覚悟(非エロ)
角松一郎×堤芯子


「堤芯子。ちょっと話がある、顔貸せ」

それは工藤が総理付きの秘書として異動になる直前のこと。
会計検査庁内に久々に平穏な空気が流れていたその日は
当然新人である芯子の仕事もあまりなく、
そろそろ帰宅しようかと思っていた矢先に
上司である角松に声を掛けられた。
何事かと無言で問い掛ける仲間の視線が突き刺さる。
が、芯子は肩を竦めるリアクションのみでオフィスを出た。

「あンだよ、たまにはさっさと帰ってゆっくり飯食おうかと思ってたのに」

さっさと終わらせてよね、と、普段と何ら変わらない蓮っ葉な態度を取る芯子を、
やや緊張気味の顔をした角松は、オフィス建物の裏手の、あまりひと気の無いスペースへと連れ出した。

「…こないだ、の、夜。俺が一人で出張に行ってた日だ。覚えてるか」

視線を合わさない角松のお茶を濁した物言いが気に食わなくて、
芯子はイライラしながら腕組みをして角松をにらみつける。

「こないだっていつ。判んないっつの。んで、その夜がどしたって?」

荒い口調になるのは致し方ないだろう。回りくどいのは好きじゃない。
眉根を寄せた怖い顔で続きを促す芯子に、ゴホンとわざとらしい咳払いをした角松は
芯子へと向き直った。ずい、と一歩近づく。

「…俺は出張が終わって、必要な書類を取りにいったん戻ったんだ。
そしたら真っ暗な事務所…お前と、金田が出てきた。
手繋いで、タクシー捕まえてさ。男と女が行くとこっつったら……」

その言葉に、芯子は「げっ」と声を上げてしかめっ面になってしまった。
よりによって、金田のマンションに移動するところをシングルパーに見られていたとは。
…元はと言えば、二度目の逢瀬は元々角松のせいなのに。
内心で思いっきり理不尽な責任転嫁をしておいて、
芯子は大げさな溜め息をついて頭をボリボリと掻く仕草をした。
面倒なことこの上ない。あの日以来、金田とは何の関係も持っていないのだ。

「…行くとこっつったら、なんだって言うんだよ。
男と女のカンケイに首突っ込むなんて、どういうつもりなワケ?
それともなに、これも上司の役目ってやつ?」

両手を腰に当て、下からねめつけるような姿勢で矢継ぎ早に言う芯子に、
角松は図星をつかれたようで、ぐっと言葉に詰まった。
やっぱりね、と芯子は思う。あの現場だけ見たのなら当然心配になるだろう。
特に自分と金田の組み合わせなんて、騙されたとしか思えないはず。

「…あー、そっか。そーめんカボチャのしょーらいせーがどうとか心配しちゃってんだ。
カワイイ部下だもんね。結婚詐欺女にカモにされちゃかわいそうってことか」
「……違う」
「あ、じゃあ自分と同じ目に合わされたらヒサンだし、今のうちに釘刺しとこうって思ったのか」
「……違うって言ってるだろ!」

いきなり角松が大声を上げたので、
露悪的な態度で臨んでいた芯子は思わず素で驚いてしまった。
蒼白な顔をした角松は苦渋の表情を浮かべると、つかつかと歩み寄り芯子の肩を強く掴んだ。

「お前と金田が本当に、…本当に恋愛関係にあるんだったら、俺は……、俺は」
「……俺は、なにさ。応援するって? ああ、金返してからにしろってことか」
「違う、そうじゃない。いや、金田はいい奴だし、本当にお前らが恋人同士なら…応援する。
…けどさ、工藤のことはどうすんだ。お前に告白してきてただろ」

その言葉に、芯子は「はぁ?」と鼻白んだ。えらく的外れな事を言われた気がする。

「シングルパーはかわいい舎弟。そーめんカボチャとは恋人とかじゃないし。
…男女のことには色々あるんだから、あんたに余計な首つっこまれる筋合いないって、
今言わなかったっけ? ほんとにあんたはニブチンのカタブツだねぇ」

だからモテないんだよ、と言い捨てて、芯子は掴まれた腕を振り払う。
無言で唇を噛み締める角松を見て、今度こそきびすを返して帰ろうとした、その時。

「俺は、お前のことは、…素直にすごいって認めてる」
「……は?」

なにを突然言い出すのか。
意外な言葉に、芯子は今度こそ目を丸くした。
振り向くと、見覚えのある顔で、角松が芯子を見つめていた。

――真剣さと純粋さとが同居したこんな表情を、昔見たことがある気がする。

「お前は俺たちとは違う。俺たちにはない嗅覚で、次々成果を上げて。
お前の正義感っていうか…、自分の信じてるものを疑わない姿勢を、俺は本当にすごいと思ってる。
――堤芯子、お前は俺たちの仲間だって」

段々と熱を帯びた口調で角松が語る。
懐かしい光景を一瞬垣間見た芯子は、過去を振り払うように肩をそびやかした。

「あっそ。それはありがたーいお言葉ですねぇ角松補佐。んで、その話がどう繋がるワケ?」
「…今のお前を見てて、最近すごく洋子を思い出すんだ。洋子は、何で俺から逃げたのかって」

ものすごく嫌な話題を振られた、と思った。
芯子はぱっと顔を顰めると「金だけ欲しかったから逃げたんだろ」と言い置いて
今度こそ帰ろうとしたのだが。

「金だけ欲しかったら、たった100万ちょっとで逃げるか?
もっと理由があったんじゃないかって、俺は最近思うんだ」

結婚詐欺を働いた女を目の前にして言う台詞だろうか、しかもオフィスのすぐそばで。
芯子は息を呑み、肩を掴む角松の腕から逃れようと身をもがかせた。
――このままいけば、何かとても嫌なものを引きずり出されそうな気がする。
切羽詰った危機感に、芯子は取り繕う余裕をすっかり失ってしまった。

角松から、『洋子』が逃げた理由。
――その答えはひとつしかない。

『この純粋な人をずっと一生騙し続けることに、罪悪感を覚えてしまったから』。


ネクタイの趣味が悪くて、ついでに私服の趣味も悪くて、
でもそんなことちっとも気に掛けない、ちょっとお茶目なところもある素直な人。
お人よしの馬鹿だねと心の内で嗤いながらも、笑いあう時間は純粋に楽しかった。

清楚な服に純情な仕草に殊勝な態度。
なにを言っても角松は洋子を信じてくれて、
兄の入院だのなんだのといった単純な嘘でさえ、心から心配してくれた。

――そんな彼を前に、ずっと嘘で塗り固めた自分で居るのが苦痛になったから。

だから結婚式の直前に逃げ出した。
彼に対して覚えていた感情も全部振り捨てて逃げて……挙句の果てには逮捕され。
牢獄の中で見た景色は、すっかり『洋子』の思い出を消し去ってしまったと
思っていたけれど、本当はそうじゃなかったのかもしれない。

「……どうした?」

角松の声に、はっと芯子は我に返った。
押し黙って俯いてしまった芯子を心配しているのが、ありありと判るその表情。
彼女の顔に一瞬過ぎった感情を、角松は今度こそ見逃さなかった。

「洋子っ…いや、芯子! 逃げるな、ちゃんと言え、全部!」

薄暗い闇が迫る中、角松は逃げようと必死で抵抗する芯子の細い肩を後ろから抱き締めて言った。

「…金は、返すよ。いつになるかわかんないけど。それでチャラにしてよ」
「そういうことが聞きたいんじゃないっ、――お前なら判るだろ?」

いつになく角松は本気だった。
いや、彼の本気を見ようとしていなかったのは、芯子のほうだったのかもしれない。
芯子はようやく動きを止めて、恐る恐る角松を振り返った。
真摯な瞳が、戸惑いに揺れ動く芯子を見つめている。

「…金なんていらない。あれはお前にやったものだし、俺の気持ちだから、
もう俺に対する負い目とか、感じなくていいんだ。
だから、…お前の素直な気持ち、俺に聞かせてくれないか」
「………言いたくない」

腕の中で、ぼそっと呟いた芯子の声に
「素直じゃねぇなー、ったく」とやや呆れ気味の角松の声が振ってきた。

「お前の素顔を、俺は誰よりも知ってる。全部、受け止めるから。
洋子の顔も、詐欺師の顔も、不正を挫く検査官の正義の顔も」

…それと、素直じゃない顔も、好みだ。

多分これは相当無理をして言ったのだろう。
取り繕ったような響きを声音に感じて、芯子は思わず笑ってしまう。

「シングルパー…じゃなくて、…一郎。覚悟、してんだろうな?」

素直じゃない芯子の、精一杯の告白に、角松は「はは…」と空笑いをして。

「ハイ。覚悟、しております」

笑みを浮かべて眼を閉じると、吐息と共に、そっと唇が重なった。
何年ぶりかのキスなのに、身体がじわりと熱くなる。
思えば『洋子』ではない本当の素顔を彼に見せられたのは、会計監査庁に来たからだ。
…くるコメには感謝してやらなきゃなーと、芯子は心の内で小さく呟く。
なにもかも赦された気持ちになって、深くなる口付けに応えようと、
芯子が角松の首に両腕を回した瞬間。

「…あ。……やば……」

なにやら先程とは違う、イヤーな予感を伴ううめき声を聞きつけて、
芯子の眉根に皺が寄る。

「……思いっきり、勃っちゃった……」

引きつった笑みを浮かべて呟いた角松の顔に、
怒りマークを浮かべた芯子の鉄拳がヒットしたことは…勿論言うまでもない。






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