Nail on
片桐琢磨×木元真実


時計は午前4時少し前を指していた。
行為後の眠りからゆるゆると目覚めた片桐は、自らの肩口に頬を寄せて
すやすやと眠る木元を視界に認める。
まだ暗い夜の出口の空気はひんやりと冷たく、そんな中に浮かび上がる
彼女の裸の腕はやけに寒そうに見えた。
半ば無意識にそのか細い腕をとり布団の中に導くと、自然とその手の甲が彼の目に触れる。
闇に目を凝らすと、桜貝のような小さな爪は幼子のようにきちんと切りそろえられていた。

(……気にしてたのか、この前のこと)

起こさないようにそっと、しかしいとおしみを込めてその手を捕らえ、
親指の腹で人差し指、中指と順に確かめるように撫でる。
最後に恋人繋ぎをするように掌を合わせ指を絡めると、反射的なものか軽く握り返された。
その仕草の愛らしさに思わずまぶたの上に唇をつける。
そして改めて彼女を抱き締めなおしながら、片桐は木元の爪が長かった時の夜を思い出していた。
そう、ふたりが初めて結ばれた夜を。

恋人関係になって数カ月がたっていた。
誰もいない夜の路地で手を繋いだ。
立て続いた仕事の後、事件解決のささやかな祝杯とともに抱擁を交わした。
何度も見つめあって、そして逸らして、その繰り返しの後にようやくキスをした。
けれどそれだけだった。

そんなふたりの、きっかけは何だったのか。
何の気なしにつけていたテレビから流れていたチープな恋愛ドラマか、それともグラス一杯のアルコールか。
もしくは、ためらいがちにかさねたくちびるだったのか。
わからない、わからないけれど――――気付けばベッドの上に折り重なっていた。

自分でもあきれるほどに抑制が利かなかった。
その色のないくちびるを啄むように奪った。

「………っ!…ん、ぅ」

細腕の抵抗をよりきつい抱擁で封じ込め、もう片方の手で柔らかな巻き髪ごと頭を支える。

「ん…………っ」

そのまま歯列を割って舌を絡めると、木元の身体が小さく震え、やがて力を失った。

「木元……」

息継ぎ代わりに囁いて、再び絡め吸う。

「や…っ」

組み敷かれた状態で、木元はそれでも抵抗めいた声を上げた。
それに耳を貸すことなく、片桐は彼女の着衣を次々に引き剥がしていく。

「……悪い」

もう引き返せる地点はとっくに過ぎていた。
ただ彼女を欲する思いだけが先を急がせた。

「お前がほしい、」

白い首筋に噛みついて、跡を残す。

「…っ、…や…ぁっ…」

それだけで声を上げる彼女に、彼は思わず微笑みを浮かべた。
愛おしく思うその心のままに、胸元に甘く吸い付く。

「あんっ!ぅん、…んっ、っぅ!」

耐えようとするかのようにきつく目を閉じた木元は、その刺激にシーツを両手できつく掴んでいた。

「…………木元、可愛い」

唇を離して、思わず耳元でそっとささやいた。
かすかに開かれた涙目に、宥めるように髪を撫でる。
甘い木元の香りに包まれながら、全身で彼女を抱き締めた。

「…………ぇ、で…」
「え?」

不意に言われ、聞き返すと、上がりつつある息の下で彼女は呟く。

「なまえ、で、呼んでくださ…い」

応えるようにゆるゆると力が抜けていく。 静かに解けていく。

「……真実」

固く握りしめられていた手が開かれ、たどたどしく彼の背に回された。
それと同時に、再び彼の唇が彼女の肌に落とされる。
耳許に、頬に、首に、胸元に。
指先を全身を探るように這わせ、白い身体を少しずつ染めていく。
そして、長い愛撫の末、その指をしなやかな二脚の間に運んだ。

「…………っ!」

慣れないからだはたった一本差し入れただけだというのに大きく跳ねる。
絶え間ない嬌声に嗜虐心を煽られ、敢えて焦らすようにゆっくりと動かした。
呼応するように彼女も少しずつ慣れ始め、その指に吸いつく。

「っ、…ぁ、あっ…」

やがて淫音がこぼれ始めた。

「…っ、ゃ…」

羞恥に身を捩じり、熱を帯びさせた頬に時折あやすようにくちづけ、
次第に速度をあげた。

「あっ…やっ…ぁっ…あっ!」

指を引くと、温かなものが零れおち、ひどく淫靡に肌をすべった。

「…溢れてる」
「………っ、うるさ……」

睨まれる前にもう一度指を差し入れる。
今度はもっと奥に、押し広げるように蠢かせて。

「っ、待ってくださ、っ………や、ぁんっ!」

無用な自尊心などすべて捨てさせてしまいたいから、容赦なく攻め立てる。
音が響くように、何度も内側で擦って、もっと濡れさせる。

ちゅ…くちゅ…

「ゃあっ、やっ…あっ、駄目っ!」

耐えきれず反った身体を抱き寄せて、とどめに甘い呼気とともに囁く。

「……欲しい?」
「…っ……馬鹿…っ…」

自分の口で強請らせてもよかったけれど、そう言って睨んだ目が愛おしすぎて、
零れた涙を舐めとりながら改めて体勢を整え、一度彼女の身体を離して準備した。

「手、回せるか」

抱き締めながら言うと、ぎゅっと握ったままの手で腕が回される。
それを確認し、腰を押さえて侵入を始める。
慣らすように、馴染ませるように擦りつけて、少しずつ。

「あっ…いっ…はあっ…っん…」

痛みに襲われ、腕に力が入る。拳が強く握られ、爪が痛々しく白くなる。

「っ…手…開け」
「…ゃ、っ駄目っ…」
「どうして、」

すると、切なげに眉を寄せ彼女は言った。

………爪、立てたら痛いから、ダメ、です。

声にならない言葉で言われ、片桐は驚き―ー――その優しさに微笑んだ。

「………お前の爪なら歓迎だ」

後ろ手に手を回し、指をからめて拳をほどく。
感触で、彼女に経験がないことは悟っていた。
痛みは彼女の方が格段に強いはずだった。

「痛いのはお前、だろ……多少は、俺にも分けろ」

一層おびただしく流れ出す蜜に、そして滲む血に濡れた奥に、少しずつ少しずつ身を進める。

「……ぅっ!んぅっ!」

抵抗力を失った爪が、行き場なく背に刺さる。
けれどそれさえも快感に変わり、甘くしみた。

「ぁぁっ……んっ、あぁ………っ!」

ようやく最奥までたどり着くと、喘ぎ声が高く響く。
愛おしくて、愛おしくて、啼く唇を何度も塞ぐ。

「動く、ぞ?」
「………っ、んっ、」

押しつけられた熱い頬の頷きと吐息を感じて、ぐっと擦りつけるように動かした。
リズムが徐々に速くなり、木元の内部を叩く。

「あっ、ん 、あっ…、ぅん…っく、っ…! 」

彼女もまたリズムに揺られ、強く彼の身体にしがみついた。
包まれるような体温に安心して、竦んでいた身体がほどける。
溶解しそうな快感と、上り詰める感覚だけが全身を支配する。

「…っぁ……も、だめ……」
「っ……いい、か?」

何度も激しく揺らされて、一番奥まで深く深く、強く貫かれて、

「ぃっ…くっ!あっ!ぁあぁっ…」
「……っ!」

ふわり、と身体が浮いた気がした。
泣きたいくらいに、幸せだと思った。

「…ん…」

小さな声に、回想を遮られる。

「……悪い、起こしたか?」
「いえ…何時ですか?」

現在時刻を伝えると、彼女はもういちどまぶたを閉じようとし、ふとその手が取られていることに気付いて彼を見上げた。

「……どうしたんですか?」
「いや…なんとなく、な」

爪、切ったのか、とさりげなく聞くと、木元はばつの悪そうな顔をした。

「……すみませんでした、背中」
「いや、いい」

それでもどことなく表情の暗くみえる彼女に、いつもより少し強引に口づけた。

「……少し伸ばせ。また立てても、俺はいいから」
「でも…」
「約束だ」

ほら寝るぞ、明日も仕事だ、と声をかけて少し大げさに布団をかぶせる。
彼女はしばらくじっとしていたが、そのうちに差し出された腕に頭を預け、元のように寝息をたてはじめた。

(………少し長いほうが映えるだろう?)

そんな木元の寝顔を見つめながら、彼は先日彼女のために買った、淡い桜色のネイルカラーを思い浮かべていた。






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