可愛いだけの女ではない
野立信次郎×木元真実


「風邪ひくよー?」

屈み込む木元の背中に傘を差し出す。普段は緩やかなウェーブを描いている髪が水分を含んで萎み、濡れた上着は濃い色に変色していた。

「…大丈夫です」

掠れ気味の声は傘に叩きつけられる雨音に今にも消されそうだ。

「風邪こじらせるよ?」
「…大丈夫です」

そう言う人物は大概既に大丈夫ではないことが多い。案の定くしゅん、とくしゃみをして一層小さく縮こまってしまった。今日一日、かなり無理をしていたのだろうか。

「…俺んトコ、来る?」

言ってはみたもののまさか木元が首を縦に振るはずはないだろう。それはよく分かっている。問題はその首にどうやって紐を括りつけて引っ張っていこうかという部分であって、

「……はい」

しばらく迷ったような間があって、木元は首を縦に振った。そこは「大丈夫です」ではないのか。

「…本当に?」
「…はい」

思わず聞き返したが返答の声は変わらない。いつものように自分から誘ったくせに、今日に限って動揺している俺。今日に限っていつものようにスルーしてこない木元。

「絵里子、呼ぼうか?」

動揺のあまり携帯を取り出し絵里子を呼び出そうとした瞬間にスーツの裾を引っ張られた。心臓が飛び出しそうになったが何とか持ちこたえる。

「…大丈夫です」

木元は首を横に振った。そこは「大丈夫です」なのか。

「…どういう風の吹き回しだ…?」

思わず頭を抱えそうになった俺のスーツの裾が、もう一度引っ張られる。

「あの、っ」

熱っぽく潤んだ瞳の上目遣い。そして彼女の腕の中からこちらを見上げる、もう一つの潤んだ瞳。

「この子、何とか出来ませんか…?」

腕の中で仔犬が鳴いた。この二つの潤んだ瞳を無視するのは男としていかがなものか。

「俺は可愛い女の子の味方だよ」

迷い無く差し出した手は確かに握り返された。冷え切った彼女の華奢な手は体温と動揺を少しだけ奪う。彼女の身体が傘からはみ出さないように気をつけながら、ゆっくりと歩き出す。

「じゃあ、服を脱ごうか」
「…………」

まるで犯罪者でも見るような目で俺を見た。普段どおりの反応に内心で胸を撫で下ろす。

「このままだとぶっ倒れるよ。とりあえず身体、暖めておいで」
「でも、」
「まみりんが先。チビならシンクで十分」

ずっと抱きかかえていたままだった仔犬をひょいと取り上げ、クローゼットから取り出したバスローブとバスタオルを放り投げる。
木元は受け取ったバスローブと俺の顔を見比べ、微妙な顔をした。

「Sサイズ、新品」
「いついかなる状況にも備えてだね」
「何で女物常備してるんですか」
「大人の男の嗜みだよ」
「…………くしゅん」

ツッコミの代わりにくしゃみが返ってきた。
このシチュエーションは非常に楽しいが、保護しておきながら風邪を悪化させたとなっては元も子もない。
絵里子と玲子あたりに殺される。

「脱がせたげようか?」
「お断りします」

こういう話題に関しては彼女はまだまだ子供だ。予想通りきっぱりと言い切って頭を下げ、足早にバスルームへと入っていった。
しっかりとロックもかけたようだ。彼女が戻ってくる前に、コイツも暖めてやらなくてはならない。
バタバタと抵抗するチビをぬるま湯に浸すと、シャワーの音が扉越しに聞こえてきた。片手でネクタイを緩め、携帯を取り出す。

「…何そんなにイライラしちゃってんの。せっかくいいこと教えてやろうと思って、ってちょっと切るなよ待てよ。まみりん、保護したよー…………おう、調子は万全じゃあ無さそうだが、無事だよ………んで、今俺んトコ、っと」

通話が途切れた。ただならぬ殺気のようなものを感じたがとりあえず木元保護の本題は伝わったようなのでよしとする。
絵里子の次は、仔犬探しの本業者だ。公私共々の老若男女が入り乱れたアドレス帳から一人の男の名前を探し出す。

「よう。俺だよ、俺。お久し………あのさ、ちょっと調べてもらいたいことがあるんだけど…うん、お前んトコさ、仔犬の迷子届け出てない?最近の、とりあえずこの周辺で、茶色の、多分雑種………んー、まぁ、事件、みたいなもんかな。おう、悪い。頼むぜ」

この手際の良さと顔の広さに自分で自分を褒めたくなってくる。彼が頑張って探し出してくれればそれでよし。そうでなければ対策室が全力で探しだせばそれでよし。
暖まったチビの身体を抱き上げ、バスタオルで水気を拭き取る。ようやく震えの治まったチビをソファの上に置き、冷蔵庫の扉を開いた。
牛乳と、卵と、日本酒。これだけあれば十分だ。まずは日本酒のカップを開け、一口煽った。

シャンプーでもボディーソープでもなく、風呂上りの女性は不思議といい匂いがする。
木元の前にマグカップを置いた瞬間に、嗅覚が敏感に反応した。

「ありがとうございます」

木元は手に取ったマグカップに息を吹きかけてゆっくりと口をつける。一口味わって、ホッと息を吐いた。
床ではチビが生温いミルクを舐めている。

「しかしまみりんが仔犬をねぇ。中身も随分可愛くなったもんだ」

隣に腰を下ろすと、さりげなく距離を離される。

「俺のおかげだな」
「何がです?」

怪訝そうな顔で聞き返してきた。完全にはスルーしてこないあたりに彼女の成長を感じる。
対策室での数ヶ月は、彼女にとって無駄ではなかったということだ。

「特別犯罪対策室。そんなに悪いとこでもないだろ」

色々と思い返してでもいるのだろうか。マグカップの中身を半分ほど飲み込んで、テーブルに置いた。

「…とりあえず、今はそう思えるようになりました」

ぐっと伸びをして天井を仰ぎ、口を開く

「ボスやみんなのことが分かるようになって、」

言葉が途切れ、目線だけがゆっくりとこちらに向けられる。

「貴方のことが、分からなくなった」

酔芙蓉の花の如く、ほんのりとピンクに染まった頬。アルコールはほとんど飛ばしたつもりだったが、彼女にはまだ強かったらしい。

「何を企んでるんですか」

だが意思は間違いなくしっかりとしている。寧ろ冴えてさえいるのではないか。

「何も企んでないよ。手柄を立てて出世したいだけ」

視線をかわすようにソファから立ち上がり、テーブルを押し退けて木元の正面に立つ。これで木元からは逆光で表情が分からなくなる。

「…ボスのため?」
「何でそこで絵里子が出る」

木元の右側は肘掛。左側を右腕で遮り、追い詰めた。

「俺のためだよ」

ローブの隙間からは直接白い肌が覗く。まさかとは思ったが、無防備無関心にもほどがある。

「若くて可愛くて優秀な部下が欲しかったのと、手柄を立てて出世したいだけ」

ソファに膝を乗せ、木元の首に手を回す。木元はその瞬間だけピクンと跳ね、暫くして口を開いた。

「若くて可愛くて優秀な部下に無理矢理手を出したら、出世どころじゃないですよね、多分」
「まみりんが黙っててくれたら全然問題無いんだけどね」

ここまで近づいて、触れて、初めて気付く。木元真実は、可愛いだけの女ではない。

「…黙ってると思いますか?」

色っぽさと芯の強さとが同居した、どこか挑戦的な眼差し。絵里子に似ているなと思いながら、残っていた酒を一気に煽った。

「黙らせてみようか?」

首に回した手を肩まで下ろし、木元の身体を押し倒す。下ろした手を背に回すと、吸い付くように滑らかな肌の感触だけが指先に伝わってくる。
「やっぱり着けてなかったか。いくらなんでも無防備だよ?」
「お風呂あがりですから」
「ああ、まぁ、そうだね、お風呂あがりだね」
「何笑ってるんですか」

歳相応の身体つきと、未成熟な精神とのアンバランスさに、うっかりその気にさせられている。

「…どうしようか、本気になりそうだ」

首筋には唇、背筋には指先。壊さぬよう、細心の注意を払いながら心臓部へと近付いていく。

「野、立さん、っ」

木元が震える声で俺を呼び、押さえつけている腕から逃れようと身を捩る。
細い身体は意外と簡単に俺の腕をすり抜け、ついでに勢い余ってソファから転げ落ちた。

「きゃ、っ!」
「まみりん!?」

ドスンという鈍い物音と驚いたチビがキャンキャンと鳴く声に我に返り、木元の身体を抱え起こす。

「大丈夫?」
「大丈夫です。野立さんは…?」

何故か俺が心配されている。よく分からないがとりあえず肌蹴たバスローブは目のやり場に困る。

「俺?俺は何とも無いよ」

さりげなく前を隠してやると、木元はぶつけたお尻をさすりながら唇を吊り上げた。

「なら、いいです。目も醒めたみたいですしね。残念でした」

…やられた。
俺にその気が全く無かったこと、俺が本気でその気になりかけていたこと、そして自分がその気にさせてしまったことに、木元は気付いていたのだ。

「……ホント、残念」

今となってはバスローブの隙間から覗く太腿よりもファンシーなイチゴ柄の下着の方が気になって仕方がない。
これが木元真実という女か。頭を掻いて苦笑し、木元とチビを残してバスルームへと向かった。

木元の膝の上ですっかり寛いでいるチビと、俺の部屋ですっかり寛いでいる木元。
うとうとと舟を漕いでははっと目を覚まし、俺と目が合うと慌てて顔を逸らす。
それを何度か繰り返す内に、彼からの電話がかかってきた。こんな時間だというのに、彼は求めている情報を探し当ててくれていた。

「このチビ、ちゃんと飼い主が探してるかもよ。似た仔犬の迷子届けが保健所にあるんだって」
「本当ですか?」
「行ってみたらいいんでないかな、って今日はもう遅いから明日ね」

バスローブの裾を引っ張る。

「…それくらい分かってます」

頬を膨らませて反論した割には、しっかり立ち上がっている。
止めなかったらそのまま行こうとしたのだろうかと想像すると可笑しくなった。彼女ならやりかねない。
ボスンとソファに座った木元の無防備な頭を撫でようと手を伸ばした瞬間に、ドアの向こうからくぐもった声とノックの音が聞こえた。

「そこにいるのは分かってる!武器を捨て、大人しく木元を引き渡しなさい!!」
「ボス!?」

聞き間違えるはずの無い声に、木元は顔を上げた。突然の動作に驚いたのか、目覚めたチビも頭を上げドアの方をじっと見つめている。

「俺は誘拐犯かよ…」

溜息を吐きインターホンを確認すると、絵里子が超カメラ目線で俺を睨みつけていた。

「おう、早かったな。身代金の用意は出来たのか?」
『何ふざけてんの』
「俺はいつでも真面目だよ」

絵里子は溜息をついて前髪を掻き上げた。

『…木元は無事なんでしょうね?』
「俺の愛情こもった介抱で大分良くなったと思うよ」
『ああそう。帰りは私が送ってくから準備させて』
「このまま寝させとこうか?俺が預かっとくよ」
『それだけは許さない』

すかさず、一瞬の間も無く即答された。

「…それってひょっとしてヤキモチ?」

インターホンに真っ黒な銃口がアップで映った。

「…冗談だって。準備させとく」

絵里子自身も続く捜査で疲れているだろう。あまりからかいすぎるのも(俺の命のためにも)良くない。
絵里子とのやり取りを心配そうに見守っていた木元に、ヒラヒラと右手を振る。

「と、いうことで今日はここまで。続きはいつでもいいよ?今度は絵里子に内緒で」

人差し指を唇に当てウインクすると、木元はこの日何度目かの笑みを浮かべる。可愛らしさと大人っぽさが絶妙に入り混じった微笑み。

「考えときます」

木元はソファから立ち上がり、ペコリと頭を下げた。

「ありがとうございました。おやすみなさい」
『木元ー!無事!?』
「今行きます!」

ドア越しに呼ばれパタパタと玄関まで駆けていく木元の背中にふと違和感を感じる。

「あ!服!服!!」

バスローブ1枚。着ていた衣服は全て籠の中に放り投げられたままだ。

「まみりん!木元!?」

慌てて呼び止めたが木元の勢いは止まらない。俺のことはもう眼中に無いのか。勢いよくドアを開ける。

「木元!?」

夜中だというのに目の前が真っ白だ。眩しすぎる目の前に、見慣れた人影と聞き慣れた声。


「………野立………」

犯罪者に向けるあの声と同じだ。

ヤバイ。撃たれる。
ゆっくりと顎を撫でながら、脳裏に思いつく限りの弁解の言葉を並べた。






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