後朝(非エロ)
野立信次郎×大澤絵里子


明け方の薄明かりの中でゆっくりと覚醒する。

肌に直に触れるシーツの感触に、絵里子はまたやっちまった、と心の中で嘆息した。
寝返りを打とうとして、肩に乗った何か重い物に阻まれる。
今日はどこから持って来たんだろう、野立にまた怒られる……
退かそうと掴んだそれの感触は無機物ではない。
人の肌と体毛と体温、そうと気付く迄に数秒かかった。
睡魔で麻痺した頭は、しかしまだ異常事態に気付いていない。
自分以外の誰かの呻く声と身じろぎに、びくっとして、絵里子はやっと目を開けた。
目の前に余りに見慣れた髭面を見付けて、変な声が出る。

「え……えええっ!?」
「何だうるせーな……お、絵里子にしちゃ早いな」

目を開けた野立がちらりと時計を見る。

「なに、何してんのここで」
「何って、ここは俺ん家だ」

言われてみれば、マットレスの固さもシーツの肌触りも自室のものではない。
にやにや笑う野立の顔から、胸の辺りに視線を逸らして、絵里子は野立も服を着ていない事に気付いた。
胸から腹まで見て、更に下は確認する勇気を持てず、仕方無く絵里子は再び野立と視線を合わせた。

「昨夜、何かした?」
「覚えてないのか」
「4本目のワインを開けたのは覚えてる」

いつものバーで、止める野立を振り切って頼んだワインの味は覚えていない。
と言うかそこからここまで全く記憶が無い。
空白の果てに、野立のベッドで裸で抱き合ったまま目覚めた。
嫌な予感しかしなかった。
絵里子はじりじり野立から離れようとし、野立は同じ様に間を詰めて行く。

「お前もノリノリだったけど」
「あーあー聞こえない。きーこーえーなーいー!」

いつの間にか端まで寄っていた絵里子がベッドからずり落ちそうになるのを、野立が腕を伸ばして引き寄せた。
ありがと、と反射的に言おうとした絵里子の唇を野立の唇が塞いだ。

「……っ、ん」

這入り込もうとする舌を、歯を食いしばって止める。
しつこく吸い付き噛みついてくる野立に組み敷かれて、頭が真っ白になって、絵里子は息をするのも忘れる。
やっと解放されて大きく息をついた絵里子に、鼻先が触れる程顔を寄せたまま、野立が訊く。

「思い出したか」
「……全然」

憮然とした野立の表情に、絵里子はしまったと思い、逃げようとしてすぐに捕まった。
起こしかけた身体をまたベッドに引きずり込まれる。
肌と肌が密着する。
耳朶を甘噛みされて、うなじにかかる息で背筋がぞくぞくする。
骨ばった掌が首筋を優しく撫でた。

「ここにキスマーク付けた。覚えてない?」

ここと、ここ……と囁きながら、指先で触れ、そこに軽いキスを繰り返して、首筋から鎖骨、胸の膨らみまで手と唇が降りていく。
絵里子はただ首を振る。
大きく溜め息をついて、野立は顔を上げた。

「本っ当に覚えてないのか」
「うん」

照れ隠しではなく、本心から素直に頷く絵里子に、野立は本気で落胆したようだ。

「マジか……」

がっくりと首を垂れて、絵里子の肩に顔を埋めた。

「……ごめん」

その髪を絵里子が撫でる。
野立は何も言わず、けれど絵里子を抱いた腕は緩めなかった。

「本当にごめん」

何か大事な事が起きていた時間を、全く覚えていない身の後ろめたさで、絵里子は精一杯優しく野立の髪を撫で続ける。
無言の時間を、やがて時計のアラームが遮った。
野立がのろのろと身を起こした。
緩慢な動作で床に脱ぎ散らかした服を身につける背中を、絵里子はただ見ていた。

「ぼけっとしてると、朝飯の時間なくなるぞ」
「あ、うん」

慌ててベッドから出ようとした絵里子の手に野立の手が重なった。
顔を上げた絵里子に野立が素早く口付ける。

「気にすんな」
「うん……」
「今夜じっくり思い出させてやるよ。手取り足取り腰取り」

だから今日は酒抜きな、と真顔で言う野立に、絵里子はつい笑ってしまう。

カーテンの隙間から、いつの間にか細く光が差していた。






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