再生(非エロ)
野立信次郎×大澤絵里子


絵里子に惚れている。
そう意識したのは、ほぼ同時だった。

青ざめた顔に酸素マスクをつけたまま、一向に目覚める気配のない絵里子の
枕元に一人、座りながら野立は思い返していた。
最初からあまりにも近く、当たり前のように傍にいたから、
俺一人だったら未だに絵里子への思いを、自覚さえしてなかったかもしれない。

出会った時から三人は一緒だった。
ふと絵里子を見つめると、視線の向こうにはいつも森岡がいた。
6年前、野立がプロポーズしそこなったのも、
絵里子に恋人がいたからではなかった。
対策室を立ち上げて、いつも傍にいながら絵理子を口説けなかったのも、
森岡の存在があったからだった。
絵里子を挟んで、互いの思いを尊重し合い、牽制し合い、
その緊張感が居心地良くもあった絶妙な三人の関係は、
出会った時から少しも変わらない。そう思い込んでいた。だが・・・

野立は警察病院に入院中の森岡を訪ねた時の事を思い出していた。
容疑者森岡博への面会許可は、もちろん野立の権力の賜物である。

「・・・何だよ、ピーポー。何しに来た?
せっかく手に入れた権力をこんなとこで、なに無駄に使ってんだよ」

権力者よろしく、警備の警官の敬礼に軽くうなずきながら
病室に入ってきた制服姿の野立を
森岡は臆することなく見上げ、苦笑してみせた。

言いたい事はたくさんあった。
だが、せっかく訪れたにもかかわらず、やつれた表情の森岡に
かけるべき言葉を野立は見つけられなかった。
沈黙を破ったのは森岡だった。

「絵里子は・・・?」
「・・・眠っている」
「・・・助かるのか?」
「・・・そう簡単にくたばるかよ、あいつが」
「・・・だな」

乾いた声で森岡は続けた。

「俺は自分のしたことが間違っていたとは今も思ってない。
か弱いアリがいくら頑張っても国家の役には立たない。
国家を動かすための力を得る。そのための戦いだった。
俺の大義が間違っていた訳じゃない。
俺が負けたのは、運が少し足りなかったからだ。それだけだ」

口を閉じかけて、思い返したように冗談めかして続けた。

「もし、お前らを説得して味方にしていたら、勝てていたかな。
俺ら、三人。肩並べて。いつもみたいに・・・」
「・・・なぜ、そうしなかった?」

野立の問いに、森岡は言葉を失った。

「なぜ、説得しなかった?なぜ俺達を最初から除外していた?
お前が信じたものが本当の正義だったなら、
俺達だってお前に共感したかもしれないじゃないか。
なぜ、何も言わなかった?」
「・・・・・」
「誰よりも、絵里子を説得できない、そう思ったんだろ?
あいつはあんな歳になっても、まだ青臭い、正義の塊だ。
国家の為だろうが何だろうが、大義のために人を殺すなんてこと、
逆立ちしたって出来ない。そう思ったんだろ?
だが、なあ、ピーピー。
絵里子一人、説得できないような大義の、どこが正しい?」

なぜ、そんなものに走った?なぜ裏切った?なぜ犯罪者になり下がった?
そう、野立は問い正したかった。
図星をさされた森岡は血走った眼を野立から逸らし、肩で大きく息をついた。

絵里子と野立。
この二人の存在がなければ、あるいは俺は、
今もアリの一人として警察組織で働いていただろうか。
もし今も絵里子と一緒に働いていたら、
俺はあんな作戦を実行しようと思わなかっただろうか。
もし野立に対するライバル心がなければ、
あれほど権力を得たいと思わなかっただろうか。
あんな大義を、信じようと思わなかったのだろうか。
あるいは・・・

混乱した思考を振り切るように森岡は頭を一つ振った。

「・・・これだけは、はっきり分かっていたぞ、ピーポー。
絵里子が刑事として俺を追う立場に立つ以上、お前は俺の味方にはならない。
お前は、俺とは敵対しても、絵里子だけは裏切らない。絶対に。
・・・・違うか?」

森岡を突きさす野立の視線は、痛いほど真剣だった。

「・・・ああ。その通りだ」
「・・・やっと、認めやがったな」

森岡は片頬を皮肉に歪めた。

「俺はお前に何もかも持ってかれたよ、ピーポー。
スタートラインに立つのは同時なのに、
気づくと望んだものを手に入れているのはいつもお前だ。
地位も、権力も、ピーポーの名前も・・・絵里・・・」
「それは違うな、ピーピー。お前はいつも自分からチャンスを手放すんだ。
組織が厭になって警察をやめた、とお前は言った。
だけど本当は勝負から逃げ出しただけだ。違うか?
あの逮捕の時も。
あの時、俺達は3人同時に発砲した。
だがダントツに腕が良いはずのお前の弾だけが誰にも当たらなかった。
大それた犯罪を犯そうとしたくせに、結局お前は俺たちを撃てなかった。
勝負をしなかった!」

話している間に野立は段々腹が立ってきた。
ピーピー、なぜ俺はこんな形で最高の仲間を、最大のライバルを、
失わなければならなかったんだ?

「甘いんだよ、お前は!勝てない勝負じゃないのに、いつも最後で逃げる。
だから、負けるんだ!」
「・・・・・」
「俺はな、ピーピー。刑事をやってる絵里子が好きだ。
だからあいつに、刑事としての信念を曲げさせるようなことは、しない。させない。
そのためなら、俺はいつでも、勝負する!」

強く言い切った野立の前でうなだれた森岡の胸中に
言いようのない敗北感が広がった。

この男はブレない。
どんなにおちゃらけていても、どんなにふざけていても、
大事なところはいつもブレなかった。
組織に対しても、絵理子に対しても。
だから・・・。

「・・・な〜んてな〜。
顔だけじゃなく、言う事までカッコイイよな〜、俺って」

重い空気を払うように、野立は芝居がかった軽口をたたいた。

「・・・ったく・・・相変わらず・・・しょーもねーよ、お前・・・」

フッと笑った森岡の目に、光るものがあった。

「でも正直、無事で良かったよ。負け惜しみじゃない。
お前らを殺したくはなかった。本当だ」
「・・・ああ、分かってる」
「ピーポー。俺が言うのもなんだが・・・あいつ・・・頼んだぞ」
「・・・あ?あ、ああ」
「なんだよ、頼りね〜返事だな、大丈夫かよ!」

野立もよく知っている、屈託のないピーピーの表情で、森岡は笑った。

いつから、俺たちはあの三人のままではなくなっていたんだろう。
ぼんやり考えていた野立はハッとした。
何日も昏睡状態だった絵里子が目を開けていた。

「絵里子!気がついたか?分かるか?」

うっすらと覚醒していく意識の中で、ぼんやりと人影が動いた。
見慣れた髭面。聞きなれた低声。
野立だ。
そう思った瞬間、絵里子は家にたどり着いたかのような安堵を覚えた。

ここはどこだろう?何が起きたんだっけ?
野立から病室の天井へと視線を這わせながら、絵里子は考えをめぐらせた。

「お前は黒原を逮捕した直後、倒れた。それからずっと昏睡状態だったんだぞ」

そうだ、あの時、私は・・・

絵里子の思考はいきなり核心に到達した。
声を発する力は無かったが、鋭い視線を向けただけで野立には十分通じていた。

「ピーピーは、今警察病院だ。命に別条はない。傷が癒え次第、送検される」

黒原とその犯罪に加担した者達の処分、田所、花形の容体、他の対策室メンバー達の活躍・・・ 絵里子の無言の問いに、野立は小気味よく次々と答えていく。

「だから心配はいらない。滅多にない休暇だと思って、ゆっくり休め」

いつになく優しい野立の声に、素直にうなずきながら絵里子は再び目を閉じた。
薄れていく意識の中で、絵里子は心に温かいものが沁み渡るのを感じた。

ずっと、傍にいてくれたんだ・・・。

いつの間にか絵里子の中で、野立の存在が誰よりも大きくなっていることを、
絵里子は自覚するともなしに、自覚していた。

ようやく絵里子が起き上がれるようになった頃、フラリと野立がやってきた。
だが、その日の野立は人が変ったように、むっつりと黙りこんでいた。

「ちょっと、なに?どうした?暗いよ、今日。カワイ子ちゃんにでも振られたの〜?」

努めて明るく声をかけた絵里子に、野立はボソリといった。

「森岡を、今日付けで書類送検した」

思わず息を飲み、凝視した野立の瞳の奥にどす黒い濁りがあった。
それは、同じ苦悩を味わった絵里子だけに見える濁りだった。

森岡の残した衝撃と傷跡は、二人にとって決して小さなものではなかった。
あんな形で二人の前からピーピーが退場していってから、
絵里子と野立の間にはいささかギクシャクしたものが流れていた。
バランスを失ったやじろべえのように、
どちらも宙ぶらりんの気持ちを持て余していたのだ。
今までそんなことはなかったのに、あれ以来、二人でいるとなぜか、
いるはずの三人目の事を考えてしまう。
今までとは違う何かが、二人をぎこちなくさせていた。

絵里子がようやく対策室に復帰した日、野立は絵里子を屋上に誘った。
病室で度々黙って考え込んでいた絵理子が、
また組織を離れたがるのではないかと疑っていたのだ。
絵里子もまた、野立の誘いに即座に応じた。
相変わらず調子がよく軽口ばかりたたいているものの、
あの事件以来、その軽さにどこか精彩を欠く野立を本気で心配していたからだ。

「お前にはもう撃ってほしくないんだよ」

6年前と同じセリフで、野立はカマをかけてみた。
あの時はぐらかした絵里子は、だが今日は野立の目をまっすぐ見返してきた。

「私にはここしかない」

そういう絵里子の目に迷いはなかった。
眩しそうに絵里子を見つめた野立の瞳の奥から、
やがてあのどす黒い濁りがゆっくりと消えていった。

もう、大丈夫だ。
野立の瞳を覗き込んだ絵里子は安堵した。
と同時に、あの事件以来の野立に対するこだわりは
自分の深層に潜んでいた感情が生んでいたのだと認識していた。

私たちはようやく、新しい一歩踏み出そうとしている。
私ももう少し、自分の感情に素直になってみよう。
そう決意しながら、絵里子は微笑み、背を向けて歩き出した。

颯爽と踵を返した絵里子の背中を見送りながら野立もまた、
何かが新しく始まろうとしているのを感じていた。

絵里子への想いをいつか伝えたい、その思いに変わりはない。
だがその前にやらねばならないことがある。
もう一度、二人の関係を築き直す。
森岡を含めた「三人の中の二人」ではなく、俺と絵里子と、一対一の関係を。
そうしたら、互いに素直に向き合える日も・・・いつか・・・
野立は儚い望みをそこにかけることにした。

三人の時は終わった。
懐かしさと寂しさを同時に感じながら、野立は三人で映っている写真を眺めた。

さらば、青春と放埓の日々よ!・・・なんてな〜。
我と我が想いに苦笑しながら野立は万感の思いを込めて、写真に敬礼した。





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