涙のあとで(非エロ)
野立信次郎×大澤絵里子


扉を開けたとき、そこに絵里子の姿はなかった。
風にそよぐカーテン、開け放たれた窓。

「絵里子っ!」

窓から身を乗り出して周囲を見渡したが、何も見えない。
背中をすぅっと冷たい汗が流れた。
あんな体で何を考えているんだ、アイツは。

「片桐は岩井達に連絡! 木元はここで待機!」

ほぼ無意識に指示を出し、野立はじっと考え込む。
自分が部屋を出る直前に絵里子の携帯が鳴っていた。
この状況で連絡してくる相手は・・・

ホテルにたどり着くと、柱にもたれかかる絵里子が見えた。
よかった、無事みたいだ。心配かけやがって。
声をかけようとして、その向こうにいる人物に気が付いた。
森岡が言っていたのはこの事だったのか。
絵里子はそれを知って一人で・・・
そのとき、ぐらり、と絵里子の体が傾いた。
野立は慌てて駆け寄り、その体を抱きしめた。

あれから一週間。
絵里子は衰弱していたが、ワクチンの効果もあり、容態は安定していた。
例の事件の後始末で仕事はいくらでもあるのだが、野立は可能な限り絵里子に付き添っている。

「いつ意識が戻ってもおかしくない状況なのですが」

医者は、野立の何十回目かの質問に対して、何十回目かの同じ返答を繰り返した。
足音が遠ざかるのを確認して、野立は絵里子の右手を握る。

「絵里子、聞こえるか? おい、返事しろよ」

反応はない。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
今の関係が壊れるのが怖くて、ずっと気持ちを伝えられなかった。
でも、それだけ彼女が大切だった。
彼女にとっては、ただの同期、バディだってかまわない。
いつもそばにいて、絵里子を守ることができればそれでよかった。
それなのに今のこの状況はなんだ。
好きな女ひとり守れなくて何がキャリアだ、参事官だ。
もし、このまま目を覚まさなかったらどうしよう。
ずっと好きだと伝えられないまま・・・

そう思ったとき、鼻の奥がつんっと痛くなり、野立は自分が泣いていることに気が付いた。
なぜか気恥ずかしくなって、眠ったままの絵里子の上にうつぶせになる。

ひとりで黒原のところへ行かずに、相談してくれていればこんなに悪化することもなかった。
そんなに頼りないんだろうか、俺は。

「なさけねぇなぁ・・・」
「・・・ほんとね」

はっと顔を上げると、弱々しい微笑を浮かべる絵里子が。

「絵里子っ! 大丈夫か!」

両手で彼女の頬を包み、じっと顔を見つめる。
返事の変わりに、絵里子は微笑みながらまばたきをする。

「良かった・・・。もう目を覚まさないかと思った」
「私が、あんなウイルスごときにやられるわけないでしょ」
「どこか痛いところとかないか?」
「大丈夫。迷惑かけちゃったね」

そう言って絵里子はゆっくりと手を伸ばし、野立の頬をなでた。
まだ乾いていない涙をそっとぬぐわれ、野立は赤面する。
恥ずかしさの反面、指先の温かさがうれしくて、またじわっと涙があふれてきた。

「まったくだ。退院したらお前の奢りで飲むからな」

その顔を見られたくなくて、「医者を呼んでくる」と慌てて立ち上がった。

が、「待って」と服のすそを引かれ、立ち止まる。
振り返ると、絵里子は彼が一番好きな笑顔で、

「ありがとう」

なんて言うものだから、野立はたまらなくなって絵里子の体を抱きしめた。

「ちょっと、野立。どうしたの?」

絵里子が驚いて声を上げるがかまわない。

「お前が無事で本当に良かったと思って」
「泣いちゃうくらい、心配してくれたんだ」
「いやっ、あの、これは違うんだ! いや、心配はしたんだけど・・・」
「じゃあ、何?」

野立は大きく息を吸った。もうごまかすのはやめよう。
今までの関係が崩れてもかまわない。もうあんな思いはたくさんだ。
野立は抱きしめる腕に力をこめて、一気にまくしたてる。

「お前がいなくなったとき、心臓が止まるかと思った。
ずっと目を覚まさなかったらどうしようって何も手に付かなかった。
だいたい、お前は自分のことをないがしろにしすぎなんだ。
この俺がお前のことを大切に思ってるんだから、お前も大事にしろ」

絵里子の反応が怖い。一秒が一時間にも感じた。

「野立・・・それって・・・」

おそるおそる絵里子の様子を伺うと、なぜか難しい顔をして首をかしげている。

「私のことが好きってこと?」
「はぁ? それ以外の何だって言うんだよ」

あぁ、そうか。絵里子はFBIでプロファイリングを学んできたくせに、
自分のことになると鈍感になるんだった。
野立はふっと微笑むと、もう一度息を吸った。

「しょうがねぇなぁ。お前にもわかるように言ってやる」
「な、なんですってぇ?」
「お前が好きだって言ってんだよ」
「あ、そう。好きなの。って、えええ?」

絵里子は大きな声をだして、腕を振りほどこうとしたが、そのままふらっと野立の胸に倒れこんだ。

「大丈夫か?」
「ごめん。少し疲れたみたい」
「ああ、起きたばかりなのにすまなかった」

野立は、絵里子の体をそっと横たえると、「ゆっくり休め」とだけ言って、立ち上がった。
言いたいことを言ってすっきりした。あとはどうにでもなれ。なんて思っていると
再び、絵里子が「待って」と声をかける。

「そばにいてくれないの?」
「いいのか?」
「野立がいてくれると、安心する。だから、私も野立が好き・・・なんだと思う」

野立は一瞬耳をうたがった。好きって、絵里子が、俺を・・・。長かったなぁ・・・
信じられない思いで絵里子を見ると耳まで赤くなっていて、それがまた野立の胸を熱くした。

「それで十分だ」

うれしくてもう一度抱きしめたい気持ちを必死に抑え、野立は絵里子にそっと口付けた。
本当はこの場で押し倒して自分のものにしてしまいたいが、絵里子は病み上がりだ。
今はこの唇のやわらかさだけで満足しよう。時間はまだたくさんあるのだから。






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