」

耳朶に唇を這わせ、舌を差し込んで擽りながら囁くと、びくびくと組み敷いた身体が震える。
耳が酷く弱いようだった。嬌声じみた声を引っ切り無しに上げている。
抵抗が弱まっているのは感じているせいなのか、それとも暴れて酔いが回っているせいだろうか。
耳を食んだまま首筋から肩先に撫で下ろし、今度はブラの隙間から指を潜り込ませて直に乳房を掴んだ。

「『ちゃんと構って』やるよ、堤芯子」
「あ……っ、だから冗談って……あ、ぁっ…」

やわやわと揉みしだきながら乳首を転がすと、存在を主張するように硬く尖ってくる。
離した片手で今度は裾を割り、太腿を撫で上げると、緩く首を振って唇を噛み締める。
どこもかしこも過敏で、本当に拒否しているのだろうかと疑いたくなるくらい、吐息交じりの声は甘い。
身じろぎするたびに酷い格好になっていくことに気付いていないようで、
普段やり込められている相手をいいように翻弄できる悦びに
知らず金田の表情は薄く微笑みを浮かべていた。

「…たまには可愛いとこもあるんじゃないか」
「っなにが…強姦しといて、よく言う…っ…もう、重いってば!」
「この程度じゃ単なる強制わいせつ…まあ、合意の上だから犯罪にはならんがな」

応酬を繰り広げながらも、太腿を撫でた無骨な指は、これまたシンプルなショーツの脇から中へと滑り込んだ。
割れ目に添って指を動かすと、そこはしっとりと濡れている。確かに感じているのだ。
摺り下ろしたショーツは太腿辺りで中途半端に絡まったまま。
脚を開かされているので、閉じようとしても閉じられず、芯子が悔しそうな声を漏らした。

「むっつりすけべのヘンタイそーめんかぼちゃっ……、ああもう…やめてって言って…、あ、あっ!」

不意に、恨み節が嬌声へと変わった。
弱いところを捕らえた指先が、器用に動いてそこを刺激したからだ。
細い腰が浮き上がり、快感に震えて竦んでいる。どっと溢れ出した蜜を掬って更に追い詰め、
金田は無言のまま塗れた指を中へと潜り込ませた。
熱くて狭くて、どこをどう弄っても声が上がる。快感を湛えた女の声。
いやだのやめてだの吐息混じりにわめいていた芯子だが、
やがて騒ぎ疲れてしまったのか、くたりとシーツに顔を埋める。
芯子の顔が見えないのは残念だが、金田もそろそろ限界だった。

「っ…も、このへんでいい……だろー…」

諦めを含んだ声に苦笑した。この期に及んで止められるか。
伏せたままの彼女を放置して、偶々財布に入れていたゴムを手早く着ける。
万一の対応は抜かりない、この辺りが公務員気質、なのかもしれない。

準備を終え、興奮を隠し切れない熱い息を吐いた金田が
喘ぐばかりの芯子の腰を抱え上げて浴衣の裾を捲り上げると、

「腰、あげてろよ…」

散々いたぶったその場所へ、一息に押し入った。

「っは…――ぁああ…あっ!」

潤みきった芯子の中は熱く蕩けて、金田を強く締め付けてきた。思わず充足感に喉が鳴る。
剥き出しの丸い尻をぐっと掴み、更に奥を掻き回すと、芯子が仰け反って髪を振り乱した。
強く腰を打ちつけ、感じて声を上げる箇所を執拗に突き上げる。
不意に、ネクタイで縛られたままの指先で、堪えるようにきゅっとシーツを掴んでいるのが目に留まった。

――いま何を考えて俺に抱かれているんだろう。

不正を働く者たちに、金を返せと宣言するその様は凛としていて、圧倒されて。
ただの蓮っ葉な言動の馬鹿女などではないと思わせるには十分だった。
だが今は、ぐしゃぐしゃになった浴衣は帯でかろうじて引っ掛かっているだけ、
ホックを外しただけのブラも、肩紐が二の腕辺りに絡んでいるだけの酷く扇情的な姿で
恋人でもない男に揺さぶられている。

金田の指先が無意識に動いて、動きにつられて揺れる乳房を強く掴んで捏ね回した。

――工藤は。あいつには、この女がどう見えているのか。
芯子に告白をした工藤は、このことを知ったらどう思うだろうか。

「……んんっ! …あっ……も…う、……あたし…だめ……っ」

思考を巡らせていた金田は、首を振って懇願する芯子の声にはっと我に返った。
ぎゅうっと中の締め付けが強くなり、達しかけているのが伝わる。
この女を征服したような、圧倒的な満足感に、自然と金田の動きは速まった。

「……そろそろ、いくぞ」
「…ん、あ、はあっ、…ああ、い、ち……ろ、…っ…――…あああ…っ!!」
「……――っ!!」

高い声を上げて仰け反った芯子が絶頂へと駆け上がり、食い締めるように中が激しく痙攣する。
引き摺られるように、ぐっと唇を噛み締めた金田は彼女の中で達した。
脱力してぐったりとシーツに身を投げ出した芯子から身体を離し、
後始末をした金田はベッドの縁に腰を下ろしてこめかみに手を当てた。
彼女は、誰に、抱かれていたのだろう。
自分はもともと蚊帳の外だということだったのか。

ややして、ゆっくりと体を起こした芯子が
いい加減痛いんですけどと、拘束されたままだった手首を差し出してくる。
無言でネクタイを解いてやると、眉を寄せた芯子が顔を覗きこんできた。

「……何、……どしたの、そーめんかぼちゃ」

汗に濡れた前髪を掻きあげて気だるげにこちらを見つめる芯子の瞳には、
はっきりと金田の姿が映っていた。

「……いや、なんでもない。あんたはこのままここで寝てろ。俺は向こうの部屋で寝る」

放置していたノートパソコンを閉じ、
首を傾げつつも素直にシーツを纏った芯子を残して、金田は部屋を出た。

――あの時、嬌声に紛れて聞こえた一つの名前。
芯子と繋がりがあるのは、工藤などではなかった。
まさか、角松が相手だとは――……。
色々と思い当たる節が無いわけではなかったけれど、
発覚してしまった事実に目の前が暗くなる。
隣室のドアを開けると、そこには一度芯子がシーツを剥いだのだろう、乱れたベッド。

「………はっ」

自嘲の笑みを漏らすと、扉に凭れ掛かった金田はずるずると床へとしゃがみ込んだ。
ある名前を呼んでいたことに、彼女は気付いていないらしい。
強引に抱かれても、芯子の心は揺らいでさえいない。
後悔も怒りもなく、ただありのままの彼女がそこにいた。
忘れてくれとか、二人の秘密だとか、そんな陳腐な台詞は死んでも言わない。
いや、言わずとも、彼女は口を噤むだろう。

――ただひとつ。

「鉄っちゃん!」と屈託の無いあの笑顔で呼ばれたその時に、
今までと同じ顔で応えられるのだろうかと、
それだけを金田は一晩中悩み続けたのだった。






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