出会いは5%以下(非エロ)
野立信次郎×大澤絵里子


「野立さんとボスっていつからなんですか?」

いたく抽象的に、かつしれっと田所が聞く。

「いつからって?何が?」

絵里子が眉をしかめて、問い直す。

「同期って、入庁してからのからのお知合いなんですか?大学は別なんですよね?」

にっこりとほほ笑んで、田所はぐい飲みを再びくいっと飲みほした。

絵里子と野立はキャリア組の同期だ。
キャリア組のほとんどが、都内の某有名国立大学出身なので、
同期と言えどもほとんどが大学からの知り合いの人間が多い。
現に野立と森岡は学部は違うが大学も一緒だ。
けれど、違う大学出身の絵里子は、
入庁式および警察大学校入学式で、初めて顔を合わせた者の方が多い。

斜向かいに座っていた絵里子と野立の目が合った。

「そう言えばさ、初めて会ったのって、アンタ覚えてないでしょう?1種試験の時なのよ、本当は。」

自慢げに野立の方を指差して、絵里子が言う。

「覚えてる。」

絵里子から目をそらして、野立は答える。

「うっそ!アンタ絶対覚えてないって!」

そう言う絵里子をちらりと見ただけで何も反論せず、
野立は煙草に火をつけゆっくりと煙を吐き出した。

キャリア組の国家公務員試験は毎年4月の終わりから5月の始めだ。
国内最難関の一つと言われる試験に、弱冠21歳だった絵里子も人並みに緊張していた。
試験会場は各省庁の現キャリアがわんさか出ている都内某有名国立大学。
都心の中では木々が多く新緑が美しくすがすがしいキャンパスの中で、
合格率は消費税並みの厳しい試験。
絵里子は東京生まれの東京育ち、おまけに試験会場から実家までは歩ける距離だが、
大学は関西だった。
周りはほぼ慣れ親しんだ在籍校での受験なのだろう、落ち着き払っていたが、
絵里子の気持ちは完璧にアウェイだった。
だから、短い休憩時間の間も、必ず一旦外に出て気持ちを落ち着けていた。

少し外れの人気の少ない場所のベンチで最後の休憩をしていた時だ。

「ごめん。そこ俺の場所だから。ちょっとそっちにずれてくれないかな?」

絵里子の目の前に背の高い端正な顔立ちの青年が立っていた。

「はぁ?」

と絵里子は言って辺りを見回す。
確かに周囲のベンチはほぼ埋まっており、3〜4人座れるベンチに一人で腰かけているのは、
絵里子の場所だけだった。けれど『俺の場所』とはどういうことだ。
左端に座っていた絵里子は、右側を指して言った。

「そちらの端が空いてますけど。」
「うん。だから、君が座っているそこは俺の場所だから、
申し訳ないけど君がそっちの端にずれてくれないかな。」

だから『俺の場所』とはどういうことだとは思いつつも、時と場所を考え、
変な奴には関わらないようにしようという思いの下、絵里子はしぶしぶベンチをずれた。

『俺の場所』と言ったその青年は、『俺の場所』に座りおもむろに煙草を吸いだした。
さすがに目が点になった絵里子は一言文句を言うべく、立ちあがろうとした。
すると、後ろの方から少しいらだった大きな声が聞こえ、絵里子は振り返った。

「だから、そっちで吸われると煙が全部こっちに来るんだよ。少しは考えて吸えよ。馬鹿!」
「ここしか空いてなかったんだから仕方ないだろ。禁煙じゃねーんだから、どこで吸おうと勝手だろ!」

低次元な言いあいに、絵里子は呆れて、向き直る。
そして、ふと気が付いた。
ああ、だからなのかと。
でも、それならそうと煙草が吸いたいからって言えばいいのに。
絵里子は、ゆっくりと煙草を吸う反対の端に座る『俺の場所』の青年をちらりと見た。
視線に気がついたのか、『俺の場所』の青年がこちらを向いて、話しかけて来た。

「志望どこ?」

不躾な質問に絵里子は眉をひそめた。

「あっ、聞いちゃダメだった?」

何ともあっけらかんとした傍若無人な調子に、言わない方が潔くない気がした。

「…警察ですけど。」
「警察?女の子なのに凄いね。」

ずっと言われ続けた、女のくせにという言葉が絵里子の頭に蘇る。

「女じゃダメですか?」
「ダメじゃないけど。絶対的な体力の差ってあるじゃない?
キャリアと言えども、警察は女子には厳しいと思うからさ。」
「大きなお世話です。」

『俺の場所』の青年は声を上げて面白そうに笑う。

「確かにね。でも、女子の方が狭き門だから、頑張って。
それに、男は本能的に女を守りたいって思うもんなんだよ。
だから、あんまり強くなり過ぎないでよ。」

青年はにっこり笑ってそう言うと、ひらひらと手を振って、
建物の方へ消えて行った。

その青年のあまりにもの軽さに、今日と言う日のそぐわなさに、絵里子は驚いたが、
更に驚いたのは、入庁式および警察大学校の入学式でその青年が隣に座っていたことだった。
左端から順番に各試験の総合の成績順で座らせられるそこで、
最も左端に座っていたのが野立だった。
野立、絵里子、森岡の順で、その時からこの腐れ縁は続いている。


「ホントに覚えてるの?」

いぶかしげに絵里子が聞く。

「覚えてるよ。」
「じゃぁ、どんなだったか言ってみなさいよ。」
「やだ。」
「ほーら、言えないんじゃない。だからそうやって、適当なこと言わないの。
昔っからそうなのよ、こいつは。もう、適当で軽いの。超いいかげん。」

野立に対した悪口を一通り吐くと、
絵里子は隣に座る岩井と別の話題で既に盛り上がっている。

あの時、他にも空いているベンチは当然あった。
けれど、ピンと背筋を伸ばし、気持ちを落ち着けるように深呼吸をする、
まだ名前も知らなった絵里子に、今となっては不覚にも見惚れたのだ。
ちょっとでもいいから話がしたいなど、
今の野立信次郎的には考えられないほど殊勝な下心の末が、あの台詞だった。
あの頃と今の絵里子と、当然年は取ったが、
おそらく中味はほとんど変わってないと確信できる。
あの時見惚れた横顔の印象は二十年経った今でも同じだ。

だが、あの時のことを口にしたくないのは、
見惚れたことを言いたくないだけではない。

「だーから、あんまり強くなり過ぎるなって、言ったじゃねーかよ。」

という小さなつぶやきが、煙草の煙とともに消えた。






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