純粋な好意(非エロ)
角松一郎×堤芯子


純粋な好意、というものに、どうにも弱い。
好かれて嫌な気はしないんだけど、正直、参るね。
下心が見え見えならいいんだけど、ただ告白されるだけってのは、堪える。
なんでかっつうと、答えはカンタンで、アタシはその純粋な好意に対して返せるものを持ってないから。
好きって言葉の重いこと。
見返りなんか要らないなんて殊勝な顔をして、だから余計に困るだなんてきっと、わかっちゃないんだろ。
「好きです」の後に「付き合って下さい」なんて付いてたら良かったのに。そしたら、断ってやれたから。
でも、アイツがアタシのことが好きだって気持ちを、嘘だ、なんて無下には出来ない。

言ってくれなきゃ良かったのにな。
アイツはアタシを「好きなのかもしれない」そんな曖昧なままなら良かったのに、な。
あーあ。
アタシはもう、考えなきゃいけない。

どーやってアンタを突き放すか、考えなきゃいけない。

酷く体調が悪い。風邪をひいたようだ。
目の前がぐらぐらと揺れて、芯子はふらりとよろめいた。
思えば、昨日から少し背筋に寒気が走るような感覚はあったのだ。
けれど、テレビの気象情報曰わく今年一番の寒さ、であったから、そのせいで肌寒く感じただけだと思っていた。

秘密の睦言

いつものように検査庁へ赴き、椅子にどっかり腰を据えると気怠い身体をデスクに身体を預けた。
すると、伸びて早々に堤芯子、金田鉄男、工藤優に声が掛かる。

「今日は−−」

招集をかけてきた相手、角松一郎が何かを話している。
今日はどこそこの、なんとかというなんたらの調査を、云々。耳に入らない。
寒い。デスクに突っ伏したままで居ると「寝てるんじゃない」と誰かに言われた。
角松か、金田か?言い方からして工藤ではない。
わからないけれど、その言葉に芯子はただ一度息を重く吐き出し、立ち上がる。

「行くよ……」
「聞いてなかったのか」

角松に、呆れたようにそう言われた芯子は思い切り苛立った顔をそちらに向ける。

「なに」
「調査は昼過ぎからだ」

……。

「あっ、そ」

どうにも調子が、あがらない。

※※※

今回の調査対象は所謂「ハコモノ」。着いて行った芯子は、しかし実際に何か不正らしきものが出るまでまるで役立たずだ。
椅子にもたれ掛かり、一応形だけは電卓を打つがそれも意味はない。
ぐるぐる、ぐるぐる、意識は冴えているが景色が一枚フィルターを挟んだようにふわふわとして現実味を帯びない。
寒い。カタカタと電卓を打ち鳴らす音が止んだ。書類を集める、紙の擦れる音がする。

「……おわり、か?」
「ああ。とりあえず書面上怪しいところはなかったな。……よし」

書類をまとめた角松が、出るぞ、と促した。

「それじゃあ、俺はこれを上に出してから帰るから、みんな直帰していいから」

片手に書類の入ったバインダー、片手に鞄を携えた角松がそう言って検査庁へ踵を返そうとするのを、工藤が引き留める。

「あ、それもし僕でいいなら提出して来ます。デスクに携帯忘れちゃって、取りに行くので」
「や、でも」

提出は誰でも、否、コイツでなければ誰でも良いんだけれど上司としてそれは悪い、と首を振る角松に、金田も言う。

「俺も一度庁舎に戻りますから、補佐こそ直帰して下さい。最近忙しくて録に寝てないんでしょう」

二人に、後は任せて下さい、と言われ、角松はそこで折れた。

「……じゃあ預けていいか?」
「はい」

バインダーを受け取った工藤がどこか上の空の芯子を見やる。

「芯子さんは……」
「ん?……アーターシーは、帰、る」

危ない。ほうけていた。芯子は取り繕うようにいつもを装って、少し怠そうに歩く。

「んじゃ、お疲れさん」

後ろから、お疲れ様でした!の声、それから、んじゃあ俺も帰るな、悪いけど宜しく頼むわ。が聞こえた。

路地にふらりと入り込んだ芯子は、その壁に背中を預けるようにずるずるとしゃがみこんだ。
気持ち悪い。吐きそうだ。唾液の量が半端じゃない。はあ、はあ、と荒い息を地面に向かって吐き出す。

(こりゃカンッペキ風邪ひいたな)

検査庁の面々には恐らく気付かれずに済んだ筈だ。
少し休めば、家まで歩いて帰れない距離ではない。遠くはあるが、大丈夫。
そう自分に言い聞かせながらも立ち上がる気力が出ずに身体を折り曲げていた芯子の前に、影が立った。

「何してんだ、お前」
「……」

角松だった。
よろよろと見上げると、長身が此方を見下ろしている。なんて間の悪い男だろうか。

「……体調、悪いのか」
「べ……っつにぃ、わるくなんか……」

ない、よっ!勢いで立ち上がるが、頭が揺れる。途端にこみ上げる吐き気。
それをなんとかやり過ごして、壁伝いに歩きだす。

「ってあからさまに悪いだろ!」
「……っさいな……」

寒い、寒い、寒い。

「さむ……」

うっかり、言葉に出してしまった。
とはいえ元々芯子の今日の格好はいつもの長袖のシャツにジャケットなので、別段おかしい言葉ではない。
ごまかすように、「きょーはさっみぃなあ」と呟いて、アンタも風邪ひかないうちに帰んな、と、そちらを見もせず手を振ってやると、その手が、掴まれた。

「寒い?手はこんなに熱いのにか?」
「……触んなっつーの……」

言いながらも振りほどく力もない。折れそうになる膝に、舌を打つ。

「タクシー呼んでやるから、」

それに乗って帰れ。
角松がその台詞を言い切ったのと、芯子が地面に崩折れたのはほぼ同時だった。

「き……もち、わ……」

意識がブラックアウトする。その、寸前に、芯子の耳に「しっかりしろ、芯子」という聞き慣れた声が聞こえた。

(アタシの、名前)

洋子ではなく、堤芯子を呼んでいる声。

※※※

(芯子さん、好きです)

そんな声が頭に響いて芯子は目を覚ました。
またこの夢かと思いながらそろそろと目を開けば、そこは、知らない天井。
周りを見ると、それ程物はなく整理された棚だの何だのがあるだけの簡素な部屋。
部屋や調度品には見覚えはないのでここは取り乱すべきかも知れないけれど、寝かされたベッドの匂いだけは知っていた。

(ここは……)

ジャケットだけは脱がされていて、暖かな布団が芯子をくるんでいる。
序でに、アイツの香りも。
オッサンくせ、と内心悪態をつきながらも出ようとしないのは、寒いからだ。
決して心地良いからではない。筈。
ガチャリとドアが開いた。

「起きたか?」

角松が聞きながら入ってくる。

「……引っ越したんだ?」
「ん?いや、一回もしてないぞ」
「うーそ、だってアタシこの部屋知らない」

し、ベッドだって変わってる、と言いながら身を起こす。角松が洗面器とタオルを持っているのが見えた。

「家具は替えたし寝る部屋も替えたけど越してはない……てかお前、いきなり倒れんじゃねーよ」

倒れる。そうか、倒れたのか、それでコイツの家にいるのか。

「アンタんちの近くだったんだ」
「……お前の実家までタクシー乗せようかと思ったけど、とりあえず一回休ませたほうが良いかと思ったんだよ」

安心しろ、ジャケットしか脱がしてないから、と別に此方が気にもしていないことをポツリと呟いた角松を見つめる。

(変わんねーな、お人好し)

ベッドサイドに持っていたものを置いて、洗面器からコップを出すとそれを芯子に寄越す。
黙って受け取った芯子は、入っていた水をゆっくりと飲み込んだ。

「落ち着いたか、少しは」
「まーだちょっと気持ち悪いけど、大分、な」

コップを返してふーっと長く息をした芯子の額に、角松が手の甲を押し付ける。

「熱いな」

体温計、見つからないから、と言いながら今度は少し汗ばんだ手で芯子の頬を包むようにして、やっぱり熱い、と眉間に皺を寄せた。

「もう少し休んでろ。帰りはタクシー呼ぶから」
「……」

角松の手が芯子の身体をベッドに横たえてから、離れる。体温が、温もりが、離れる。
イヤだな、そう思ったのは、芯子だった。
置いてくな。ぐるぐるする。芯子さん、好きです。優はそう言った。
じゃあ、アタシは誰が好きなんだろか。
コイツは、アタシの事が、好きなんだろーか。
騙されて、捨てられた癖に騙した相手を甲斐甲斐しく世話する。誰にでも?
イヤだな。

「すっごい、寒い」
「寒いか?じゃあもう一枚ふと……」

言い終える前に、するりと伸びた両の手が角松のYシャツを勢いよく引いた。

「うぉっ!」

突然前に引き倒されて、思わず声が出る。間一髪、芯子の頭を挟んでベッドに手を付き、彼女に身を叩きつけて押しつぶすことだけは避けた角松は、代わりに芯子と直近で面を突き合わせることになる。ほぼゼロ距離に不覚にも心臓は早鐘を打った。

何考えてんだこの女は。表情からそう読み取れる。

「……離せ」
「今なら、逃げらんないな、アタシ」

何をわけのわからないことを、と眉を顰めた角松のシャツを更に引いて、今度こそ体勢を崩したそいつに、その唇に、芯子は自分の唇を押し当てた。
ただ合わせるだけのその行為が、ひどく落ち着く。人の、角松の温度の心地よさに吐き気が嘘のように収まっていく。
いつの間にか、芯子の手はシャツを離れて角松の頬を包んでいた。
そっと唇を離す。

「……ほら、な?」
「な、じゃないだろうが……!」

されるがままになっていた角松が至近距離で叫ぶが、芯子は構わない。

「寒いん、だ、って」

計ってこそいないが恐らくは熱に浮かされた頭。もう何かを明瞭に考えることもままならない。
身体は昔嗅ぎ慣れた匂いに熱くなるのに、内側がただ、寒い。

「ていうかお前、熱……」
「あるかも、な」
「……かも、じゃない。あるぞ、絶対」

感染す気か、と言われて、芯子が笑った。

「あっためてよ、シングルパー」
「布団入ってろ、その内あったくなる」
「ちーがう……」

アンタが、あっためて。
うまく動かない怠い指先でネクタイを外し、ベッドの下に放る。次いで上から一つ、一つ、ボタンを外す。

「昔さ、よくこーやって外してやったね」
「……何考えてんだ、お前」

何考えてんだ、もないだろう。男女がベッドで裸でする事なんか決まりきってる。嫌なら逃げれば良いのだ。芯子が摘んでいるのはシャツのボタンだけだし、乗り上げる格好なのは角松の方なのだから。逃げないのは、風邪っぴきでも抱く気があるってこと、だろ?

「アンタ、しんぞーの音ヤッバイよ?」
「ほっとけ」
「その気んなったか?」

なったんなら、後はアンタが脱いで、アンタが脱がして。
性急に事を進めようとする芯子に、角松が溜め息をついた。

「なるか馬鹿!」
「……やっぱりタマナシなのか」
「違う!そうじゃなくて、お前……」

角松が真剣な目をしている。

「何」
「お前、何焦ってんだ」
「焦る?」

焦るってなんだ。なんにも焦っちゃいない。ああ、がっついてるってコト?だって、無性に、体温が恋しい。寒いから。

「……工藤に告白されてから、お前ちゃんと寝てんのか」
「……」
「体調崩すくらい考えてるんだとしたら、」

だとしたら何。
−補佐こそ直帰して下さい。最近忙しくて録に寝てないんでしょう−
金田の言葉が芯子の脳裏をよぎる。

「人のこと、言えんのか?アンタこそ碌々寝てないんだろ」

詰まった角松に、芯子が鼻を鳴らす。睦言の距離なのに、何故説教されねばならないのか。
やっぱりアタシはこんなシングルパー好きじゃない。
心中で結論づけた芯子を、角松の瞳がじっと見た。
そして、ゆっくりと、言う。

「ああ、ここ二、三日寝てない。工藤がお前に告白したとき、正直すごく動揺したからな、自分でも驚いた」
「……なんだそれ」

なんだその理由。

「でも、それは俺の問題でお前と工藤は関係ないことだ」
「……」
「お前はお前が思うようにすればいい。焦るな。工藤だってお前のこと困らせたいわけじゃないだろ」

アタシは、誰が好きなんだろうか。
アンタは、アタシが好きなんだろうか。
……もしも、アンタがアタシを好きなら、関係なくはないんじゃないか?

「アンタ寝てないの、忙しいからじゃないわけ?」
「え……あ、いや、忙しい!なんせ補佐だからな!別にお前と工藤がどうなるかとかそんなことはどーでもいいんだ!」

真剣な様子はどこに行ったのか。角松は途端に顔を赤らめてどうでもいいどうでもいいを叫ぶ。
その様を見て芯子がふっと笑った。
焦るな、と言われた言葉に落ち着いた。誰も気づかない自分に気付いてくれる人がいる。

「ね、シングルパー……」
「その呼び方止めろ!」
「いちいち叫ばないでくれる……アタマに響く……」
「……なんだ」

ずっと腰を折ったままの体勢でいる角松の頬をもう一度両手で包む。

「アリガトな」
「なんのこ、」

また、最後まで言わせずに、少し頭を浮かせて唇を塞ぐ。
今度は、押し付けるだけではなく、合わせた唇の間から舌も押し入れて、深く。
どうしようかと思案するようだった角松も、そろりと差し出してくる。優しくて、だけど深く。こんなキスも久しぶりだ。
唇を離した。

「……あったまったか……?」
「ばーか……」

まだ寒いっちゅーの。
芯子は、両腕を角松の腰のベルトに回し、えい、と投げて自分の隣に転がした。

「うぉっ!おっまえどこにんな力が……」

折っていた腰をさすりながら、狭いシングルベッドの上でそう呟いた角松が固まる。二人が密着して、少し幅が余る程度の広さしかないそこで、芯子がすり寄ったのだ。

「……いちろーさん」
「え」
「添い寝、して?」

柔らかな身体がぴったりと角松に合わさって、外されたボタンの隙間から芯子の吐息が掛かった。
硬直している角松の胸に縋るように、身を縮こませた芯子が、一つぶるりと震える。

「……」

腕にその震えを感じた角松は、掛け布団を二人に掛かるように直すとそうっと芯子の身体を抱き寄せた。

「熱いな」
「アタシは寒ぃの」
「……今だけだ」
「ん……」
「寝ちまえ、もう」
「……おきるまで、放さないでて」
「わーかったから」

言葉と同時に少し強く抱きしめられて、速く脈打つ角松の心臓の音を聴きながら芯子は目を閉じた。

(今だけだ)

寒いのも、温もりが欲しいと思うのも、誰でもない角松一郎に抱きしめていて欲しいのも、今だけ。

ただ、弱ってるときに傍にいたから、縋ってるだけ。治ったら、今この時を忘れるって約束するから、だから。

−芯子さん、好きです−

(今、この間だけ、)

真摯な告白を、芯子は今だけ頭からそっと追いやって、寒さごと包んでくれるひどく優しく暖かな腕の中、芯子は微睡み、寝息を立てた。

角松は、穏やかに寝入る芯子の髪を撫でて思案するようにじっとその女を見つめた。
朝から体調を崩しているのはわかっていた。
覇気がなかったし、いつも以上に集中力も欠けていた。
まさか、いきなり倒れるとは思わなかったが、調査にも連れ出して無理をさせたとも思う。
ただ、ふとした瞬間に何かを思い詰めたように遠くなる視線を、どうしても見ていられなかったのだ。
自分は二人には関係ないと頭では理解しているのに、工藤優の告白はあまりに衝撃的だった。
あれから角松の睡眠時間も削られている。
『洋子』相手なら素直になれるのに『堤芯子』だと思うとどうにも見栄を張ってしまう。まるで子供だ。

「……芯子」

今だけだと角松は縋る芯子にそう言ったが、その言葉は、自分に向けた言葉でもある。コイツが素直に俺に縋るのは、きっと今だけ。
……芯子が寝ている今なら、俺も素直になれるだろうか。

「……俺さ、騙されても、馬鹿にされても、」

意識が薄れて、自分も寝そうだ。久しぶりにいい夢が見られるだろうか。
角松は、唇を芯子の耳に寄せる。

「……やっぱお前のこと、好きだわ」

『ん〜マジで?』そんな反応一つ返らない、独白めいた告白。
これはただの自己満足で、云うつもりのない角松の秘密。
そして、云われなければ知るつもりのない、芯子の秘密。


起きればいつもの通り、変わらない二人が在る筈で、だから、今だけ。
合い言葉のように心でなぞると、二人は互いに、いい夢を、と願うのだった。






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