聖夜の奇跡(前半) 絵里子サイド(非エロ)
野立信次郎×大澤絵里子


車の助手席から見える街はすっかりクリスマスムード一色だ。
まだ一週間も先だというのに、昨夜のレストランはクリスマスディナーのコースを楽しむカップルであふれ、
一人で入ったことを後悔しないまでも、居心地の悪さを感じるには十分だった。
それに、出迎えたウェイターの「お一人ですか?」の問いかけが妙に気に障った。
「はいはい、どうせ「おひとりさま」ですよ。それがなにか?」
なーんて態度はおくびにも出さずに、笑顔でうなずいたのだが。
それもこれもアイツが悪いのよ。たまにはメールのひとつくらいもよこせっつーの。
アイツが「飲みに行かないか」って誘ってくるんだったら、こっちも考えてあげないこともないんだけど。
だって、こっちから誘いにくいじゃない。
同期とはいえ、アイツは出世頭で参事官。私にはわからない色んな事情があるのだろう。
その証拠に同じ建物内にいるはずなのに、この一ヶ月間まったく見かけない。

「BOSS、ありがとうございます。とっても美味しかったです」

車から降りた絵里子のもとへ、木元が駆け寄って頭を下げる。

「気に入ってくれた? また行きましょうね」

「はいっ」

その笑顔が気持ちよくて、絵里子は子供にするように木元の頭を撫でる。

対策室が関わった連続殺人事件の後始末も無事終わり、今日は部下たちを昼食に連れ出したのだ。
建物に消えていく部下たちの後姿を見つめながら、絵里子はふぅーっと息を吐いた。
大勢でとる食事は楽しかった。
木元は絵里子の横で「おいしい!」と歓声をあげ、片桐はウェイトレスの女の子を見つめたまま固まっていた。
花形はサラダの中に見たことのない野菜が入っていたらしく、物珍しそうに首をかしげ
山村さんはその花形に向かって、自分のクリスマスの予定(どこまで本当なのか)を一方的にしゃべり続ける。
岩井にいたっては、カウンター奥のシェフをうっとりと見つめ「二の腕がたまらんわぁ」とくねくねしていた。

仕事は順調すぎるほど順調だ。でも、この物足りなさはなんだろう。
いくら信頼してくれている部下たちに囲まれていても、やはり彼らは絵里子の「部下」だ。
絵里子が本当に話したいこと、考えていることを話す対象ではない。
安心してすべてを話すことができるのは、やはり同期で元バディの野立だけだ。
悪態をつきながらでもかまわない。聞いてくれるだけでいいのだ。
心の内をさらけだすことのできる相手がいるだけで、人は安心して立っていられる。
たかだか一ヶ月会えなかっただけで、こんなに寂しいなんて。
私はようやく気づいたのかもしれない。
アイツは、今日もこの建物のどこかにいるのだろうか。
たしかあの辺りが会議室のはず・・・。
しかしいくら見つめても、窓ガラスは外の風景を反射するだけだった。

あれから一週間が経った。今日はクリスマスイブ。
幸い対策室が関わるような大きな事件は起きなかったが、絵里子は日々の雑務に追われていた。

夕方、化粧室に向かうと、若い婦人警官たちが今夜に備えて念入りなメイクをしながら世間話に花を咲かせていた。

「そういえば、交通課の子が野立参事官をクリスマスに誘って玉砕したんですって」
「アレ? あたしは生活安全課の子だって聞いたわ」
「私は受付の子って聞いたわよ」
「実は全員だったりしてー」
「まっさかー。でもありえるー」
「「「あはははははは」」」

甲高い笑い声に頭痛がする。そして、無性に腹が立ってきた。
私を誘うヒマはないけど、女の子に告られる余裕はあるのかしら。
どうせ噂だとわかっているのだが、アイツの日ごろの行いが悪いからこんな噂が立つのだ。

「でもさ、参事官忙しいから。クリスマスどころじゃないんじゃない?」

そうそう、まったくその通りよ。
そこのヒジキまつ毛、なかなかわかってるじゃないの。

「それがさー、今日の会議が中止になったんですって。副総監が出られなくなったとかで」
「じゃあ、野立参事官、今日フリーってこと? あたし誘っちゃおうかなぁ」
「ちょっとー、あんたは彼氏と過ごすんでしょ」

もともと会議の予定だったってことは、プライベートの予定はないはず。
・・・今夜、誘ってみようかな。
でもアイツのことだから、会議が中止になった途端にどこぞの女の子に連絡を取ってたりして。
クリスマスだからなおさらそうに決まってる。
って、コレ、他の女の子たちと同じ発想じゃない。
・・・いやいや、今夜がたまたまクリスマスなわけで、ただ飲みに誘うだけじゃないか。
そうよ! いつもと同じように声をかければいいじゃない。

そう決心したはずなのに。

「なんでまだ仕事してるんだろう」

誰もいない対策室に、絵里子の独り言が響く。
部下たちは今日も定時で帰っていった。
時計を見ると、もう8時を過ぎている。
晩御飯はコンビニでいいか。
レストランでの苦い思い出が胸をよぎり、絵里子はため息をつく。
だらだらと荷物を片付け、コートを羽織って対策室を出ると、遠くのほうに見慣れた背中が見えた。
・・・まさか、でも間違いない。
野立は別に急ぐ様子でもなく、出口に向かっていく。
絵里子は、半ば尾行のようにその後を追った。

外に出ると、冷たい北風が肌に突き刺さった。
それで頭が冷えたのか、自分が馬鹿みたいに思えてくる。
久しぶりに話ができるチャンスができたのに、なんでこんなことしてるんだろう。
絵里子は大きく息を吸った。肺の中が冷え切って気持ちが良い。
そう、いつもと同じように声をかければいいんだった。

「あれ、今帰り?」

偶然を装ったつもりの声は、少しうわずっていた。
振り向いた野立の横に駆け寄る。

「クリスマスなのに、ずいぶん遅いお帰りなのね。野立参事官」

「急に会議がなくなったんだよ。おかげで早く帰れる」

ふてくされたように話す彼の横顔を見るのは、一ヶ月ぶりだ。
本当に帰るだけなのだろうか。どうすればうまく聞きだせるのか。

「どうせ何の予定もないんでしょ。無理しなくていいわよ」

「そういうお前こそどうなんだよ」

どうしよう、どうしたらうまく切り出せる?
考えれば考えるほど、唇は余計なことばかりを紡ぎだしていく。

「・・・私? 私はいろいろあるわよ。
素敵なレストランに行ってー、ワインでしょー、それからケーキも食べてー」

ちがうちがう、こんなことが言いたいんじゃない。

「イルミネーションも見にいってー」

・・・もう限界。
振り向くと、野立は先程と同じ表情で立ちつくしていた。

「嘘」

「え?」

「こんなに忙しいのに、予定なんか立てれるわけないじゃない」

勢いでネクタイを掴む。
掴んだ後でそれが失敗だったことに気が付いた。

「どっかの上司が仕事をおしつけてくるおかげで、
こっちはクリスマスだってのに一人寂しく過ごさなきゃいけないのよ」

顔が近い。実はすごくドキドキしていること、ばれてないだろうか。
でも、もう後には引けない。

「責任とってよ」

野立は少し困った様子で、何やら考え込んでいるようだ。

「寒いんだから、さっさと答えて」

時間にすればほんの1,2秒だったが、絵里子には妙に長く感じられた。

「・・・仕方ねーなぁ。寂しい絵里子のために、今夜はつきあってやるよ」

その表情がとても柔らかくて、絵里子も自然と笑顔になる。
うれしい。すごくうれしい。
素直にそう言えないのはつきあいが長すぎて照れくさいからだろう。
あわただしくレストランの予約をしている野立の姿を見ながら、絵里子はため息をついた。

久しぶりに二人でとる食事は、とても楽しかった
食事は美味しいし、ずっとできなかった仕事の話も聞いてもらえた。
やはり野立は会議に追われる生活をしていて、今日はじめてクリスマスに気づいたという。
そんな他愛もない話をしている間に、食後の紅茶が運ばれてきた。
これを飲んだら、帰らなきゃいけない。次はいつ会えるのだろうか。
そう思ったら、胸がきゅっと苦しくなった。

「ねぇ、イルミネーションが見たいから、駅まで歩かない?」

絵里子の提案に、野立は笑顔で頷いてくれた。

たかが2時間くらい話しただけなのに、あんなにもやもやしていた気持ちが軽くなっている。
話を聞いてもらえたからだけじゃない。私は彼といることが心地よいのだ。
野立の前ではいつも自然な自分でいられるし、私のことを一番理解してくれている。
でも、私は野立のことをどれくらい理解しているのだろうか。

イルミネーションに彩られた街は、仲睦まじく寄り添うカップルであふれていた。
あんな関係は望まないが、いつもそばにいてほしいと思うのは贅沢だろうか。

「私と来て、良かったでしょ。人並みのクリスマスが過ごせたこと、感謝してよね」

本当はお礼を言わなきゃいけないのは自分なのに。

「・・・そうだな」

意外な返事だった。驚いて見上げると、野立はひどく慌てた様子で言い直した。

「いや、お前こそ、俺に感謝しろよ」

その様子が可愛らしく思えて、絵里子は野立の腕に抱きついた。
寒いし周りもやってるからと言い訳をし、体を寄せる。
黙り込んでしまった野立の顔を直視することはできないが、コートの上からでも彼の体温はわかる。
もう少しくっつこうかと思ったとき、乱暴に腕を振り払われた。
あちゃー、調子に乗りすぎたか。
なんて考えていたその刹那、視界が暗くなり、あたたかいものに包まれた。
・・・野立に抱きしめられている。
それを認識したとたん、頬が熱くなる。

「ちょっと、野立、やりすぎよ!」

「寒いんだったらこっちのほうがいいだろ」

「恥ずかしいってば!」

恥ずかしさのあまり騒ぎ立てるが、野立は離してくれない。
絵里子も40歳を過ぎた大人だ。いくらなんでも恥ずかしすぎる。
なんとか離してもらおうと身をよじったとき、一斉に周囲の灯りが消えた。

「終わっちゃったね」

「そうだな」

灯りが消えただけだってのに、なんでこんなに切ないんだろう。
絵里子は自然と野立の胸に体を預けた。

「ホントは、今日、アンタのこと待ってたのよ」

そして今日の経緯を話すと、野立の腕の力が緩んだ。
絵里子はそこから抜け出して歩き出す。
夢からさめたような気分だった。

「今日はありがとう。久しぶりに話せて楽しかったわ」

クリスマスはこれでお終い。また明日からはいつもの関係に戻るのだ。
そう、私にはそれで十分だ。
でもその先を望むのは贅沢なのだろうか。
手に入ればいいのだが、失うリスク、つまり拒絶されて今までのように会えなくなることを考えると怖くなる。
きっと私はひとりで立っていられなくなるだろう。
っていうか、今日の野立は急に抱きしめてきたりとか変なんだ。
これじゃあ期待するなって方がおかしい。
考えれば考えるほど、自分の気持ちがわからなくなってくる。
だから絵里子は、強制的に終わらせることにした。

「じゃあ、またね」

はやく、はやく帰らなければ。この気持ちを知られてはいけない。
そう思って歩きだそうとした絵里子の腕が、強く引かれた。

「何?」

「帰るなよ」

「何で?」

心の奥底で期待していたはずなのに、棘のある言葉しか返せない。

「まだ11時だ。クリスマスは終わってない」

「もう十分よ」

だからお願い、もう帰らせて。
しかし野立は私が「帰らない」と言うまで離すつもりはないようだ。
どうしていいかわからないまま、しばらく無言で見つめあう。
私、ずっと聞きたかったことがあるんだけど、聞いてもいいのかな。

「・・・私と会えなくて寂しかった?」

「ああ」

「ほんとに?」

「今更お前に嘘つかねーよ」

野立の真剣なまなざしには、普段のおちゃらけた様子は少しもなくて。
なんだ、寂しかったのは私だけじゃなかったのね。これは、期待してもいいのかな。
そう思うと自然と笑みがこぼれる。

「じゃあ、いいわよ。いっしょにすごしてあげる」

野立はガラにもないことを言って恥ずかしいのか、大きく息を吐いている。
まったく、この私をこんなに悩ませるなんてどこまでも食えない男だ。

「野立っ」

振り向いた野立の唇に、ちゅっと音をたててキスをする。

「・・・っ!」

完全に不意打ちだったようで、野立は呆然と立ちつくしていた。

「さぁ行くわよ!」

絵里子は強引に野立の手を引く。
その唇はひどく冷たかったが、とても柔らかかった。






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