何かの番外編
番外編


◆屋上で

「あの…私、変なんです」

絵里子の前でうつむきながら木元が言った。

「変って…何が?」
「苦しいって言うか…ツライって言うか…」
「木元。あなたが何言ってるか全然、わからない。私がわかるように
言ってくれるかなあ」

木元は顔を上げ、つぶらな瞳を絵里子に向ける。

「野立さんのことです」
「野立?」

木元はコクンとうなずく。

「あの人、軽いんですよね…何て言うか、空気中に浮遊するホコリよりも…」
「ああ…本人は羽毛とか言ってるけどね」と苦笑する。
「簡単に『今日も可愛いね』とか『ステキだね』とか『今度食事に』とか
『デートしよう』とか…ああいうこと簡単に、軽々しく言われちゃってるうちに
私…頭がぐちゃぐちゃになって…段々意識しちゃって…それで苦しくて辛くて…」

絵里子は戸惑い気味に視線をそらし宙を見る。

「…野立のことを好きになっちゃった…てことなのかなあ」
「いえ、まさか!」
「じゃあ…」

と言って、木元を見る。

「そうなりたくないけど、なっちゃったら取り返しつかないし…ホント、
ウザくて迷惑なんです…仕事にも集中でいないって言うか…」

木元は再びガクンと頭をたれる。
しばらく沈黙が続いた後、絵里子が「木元」と呼びかけると、木元は顔を上げ
真っ直ぐ絵里子を見つめる。

「わかった…木元、大丈夫。今後一切、木元にちょっかい出させない。私が
あなたを守るから」

木元のうるんだ瞳がキラキラと光る。
絵里子は優しい微笑みで木元を包んだ。


◆参事官室で

「そういうことだから。よろしくね」

絵里子は冷たい口調で野立に言い放つ。
野立は呆れた顔で眉根を寄せる。

「よろしくねって、意味わかんねー。俺が一体何やったって言ってんだ?
挨拶だろうが挨拶。この警視庁中に俺から可愛いって言われて迷惑する女子が
いるわけないだろう」
「だから、それがアンタの思いあがりだって言ってんの」

と、いらだつように
絵里子が顔をゆがめる。

「この世の中にはそういうことで傷つく若くて純粋な女の子もいるわけよ。
アンタの周りにいるようなハスッパな女ばっかじゃないの」

ニヤニヤしながら野立が「お前?」と指さすと、「のだてぇぇぇ」と声を震わせる。
野立は軽くため息をつく。

「誰が言ってんだよ、そんなこと」
「誰でもいいから、もう軽く女の子にちょっかいだすの止めろって言ってるの」
「…お前、もしかしてアレか…女の嫉妬ってやつか」

と、ニヤけた顔で片目を閉じる。

「バッカじゃないの!」

と言って、野立に背を向けドアを開けると、

「しばらくうちに来なくていいから」

と言い捨て出て行った。

ひとり残った野立は薄目でドアを眺める。

「嫉妬だな、あれは…醜いねえ、いい年した女の嫉妬は…」

とつぶやくと、ムフフフッと
含み笑いを浮かべる。

「ま、熟女の嫉妬も悪くはない…今夜はしつこくネチネチと…」


◆翌日の参事官室で

冷めた目で、机を挟んで目の前の絵里子を見上げる野立がいた。

「お前、昨日、どこ行ってたの…」
「え…ああ、飲み会があったからさ、遅くなって近くのホテル泊まった」

野立が目をむいて、椅子からガタッと立ち上がる。

「飲み会って、どこの!」
「対策室の。ずっと事件続きで皆、どこにも行けなかったし…まあ久々の慰労会ってやつ」
「な、な、なんだよ! お、俺、知らないぞ、そんなこと!」
「うん、だって知らせてないし」
「なんで、そこに俺が呼ばれない!」
「また軽いノリでちょっかい出して女の子から苦情もらいたくないでしょ」

絵里子があからさまに大きなため息をついて顔をゆがめる。

「で、用ってそのこと?」
「…」
「あのさ、忙しいんだからくっだらないことで呼びつけないでくれるかなあ、野立参事官」

絵里子は冷たく野立に背を向けると、振り返ることもなく参事官室を出て行った。
野立があらぬほうに目をやり、「女の子から苦情…?」とボソッとつぶやいた。


◆廊下で

「ま〜みりん、今、帰り?」

木元の眉間に薄いシワが寄る。その目の前に、首を横に倒して可愛さを装い現れたのは
野立だった。

「昨日、飲み会だったんだってぇ。いいなあ…俺も行きたかったなあ…」とつぶやくと、
木元の耳元に顔を近づける。

「絵里子から色々お叱りを受けたんだけど…あれ、まみりんのしわざ?」

木元はクルリと野立に背を向ける。

「まみりん…まさかとは思うけど、俺を飲み会に呼ばないためにこんなことした?」

しばらくの沈黙の後、木元は野立に向き直る。

「野立さん、考えても見てください。伊丹や芹沢が中園参事官を飲み会にさそいますか?
伊丹や芹沢は中園参事官が主催する合コンとやらに行ったりしませんよね」
「誰だよ、それ…」
「『相棒』ですよ、テレ朝の。見てないんですか? あの性格の悪い内村刑事部長から
いつも記者会見を丸投げされるちょっとハゲ上がった人ですよ。あの中園参事官が
一般的に言われる参事官のあるべき正しい姿です。やたら部下の飲み会に顔を出しては、
勝手にボスの隣に座ったり、一緒の方向だからってボスと一緒に帰ったり…あり得ないです」
「…」
「参事官は黙って公用車で自宅と警視庁を往復してりゃいいんです。部下とはもっと
距離を置くべきです。野立さんケジメないんですよ、ケジメが」

野立は顔を横に向けると、

「ま、どうでもいいけど、伊丹や芹沢は中園にそんなズバズバ言わないけどな…」

とつぶやく。

木元が打って変わって満面の笑みを浮かべると、カバンの中からピンクの可愛い花柄の
服らしきものを半分ほど取り出して見せる。

「野立さん、これ見てくださいよ…」
「何それ…」
「シルクのパジャマ…ボスとおそろいなんです。昨日ホテルのレディース宿泊セットで
ボスとお泊りしたんですよ」

ニッコリと余裕を見せる笑顔が瞬時に真顔に戻ると「失礼します」と言って野立に背を
向け足早に帰って行った。

その後姿を眺めていた野立が、「うっぜー…」と漏らす。
思い出したように携帯電話を取り出すと、おもむろに電話をかける。

「あ、片桐? お前さあ、まみりんとどうなってんの? …何ぐずぐずしてんだよ。
一気にガバッといっちゃえよ、ガバッと。おい、俺が伝授してやる。今日、飲みに
行くぞ…え? ケジメ? 順番? いいんだよ、そんなもん。とにかくだ! お前の
力でしっかりつなぎとめておけ!」

なりふり構わない野立の声が廊下中に響くのであった。






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